明瀬諒介
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北海道日本ハムファイターズ #65 | |
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2024年3月 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市東区 |
生年月日 | 2005年8月25日(19歳) |
身長 体重 |
183 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 2023年 ドラフト4位 |
年俸 | 530万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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明瀬 諒介(みょうせ りょうすけ、2005年8月25日 - )は、大阪府堺市東区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]堺市立日置荘西小学校4年生の時にソフトボールを始める。早くからプロ入りを見据え、進路を選ぶ際は「プロに教えてもらいたい」という基準を設けており、堺市立日置荘中学校在学時は元プロ野球選手の小川亨が監督を務める大阪挟山リトルシニアでプレーした[2]。
小川と同じく元プロ野球選手の佐々木誠が監督を務める鹿児島城西高等学校へ進学。佐々木から「広角に長打を放つための秘訣」を授かり、長打力が開花した[2]。1年秋から中軸を打ち、投手も兼任。2年秋は背番号1を背負った。3年夏は鹿児島大会準決勝で鹿屋中央に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった[3]。試合後に野手一本でのプロ志望を明言し、2023年9月7日にプロ志望届を提出した[4][5]。10月26日のドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから4位指名を受けた[6]。11月11日には契約金3500万円、年俸530万円で仮契約をした[7]。11月26日に新人選手の入団会見が行われ、背番号が「65」に決まったことが発表された[8]。
選手としての特徴
[編集]高校通算49本塁打を記録した強打者。遠投110mの強肩も備え、投手としても最速152km/hを記録していた[2][4]。
人物
[編集]野球を始めた頃から大の阪神ファンで幼少期はマット・マートンに目を輝かせていた[9]。
詳細情報
[編集]背番号
[編集]- 65(2024年 - )
脚注
[編集]- ^ 「日本ハム - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2024年11月27日閲覧。
- ^ a b c 「【スポニチスカウト部(6)】鹿児島城西・明瀬諒介 広角の長打力で“伝説”プロでも」『スポニチ Sponichi Annex』2023年3月14日。2023年10月26日閲覧。
- ^ 「鹿屋中央が聖地王手 投打の柱が躍動!谷口完投&大谷3安打3打点 鹿児島城西に春の雪辱」『スポニチ Sponichi Annex』2023年7月21日。2023年10月26日閲覧。
- ^ a b 「「野手でプロ一本」鹿児島城西の二刀流・明瀬諒介が表明 最後の夏は準決勝敗退【全国高校野球選手権鹿児島大会】」『西スポWEB OTTO!』2023年7月21日。2023年10月26日閲覧。
- ^ 「九州国際大付・佐倉侠史朗らがプロ志望届 注目の左のスラッガー…計6選手が提出」『Full-Count』2023年9月7日。2023年10月26日閲覧。
- ^ 「【ドラフト】鹿児島城西・明瀬諒介が日本ハム4位指名 タイの舟盛りに「生ものが苦手」と苦笑い」『日刊スポーツ』2023年10月26日。2024年7月1日閲覧。
- ^ 「【日本ハム】ドラ4「ビッグマン」明瀬諒介、新庄剛志監督へ「バッティングを見てもらえたら」」『日刊スポーツ』2023年11月11日。2024年7月1日閲覧。
- ^ 「「4番サードでお願いします」日本ハム明瀬諒介選手が入団会見」『NHK』2023年11月26日。2024年7月1日閲覧。
- ^ 「鹿児島城西・明瀬諒介 最速152キロ&49本塁打!九州の「二刀流」怪童/指名を待つ男たち」『日刊スポーツ』2023年10月21日。2023年10月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 明瀬諒介 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 65 明瀬 諒介 選手名鑑 - 北海道日本ハムファイターズオフィシャルサイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE