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ピーコ

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ピーコ
本名 杉浦 克昭(すぎうら かつあき)
生年月日 (1945-01-18) 1945年1月18日
没年月日 (2024-09-03) 2024年9月3日(79歳没)
出生地 日本の旗 日本神奈川県横浜市保土ケ谷区
死没地 日本の旗 日本・神奈川県
血液型 A型
職業 タレントファッション評論家シャンソン歌手
活動期間 1975年 - 2021年
著名な家族 おすぎ(弟)
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ピーコ1945年昭和20年〉1月18日 - 2024年令和6年〉9月3日[1][2])は、日本タレントファッション評論家ジャーナリストシャンソン歌手である。本名は杉浦 克昭(すぎうら かつあき)。 映画評論家おすぎ一卵性双生児の弟で、ともにデビュー時から同性愛者であることを公表し、そのキャラクターを活かしてタレント、コメンテーターとして活躍していた。兄弟姉妹は双子の弟のおすぎの他に姉が2人いる。ピーコの名付け親は永六輔[3]

人物

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横浜市立桜丘高等学校を経て、文化服装学院研究専門部卒業。

主にタレント及びファッション評論家として活動するが、シャンソン歌手としても活動。活動は多くはないがCDを出したり、コンサートも行っていた。

生い立ち

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高校卒業後には横浜トヨペットに入社したが、電飾工場への転職を経て、1964年昭和39年)にサンヨーレインコートに入社した[注 1]。24歳の時、「今後ファッションの仕事をしていくには基本から勉強しなくてはいけない。素材やデザインなどにも精通していなければプロとは言えない」「(シャンソン歌手の)イブニングドレスが作りたい」との気持ちから、弟・おすぎが阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業・広告代理店に就職したのを機に、サンヨーレインコートを退職して、文化服装学院のデザイン科に入学した。

芸能界

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芸能界との関係は26歳の時、弟を通じて裏方としてドラマ衣装の製作を頼まれたのが最初である。1975年(昭和50年)、おすぎと共に、双子オカマコンビ、「おすぎとピーコ」としてテレビ・ラジオデビューした。

これまで出演した番組の中でも長いのは「辛口ピーコのファッションチェック」で、TBSの『3時にあいましょう』に始まり『スーパーワイド』、フジテレビの『ビッグトゥデイ』や、後に司会を務めた同局の『2時のホント』、その番組終了後は再びTBSに戻り『ジャスト』、そしてフジテレビの『F2スマイル』へと、局をまたいでコーナーが引き継がれている。毎日放送(近畿広域圏におけるTBS系列の準基幹局)制作のテレビ番組にも、2005年度の『っちゅ~ねん!』からパネラーとしてレギュラーで出演。同番組が終了した2006年4月から『ちちんぷいぷい』へ異動すると、2021年3月中旬に最終回を迎えるまで、月1 - 2回のペースで生放送への出演を続けていた。

1989年(平成元年)、悪性黒色腫の診断を受けて左眼を摘出し、義眼を挿入した。その頃から、トレードマークとなっている黄色いレンズの眼鏡をかけるようになったが、この病歴から公共広告機構(現:ACジャパン)の『アイバンク』のCMにも出演した。おすぎ経由でドレスを作って以来の大親友である女優、吉行和子は、ピーコの癌治療の際、東京から小田原の病院まで毎日お見舞いに通っていたという。手術以降、ヒットする仕事が無い時期もあったピーコであるが、『SMAP×SMAP』で中居正広が自身のパロディキャラクター「ヒーコ」を演じたことから再び人気となった。

2008年平成20年)の時点では、月曜日の午前中に『とくダネ!』(フジテレビ)へ出演した後に、新幹線で大阪に移動。夕方から『FNNスーパーニュースアンカー』(関西テレビ)でコメンテーターを務めていた。そのまま大阪で1泊すると、翌日(火曜日)の15:00から『ちちんぷいぷい』へ3時間近くにわたって出演。通常は本番終了後に東京へ直帰していたが、年度下半期(ナイターオフ期間)には、『上泉雄一の発信!UWAらじお』(MBSラジオで夜間に放送されていた生ワイド番組)にも月に1回のペースで出演していた。『ちちんぷいぷい』では後に『ピーコ&ナジャの声出ちゃってごめんなさい』(木曜日に不定期で放送されるナジャ・グランディーバとの関西ロケ企画)にも登場しているが、同種の情報番組と違って「ファッションチェック」を披露することはほとんどない。

