コンテンツにスキップ

高林隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年8月30日 (金) 16:34; Aki no Momijigari (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
高林 隆
名前
カタカナ タカバヤシ タカシ
ラテン文字 TAKABAYASHI Takashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1931-08-02) 1931年8月2日
大日本帝国の旗 大日本帝国, 埼玉県さいたま市[1]
没年月日 (2009-12-27) 2009年12月27日(78歳没)
日本の旗 日本, さいたま市見沼区[1]
身長 164cm
体重 61kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1947-1949 日本の旗 春日部高校
1950-1954 日本の旗 立教大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1954-? 日本の旗 田辺製薬
代表歴2
1953-1958 日本の旗 日本 9 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2009年12月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 2009年12月27日)は、埼玉県さいたま市出身[1]サッカー選手。ポジションはMF

来歴

[編集]

埼玉県立春日部高校時代に頭角を現し3年次に高校選手権埼玉県予選優勝。1950年に立教大学へ進学し3年次の1953年に大学選手権優勝に貢献すると、4年次に日本代表に選出された。また関東大学選抜にも1年次から選出されている。

1953年に、日本学生選抜に選出され西ドイツドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場。この選抜員には長沼健岡野俊一郎らといった日本サッカーの中枢となる人物が多数参加していた。

卒業後の1954年に田辺製薬に加入、3度の全日本実業団選手権優勝(1954年、1955年、1957年)に貢献した。

日本代表としては1953年11月29日ユールゴーデンIF(スウェーデン)戦で代表デビュー。1954年の1954 FIFAワールドカップ・予選、第2回アジア競技大会、1956年のメルボルン五輪、1958年の第3回アジア競技大会に参加するなど、国際Aマッチ6試合出場2得点を記録した。

2009年12月27日さいたま市見沼区心不全により死去した[1]

所属クラブ

[編集]

代表歴

[編集]

出場大会

[編集]

試合数

[編集]
  • 国際Aマッチ 9試合 2得点(1954-1958)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1953 0 0 1 0 1 0
1954 3 2 0 0 3 2
1955 5 0 1 0 6 0
1956 0 0 3 0 3 0
1957 0 0 0 0 0 0
1958 1 0 0 0 1 0
通算 9 2 5 0 14 2

出場

[編集]
No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1954年03月14日 日本の旗東京都 明治神宮外苑競技場  韓国 △2-2 竹腰重丸 ワールドカップ予選
2. 1954年05月01日 フィリピンの旗マニラ  インドネシア ●3-5 アジア大会
3. 1954年05月03日 フィリピンの旗マニラ  インド ●2-3 アジア大会
4. 1955年01月02日 ミャンマーの旗ラングーン  ビルマ △1-1 国際親善試合
5. 1955年01月05日 ミャンマーの旗ラングーン  ビルマ ●0-3 国際親善試合
6. 1955年01月08日 ミャンマーの旗ラングーン  ビルマ △1-1 国際親善試合
7. 1955年01月11日 ミャンマーの旗ラングーン  ビルマ ○1-0 国際親善試合
8. 1955年10月09日 日本の旗東京都 後楽園競輪場  ビルマ △0-0 国際親善試合
9. 1958年05月28日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  香港 ●0-2 川本泰三 アジア大会

得点数

[編集]
No. 開催日 開催地 会場 相手 結果 大会
1 1954年05月01日 フィリピンの旗マニラ  インドネシア ●3-5 アジア大会
2 1954年05月03日 フィリピンの旗マニラ  インド ●2-3 アジア大会

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『輝く埼玉サッカー75年の歩み』(埼玉県サッカー協会、1983年)
  • 日本代表歴代記録 - 日本サッカー協会

外部リンク

[編集]