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「宮城県北部地震」の版間の差分

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== 1900年 ==
== 1900年 ==
[[1900年]]([[明治]]33年)[[5月12日]]、宮城県北部の[[小牛田村]]付近({{ウィキ座標|38|32||N|141|03||E||地図}})を震央として発生した[[表面波マグニチュード|M{{sub|s}}]] 6.4の[[内陸地殻内地震]]<ref name="Kanaori">{{Cite journal |date=2005 |doi=10.4294/zisin1948.58.1_41 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/58/1/58_1_41/_article/-char/ja |title=1900年宮城県北部地震のマグニチュードと震源位置の再評価 |author=[[武村雅之]] |accessdate=2017-01-06 |journal=地震 第2輯 |volume=58 |issue=1 |pages=41-53 |doi=10.4294/zisin1948.58.1_41 }}</ref>。
[[1900年]]([[明治]]33年)[[5月12日]]、宮城県北部の[[小牛田村]]付近({{ウィキ座標|38|32||N|141|03||E||地図}})を震央として発生した[[表面波マグニチュード|M{{sub|s}}]] 6.4の[[内陸地殻内地震]]<ref name="Kanaori">{{Cite journal |date=2005 |doi=10.4294/zisin1948.58.1_41 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/58/1/58_1_41/_article/-char/ja |title=1900年宮城県北部地震のマグニチュードと震源位置の再評価 |author=[[武村雅之]] |accessdate=2017-01-06 |journal=地震 第2輯 |volume=58 |issue=1 |pages=41-53 }}</ref>。


死傷者18名、家屋全壊44戸(警察の統計)<ref name=aijt.9.417>鏡味洋史、[https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijt/9/18/9_KJ00004655944/_article/-char/ja 1900.5.12宮城県北部地震の被害に関する文献調査(災害)] 日本建築学会技術報告集 9巻 (2003) 18号 p.417-420, {{doi|10.3130/aijt.9.417}}</ref>。被害は[[遠田郡]]が最大で、[[桃生郡|桃生]]・[[登米郡|登米]]・[[志田郡|志田]]の各郡でも大きな被害を出した。遠田郡[[南小牛田村]]では64戸の45戸が大破・転倒。[[栗原郡]][[若柳町]]では家屋全壊5棟、半壊2棟、破損27棟、[[土蔵]]の崩壊20棟。[[仙台市|仙台]]では壁に亀裂が入った程度の被害にとどまり、[[塩釜市|塩釜]]では煙突が倒れた他、石垣が崩れるなどの被害が出た。1962年の地震よりも有感範囲が広く、被害分布から推定される震央は1962年の地震よりも南側にあったと推定されている<ref name=aijt.9.417 />。
死傷者18名、家屋全壊44戸(警察の統計)<ref name=aijt.9.417>鏡味洋史、[https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijt/9/18/9_KJ00004655944/_article/-char/ja 1900.5.12宮城県北部地震の被害に関する文献調査(災害)] 日本建築学会技術報告集 9巻 (2003) 18号 p.417-420, {{doi|10.3130/aijt.9.417}}</ref>。被害は[[遠田郡]]が最大で、[[桃生郡|桃生]]・[[登米郡|登米]]・[[志田郡|志田]]の各郡でも大きな被害を出した。遠田郡[[南小牛田村]]では64戸の45戸が大破・転倒。[[栗原郡]][[若柳町]]では家屋全壊5棟、半壊2棟、破損27棟、[[土蔵]]の崩壊20棟。[[仙台市|仙台]]では壁に亀裂が入った程度の被害にとどまり、[[塩釜市|塩釜]]では煙突が倒れた他、石垣が崩れるなどの被害が出た。1962年の地震よりも有感範囲が広く、被害分布から推定される震央は1962年の地震よりも南側にあったと推定されている<ref name=aijt.9.417 />。

2018年8月2日 (木) 11:15時点における版

宮城県北部地震(みやぎけんほくぶじしん)は、宮城県北部を震源とする地震内陸地殻内地震を表すことが多い。

1900年

1900年明治33年)5月12日、宮城県北部の小牛田村付近(北緯38度32分秒 東経141度03分秒)を震央として発生したMs 6.4の内陸地殻内地震[1]

