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「広島護国神社」の版間の差分

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'''廣島護國神社'''(ひろしまごこくじんじゃ)とは、[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]にある[[護国神社]]である。
'''廣島護國神社'''(ひろしまごこくじんじゃ)とは、[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]にある[[護国神社]]である。



2011年8月4日 (木) 23:10時点における版

廣島護國神社


全体


本殿
所在地 広島県広島市中区基町21-2
位置 北緯34度24分4.2秒 東経132度27分31.5秒 / 北緯34.401167度 東経132.458750度 / 34.401167; 132.458750
主祭神 広島県西部出身の英霊
広島原爆犠牲の動員学徒・女子挺身隊等
社格 別表神社
創建 1868年(明治元年)
例祭 春季大祭(4月第2日曜日)
原爆慰霊祭(8月6日)
英霊感謝祭(8月15日)
秋季大祭(10月第3日曜日)
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広島城裏御門付近に移された旧鳥居。
広島城裏御門付近に移された旧鳥居。
原爆投下前の市中央部。同心円の中心が爆心地。 その上方の白い部分左側の黒い部分が旧境内で、相生通りから白い部分に沿って北に向かって旧参道があった。下の鳥居があったのは相生通りから参道に入ってすぐのところ。
原爆投下前の市中央部。同心円の中心が爆心地。
その上方の白い部分左側の黒い部分が旧境内で、相生通りから白い部分に沿って北に向かって旧参道があった。下の鳥居があったのは相生通りから参道に入ってすぐのところ。
1945年原爆投下後の市中心部。中央やや右を縦断するのが相生通りであり、その上方にT字橋の相生橋がある。その右側に境内が見える。
1945年原爆投下後の市中心部。中央やや右を縦断するのが相生通りであり、その上方にT字橋の相生橋がある。その右側に境内が見える。

廣島護國神社(ひろしまごこくじんじゃ)とは、広島県広島市中区にある護国神社である。

概要

広島城址公園内にある。祭神は第二次世界大戦までの広島県西部(旧安芸国)出身の英霊のほか、広島市への原子爆弾投下によって犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒および女子挺身隊等など含め約9万2千柱である。

毎年中国地方で最も多くの初詣客が訪れ、毎年1月1日から7日までの初詣参拝者数は50万人を超える。市の中心部に位置し交通の便が良いことから、広島市民の多くが初詣に訪れる。同県には厳島神社があるが、こちらはJR宮島連絡船もしくは宮島松大汽船を利用しないと行けないため、広島護国神社よりも少ない。

また、地元プロ野球球団・広島東洋カープが必勝祈願のためチームとして参拝することでも知られている。キャンプインの1月に行われることが多い。

沿革

  • 1868年明治元年) - 戊辰戦争に従軍して戦死した広島藩士を祀る「水草神社」として建立
  • 1876年(明治8年) - 官祭招魂社となる。
  • 1901年(明治34年) - 官祭広島招魂社と改称
  • 1934年(昭和9年) - 社殿の老朽化に伴い、西練兵場(現在の広島市民球場付近)の西端に移転。
  • 1939年(昭和14年) - 広島護国神社と改称
  • 1945年(昭和20年) - 原爆により大鳥居以外は完全に破壊される、
  • 1956年(昭和31年) - 現在地に再移転し、再建される。
  • 1993年(平成5年) - 今上天皇御大典記念事業として現在の社殿などが建立される。
  • 2009年(平成21年) - 拡張工事を全竣功した。

歴史

原爆被災

1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下当時、護国神社は旧広島市民球場周辺にあった。原爆投下時に大鳥居を除き、当神社の建物は全て原爆で失われた。1956年(昭和31年)に現在地に移設の上で再建された。唯一残された大鳥居に関しては、中国放送横に移設された。以後小祠を設けて祭祀を続けられている。

平成の拡張工事

1998年(平成10年)に創建130周年を迎え、それに伴い施設の拡張工事を行っていたが、2009年(平成21年)に全ての工事を竣功した。その際、当神社は広島城本丸の南西部(江戸時代には馬場があった場所)に所在しているため、広島市から著しい景観変更を伴う改築をしないように答申されたため、社頭整備に11年もの歳月を要した。

アクセス

鉄道・新交通システム

車・バス

紙屋町バス停・紙屋町県庁前バス停・広島バスセンターから北へ徒歩約15分

駐車場
  • 最寄りの広島中央駐車場(地下)か基町パーキング(地下)などに駐車することはできる。駐車場から北へ徒歩約10分。
  • それ以外にも広島市内中心部には、広島城駐車場(観光バス専用)や広島市営駐車場など多数があるため、選択できる駐車場所は沢山ある。

関連項目

外部リンク