黄電
黄電(きいでん)は、名古屋市営地下鉄東山線・名城線(一部は現・名港線)に在籍した車両群の愛称。
概要
1957年(昭和32年)11月15日に1号線(現・東山線)名古屋 - 栄町(現・栄)間が開業した。開業時に営業運転を開始した100形は名古屋市出身の画家杉本健吉が「暗い地下鉄内でも明るく見えるように」ということで採用した黄色1色(正確にはウィンザーイエロー)の塗装で登場した[1]。この100形は名古屋市民を驚かせ、いつしか地元の女子高校生によって「黄電」と呼ばれるようになった。
共通の特徴として非冷房[注 1]、全車電動車、蛍光灯の隅配置、荷物棚の非設置などがある。「黄電」という名称に対し、名古屋市営地下鉄の冷房車のことを「銀電(ぎんでん)」と呼ぶこともあった。
名古屋市交通局が設立100周年を迎える2022年度(令和4年度)には100周年事業の一環として東山線と名城線・名港線で黄電のラッピング車両が運行される[3][4]。東山線では5050形5177編成[5]、名城線・名港線では2000形2134編成に黄電を模したラッピングが施されている[6]。資金はクラウドファンディングで集められた[6][7]。
車両
一般的に「黄電」とは次の7系列(16形式)を指す。
- 東山線
- 名城線(現・一部は名港線)
系譜
ウィンザーイエローは黄電の営業運転終了後も東山線のラインカラーとして帯を5000形・5050形・N1000形の腰部に巻いている。なお、N1000形の導入に伴い、5000形は2015年(平成27年)8月28日を最後に営業運転を終了した[8]。
廃車
1980年代以降、名古屋市営地下鉄の冷房車(5000形・5050形・2000形)の導入に伴い、名城線(現・一部は名港線)1000形系列は2000年(平成12年)3月31日、東山線300形は4月11日[9][10]を最後に営業運転を終了したことにより、名古屋市営地下鉄の非冷房車は営業線上から姿を消した。
脚注
注釈
出典
- ^ “<通風筒>”. 中日新聞Web (chunichi.co.jp). 中日新聞社 (2022年7月30日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “名古屋地下鉄の車両が、福井県と香川県で活躍中”. 中日新聞Web (chunichi.co.jp). 中日新聞社 (2015年12月26日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “地下鉄開業から40年以上活躍、通称「黄電」復活プロジェクト始動”. 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp). 読売新聞社 (2022年4月18日). 2022年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “黄電が〝復活〟出発進行! 名古屋市地下鉄、記念事業で”. 中日新聞Web (chunichi.co.jp). 中日新聞社 (2022年8月1日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年8月1日)”. 市営交通100年祭(名古屋市). 名古屋市交通局. 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ a b “名古屋市営地下鉄「黄電メモリアルトレイン」、8月1日より運行!”. 鉄道ホビダス (hobidas.com) (2022年7月26日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “ウィンザーイエローを再び!『黄電復活』応援プロジェクト クラウドファンディングの実施等について” (PDF). 名古屋市交通局(city.nagoya.jp) (2022年4月11日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “名古屋市地下鉄 東山線初の冷房車が引退に”. 中日新聞Web (chunichi.co.jp). 中日新聞社 (2015年8月29日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年4月12日)”. 市営交通100年祭(名古屋市). 名古屋市交通局 (2022年4月12日). 2022年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。
- ^ “祝還暦、頼れる交通網 名古屋市営地下鉄が15日に開業60年”. 中日新聞Web (chunichi.co.jp). 中日新聞社 (2017年11月15日). 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月1日閲覧。