死傷者18名、家屋全壊44戸(警察の統計)[2]。被害は遠田郡が最大で、桃生登米志田の各郡でも大きな被害を出した。遠田郡南小牛田村では64戸の45戸が大破・転倒。栗原郡若柳町では家屋全壊5棟、半壊2棟、破損27棟、土蔵の崩壊20棟。仙台では壁に亀裂が入った程度の被害にとどまり、塩釜では煙突が倒れた他、石垣が崩れるなどの被害が出た。1962年の地震よりも有感範囲が広く、被害分布から推定される震央は1962年の地震よりも南側にあったと推定されている[2]

1962年

宮城県北部地震 (1962年)
宮城県北部地震の位置(日本内)
宮城県北部地震
震源の位置
本震
発生日 1962年4月30日
発生時刻 11時26分24秒(JST
震央 日本の旗 日本 宮城県栗原市登米市付近
座標 北緯38度26分38秒 東経141度04分59秒 / 北緯38.444度 東経141.083度 / 38.444; 141.083
震源の深さ 19 km
規模    気象庁マグニチュード Mjma6.5
最大震度    気象庁震度階級4:岩手県宮城県山形県福島県
津波 なし
被害
死傷者数 死者3人、負傷者376人[3]
被害地域 日本の旗 日本 宮城県
出典:特に注記がない場合は気象庁[4]による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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1962年昭和37年)4月30日11時26分24秒、宮城県北部で発生した地震。震源は、宮城県登米郡(現:登米市迫町付近(北緯38度44.4分、東経141度8.3分)で、震源の深さは19km、地震の規模を示すM 6.5。

被害は田尻町、南方村(現:登米市南方町)が中心で、死者3人、負傷者272人、建物全壊340棟、半壊1114棟。瀬峰駅の南で貨車が脱線転覆し、古川市で江合橋の橋桁がずれるなど、鉄道や道路の被害が目立った。

1996年

1996年平成8年)8月11日の未明から早朝にかけて、栗駒山の南麓付近を震源に最大震度5の地震が3回発生。3時12分にM5.9、3時54分にM5.4 、8時10分にM5.7であった。最も被害を受けたのは宮城県の鳴子町(現:大崎市鬼首地区であった。負傷者16人、損壊した家屋は200棟を超えた。

気象庁の発表では、秋田県内陸南部が震源とされている。2008年に発生した岩手・宮城内陸地震の震源域の西側にあたる。この地震は『鬼首群発地震』、『秋田・宮城県境地震』とも呼ばれている。

2003年

宮城県北部地震
宮城県北部地震の位置(日本内)
宮城県北部地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 2003年(平成15年)7月26日
発生時刻 7時13分31秒(JST
震央 日本の旗 日本 宮城県東松島市付近
北緯38度24分
東経141度10分(北緯38度24分秒 東経141度10分秒
震源の深さ 12 km
規模    気象庁マグニチュード Mjma6.4
最大震度    震度6強:宮城県南郷町 矢本町 鳴瀬町
地震の種類 大陸プレート内
余震
最大余震 2003年7月26日16時56分44秒、M5.5、最大震度6弱
被害
死傷者数 負傷者677人
被害地域 宮城県
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
テンプレートを表示

2003年(平成15年)7月26日、宮城県北部(鳴瀬町矢本町河南町周辺)を震源として連続的に発生した地震で、最大震度6弱を超える地震が1日の内に3回発生した。『宮城県連続地震』とも呼ばれているが、気象庁では特に命名はしていない(『顕著な被害が発生した場合』と規定があるため)。

発生時刻 最大震度 M 深度 備考
26日午前0時13分 6弱 5.6 12km 前震
26日午前7時13分 6強 6.4 12km 本震
26日午前10時22分 5弱 5.1 13km
26日午後4時56分 6弱 5.5 12km 最大余震
28日午前4時08分 5弱 5.1 14km

