垂井宿
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垂井宿(たるいじゅく)は、中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡垂井村(現・岐阜県不破郡垂井町)に存在した。
概要
[編集]西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。酒造業も営んでいた栗田家が本陣を務めた。
概略
[編集]最寄り駅
[編集]史跡・みどころ
[編集]垂井宿の史跡・みどころ
[編集]- 垂井追分道標(中山道・美濃路分岐点)
- 東の見付跡
- 旅篭亀丸屋(浪花講の指定旅館であった。現在も営業)
- 垂井の泉(垂井の地名の由来となった泉)《画像》
- 南宮大社大鳥居
- 南宮大社石鳥居(国の重要文化財)
- 油屋宇吉家(かつての商家・商人宿)
- 本龍寺(山門は脇本陣から移築)
- 垂井城跡
- 八重垣神社
- 西の見付跡
- 竹中氏陣屋跡《画像》
- 青莪記念館
- 金蓮寺(結城合戦の際に、足利安王丸・春王丸兄弟が殺害された)
関ヶ原宿までの史跡・みどころ
[編集]ゆかりの人々・主な通行
[編集]- 松尾芭蕉 - 本龍寺に一冬、滞在した。
- 赤報隊 - 1868年1月18日~21日、岩手に滞在。この間、竹中陣屋の明け渡し。北村与六郎他、約20名が加わる。
- 東山道総督府 - 1868年1月29日滞陣。
隣の宿
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]座標: 北緯35度22分17.6秒 東経136度31分33.7秒 / 北緯35.371556度 東経136.526028度