喜佐姫
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喜佐姫(きさひめ、慶長2年12月14日(1598年1月21日) - 明暦元年6月25日(1655年7月28日))は、江戸時代初期の女性。北ノ庄藩主結城秀康の次女。長州藩主毛利秀就の正室。綱広、登佐(松平光長正室)、竹(鷹司房輔室)の母。
生涯
[編集]慶長2年(1598年)、大坂城にて生まれる。母は三谷氏。慶長13年(1608年)6月16日、徳川秀忠の養女となった。慶長15年(1610年)に毛利秀就に嫁ぎ、4男3女をもうけたが、そのうち4人は早世した。慶安2年(1649年)4月に落飾し、龍昌院(龍照院)と号した。明暦元年(1655年)に死去した。享年59。天徳寺に葬られた。戒名は龍照院長誉光山秋英大禅定尼。
参考文献
[編集]- 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)続群書所類聚刊行会
- 寛政重修諸家譜