芸能活動休業

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70代に入ってからも精力的に芸能活動を行っていたが、2021年夏頃からおすぎに認知症の兆しが見られ、おすぎはレギュラー番組を降板し芸能活動を休業。弟の身を案じたピーコはおすぎと同居を始めた。しかし、この同居生活を機に兄弟仲が再び悪化。ピーコにも認知症の症状の一つである思い込みと妄想癖の症状が現れたため、2022年2月に同居生活を解消した。おすぎは要介護認定を受け、横浜市の高齢者施設に入居した[4]

ピーコは2022年3月にローカル番組『ただいま!テレビ』(テレビ静岡)に出演したのを最後に芸能活動は行っていない[5]。先立って2021年春頃に事務所を閉鎖し清算手続きを完了していた[注 2]。おすぎとの同居解消後は一人暮らしをしており、以後2人はお互いの消息を知らない状態となった。

2022年4月、ピーコは『女性セブン』の取材に応じた際に「おすぎ? おすぎはもう死にました」と答えた。2023年3月下旬に再び女性セブンからの取材に応じていたが、この際にも「おすぎはもう死んだのよ」と繰り返した。2023年4月にピーコが同年3月下旬から自宅から姿を消し行方不明になっていると『週刊女性』が報道した[6][注 3]。この報道後、『爆報! THE フライデー』(TBS)のスタッフがピーコとおすぎの親しい関係者と連絡を取り、ピーコが高齢者施設に入所していることが確認できたと、同月の『サンデージャポン』(TBS)で報じられた[7]

死去

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2024年9月3日敗血症による多臓器不全のため、神奈川県内の病院で死去した。79歳没。訃報は同年10月20日に明らかになった[1]。ピーコの最晩年は先述の通り、認知症の進行も進んだことで行政担当者と代理人弁護士の判断もあり、高齢者施設に入居。その後、同年8月に体調を崩して入院していた[8]

葬儀は近親者により済まされた。喪主はおすぎが務めたとされているが、複数のメディア記事によれば、おすぎも認知症で高齢者施設に入居している事などから、葬儀に参列できなかったとされる[9][10][11]

その他のエピソード

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  • “ピーコ”の名は、サンヨーレインコート時代の倉庫での作業時のお喋りが多く、「ピーピーうるさいぞピーコ!!」と言われたのが契機。
  • 遅刻することを嫌うため、仕事先へ車で移動する事を一切せず、地下鉄や電車等の公共交通機関を利用している。
  • 好きなブランドはコムデギャルソン
  • 芸能界以外の世界の女友達も多い。これらについてはピーコの著書に詳しく書かれている。
  • 2005年3月、「マガジン9条」発起人となった[12]。ただし、おすぎ共々番組出演の際には基本的に政治的な発言はほとんどしない。東郷健など、LGBTの権利を主張する人物や団体とも距離を置いている。実際ピーコは「選挙演説は凄い事を言っているとは思うけど、あの人の戦いはすっごく敵を一杯作る戦いで、自分から作っていった戦いだからね。猥褻の事から警察とか権力への事とか。ああ言う人が大事だったのかどうかって評価するかどうかは別にして、そう言う人が刀が尽き、矢が折れて敗北して亡くなっていった。だから、私達の様なオネエと言われるオカマも“ああ、ああいう人もいたんだなあ。”って後で思い出されるくらいで丁度いいと思うの。」と、東郷とは一線を画した立場にあった事を発言している[13][注 4]
  • 更に彼らと同じLGBTの当事者である美輪明宏はおすぎが口にする「どうせ私たちはオカマだから」と言う物言いに対し、「自分は同性愛に対する偏見に対して闘ってきたのに、あの二人(おすぎとピーコ)はテレビで、偏見に満ちた蔑称である“オカマ”という言葉を自分達から連呼して、あえて笑われ者になる事で、同性愛者への偏見を助長している。折角同性愛が市民権を得てきたのに、歴史が逆戻りする事になる。その根性が実に卑しい。消えてしまえばいい。この、馬鹿者どもが!」と厳しく批判、「昔はコンサートや舞台公演等に招待していたが、今は絶縁している」と語り、ある時期から会っていない事を公表している[14][注 5]
  • またおすぎとピーコと交流や共演経験があった美川憲一は、芸能活動休業後の2人の様子に関する一連の報道を受け、「今は昔に比べて“オカマ”なんかにも理解が進んできたけど、昭和の時代は“男は男らしく、女は女らしく”。その中でくじけずに頑張ってきたことはすごいことだと思います」と語っている。美川がシャンソンを歌うことについてテレビ番組でおすぎに面と向かって悪態をつかれたこともあり、その後シャンソンを始めたピーコが美川のもとにあいさつに訪れ、おすぎの言動を謝罪。美川は水に流しピーコを激励したという[16]
  • 兄弟は他に姉が2人いる[注 6]