この地震の特徴は、本震と思われた強い前震の後に、さらに強い揺れの本震が発生したことである。

被害は、負傷者677人、住宅全壊1,276棟、半壊3,809棟、一部破損10,976棟[5]。これらの被害の多くは本震によるもので、死者が出なかったのは前震で警戒感が高まっていたからだとも推測されている。

震源は「旭山撓曲」とよばれる推定活断層の直下にあり、この断層が活動したのではないかと地表踏査が行われたが、地表の震源断層は確認されなかった。旭山撓曲は、文部科学省が実施している活断層調査の調査対象(98断層帯)には含まれていなかった。しかしその後の調査の結果、別の活断層が旭山撓曲の東側で発見され「須江断層」と命名された。この断層は現在より2000万年以上前に形成された断層であり、それが再活動したと考えられている。須江断層を地下へ延長すると、この地震の震源に重なることから、この断層が震源である可能性が高い。

なお、2005年4月の自治体合併で鳴瀬町と矢本町は東松島市となり、河南町は石巻市の一部となったほか、2006年の地域名称変更により、現在の地域名称では震源地は宮城県中部である。

0時13分の地震、各地の震度

震度 都道府県 市区町村
6弱 宮城県 矢本町 鳴瀬町
5強 宮城県 鹿島台町 南郷町
5弱 宮城県 石巻市 大郷町 松山町 涌谷町 田尻町 河南町
4 岩手県 室根村

7時13分の地震、各地の震度

震度 都道府県 市区町村
6強 宮城県 南郷町 矢本町 鳴瀬町
6弱 宮城県 鹿島台町 涌谷町 小牛田町 河南町 桃生町
5強 宮城県 石巻市 古川市 松山町 田尻町 米山町
5弱 宮城県 大郷町 三本木町 高清水町 一迫町 瀬峰町 金成町 志波姫町 迫町 中田町 河北町 仙台市泉区
4 岩手県 大槌町 普代村 野田村 陸前高田市 盛岡市 二戸市 一関市 矢巾町 東和町 前沢町 胆沢町 衣川村 花泉町 平泉町 藤沢町 千厩町 室根村
宮城県 気仙沼市 富谷町 大衡村 加美町 色麻町 岩出山町 若柳町 栗駒町 鴬沢町 花山村 登米町 女川町 志津川町 仙台市青葉区 仙台市宮城野区 仙台市若林区 名取市 多賀城市 大河原町 川崎町 亘理町 松島町 利府町
秋田県 西仙北町
山形県 新庄市最上町中山町
福島県 いわき市 新地町

16時56分の地震、各地の震度

震度 都道府県 市区町村
6弱 宮城県 河南町
5強 宮城県 涌谷町 南郷町
5弱 宮城県 石巻市
4 宮城県 古川市 松山町 田尻町 小牛田町 一迫町 迫町 中田町 米山町 河北町 矢本町 鳴瀬町

地震の影響

翌7月27日(日)。航空自衛隊松島基地航空祭が予定されていたが中止となった。 地震の影響で基地内の一部が損傷し、松島基地内に災害対策本部が設けられ、航空祭どころではなくなった。

航空祭開催予定日の朝、航空祭が中止になった事を知らずに多くの人が基地を訪れてしまい、急遽基地正面門前や最寄り駅に隊員を派遣して、「航空祭は中止になりました」との呼びかけや対応を行った。

脚注

  1. ^ 武村雅之 (2005). “1900年宮城県北部地震のマグニチュードと震源位置の再評価”. 地震 第2輯 58 (1): 41-53. doi:10.4294/zisin1948.58.1_41. https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/58/1/58_1_41/_article/-char/ja 2017年1月6日閲覧。. 
  2. ^ a b 鏡味洋史、1900.5.12宮城県北部地震の被害に関する文献調査(災害) 日本建築学会技術報告集 9巻 (2003) 18号 p.417-420, doi:10.3130/aijt.9.417
  3. ^ 宮城県災害年表(昭和)” (PDF). 宮城県. 2017年11月17日閲覧。
  4. ^ 震度データベース検索”. 気象庁. 2017年11月17日閲覧。
  5. ^ 宮城県北部を震源とする地震(確定報)消防庁、2004年3月30日。

関連項目

外部リンク