出演

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テレビ番組

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ラジオ番組

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CM

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  • 公共広告機構(現:ACジャパン
  • リコー「IPSiO G707」(2004年)
  • アデランス「イヴファイン、イヴファイン・クイック」
  • 映画『アイズ』 - 映画のCMに出演するおすぎのパロディ。
  • 大塚ベバレジマッチ」(炭酸飲料) - 南明奈と共演。CMでは「10代以外は(MATCHを)飲んじゃダメ」と南が登場するVTRに対して、ピーコが「何で10代しか飲んじゃダメなのよ!?」と言ってMATCHを飲んだ所、逮捕[注 7]されてしまうという内容。
  • イシダ
  • フジテレビジョン「パリ国立オペラ」(2008年)
  • 日本和装「無料きもの着付教室」(2009年)

著書

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単著

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  • 『ピーコの乙女チョップ! トレンディ・ブスにならないために』シンコー・ミュージック、1988.11
  • 『片目を失って見えてきたもの』サンマーク出版、1999.9、のち文春文庫
  • 『ピーコ語録 ホントのことしか言わないわ。』河出書房新社、2006.4
  • 『センスを磨く心をみがく』幻冬舎、2007.10、のち文庫
  • 『そろそろホントの恋をしなさいよ』 (Sasaeru文庫) 成美堂出版、2007.9
  • 『バカな女は20分で飽きる』 (中経の文庫) 中経出版、2008.10
  • 『ピーことば ピーコの言葉 ハッピーなオバさんになりたければ、お読みなさいっ!』主婦の友社、2012.11

共著

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  • 『なに考えてるの?ばかネ ピーコとみち子のマニュアル化時代の性のトレンド学』鈴木みち子共著. 梨の木舎、1989.11
  • 『I 愛 eye よってたかって目の勉強・7年後』永六輔共編著. 講談社文庫、1996.10
  • 『ピーコ伝 ピーコこと杉浦克昭』糸井重里 聞き手. 日経BP社、2001.11、のち文春文庫
  • 『おしゃれの絵本 中原淳一ファッションブック』選・文. 平凡社、2003.2
  • 『ファッションファッショ』山田詠美共著. 講談社、2003.9、のち文庫
  • 『おすぎとピーコのこの映画を見なきゃダメ!!』学習研究社、2005.12
  • 『ピーコとサワコ』阿川佐和子共著. 文藝春秋、2005.2、のち文庫
  • 『ファッションファッショ マインド編』山田詠美共著. 講談社、2005.9 のち文庫
  • 『愛子とピーコの「あの世とこの世」』佐藤愛子共著. 文藝春秋、2008.3
  • 『お笑い自民党改憲案』谷口真由美,佐高信共著. 金曜日、2017.5
  • 井筒和幸井上ひさし香山リカ姜尚中木村裕一黒柳徹子猿谷要品川正治辛酸なめ子田島征三中村哲半藤一利松本侑子美輪明宏森永卓郎吉永小百合渡辺えり子)『憲法を変えて戦争に行こう―という世の中にしないための18人の発言』(岩波書店 [岩波ブックレット]、2005年、ISBN 4-0000-9357-6

レコード、CD

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LPレコード

シングル

  • 『逢いびき』(クラウン)(2004年1月19日)
    • カップリングの『別れの詩』は、アルバム未収録。尚、ジャケット写真はアルバムと同じでタイトル部分が違うだけである。

アルバム

  • 『恋は一日のように〜ピーコ シャンソンを歌う』(クラウン)(2004年1月19日)

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時、開局間もないフジテレビも受験したが、試験に落ちたとバラエティ番組で告白している
  2. ^ おすぎは認知症による判断能力の衰えもあって、2022年夏頃に事務所の清算が完了した。
  3. ^ スーパーで万引きを繰り返し相通報されたことがきっかけという。
  4. ^ 尚、その東郷も生前事ある毎に「オカマ」を連呼していた。
  5. ^ その一方で、おすぎは石原慎太郎に「君らは歌手か?」と聞かれ、「私はオカマです」と答えた所、「俺はナマコとオカマは大嫌いだ」と暴言を吐かれたことに激怒し、猛烈な口論を繰り広げたことがある[15]
  6. ^ 双子ではない。
  7. ^ 視聴者が実際のニュース映像と誤解しないために、ピーコが連行される場面ではレポーター役の女性が「ピーコさん」と呼称している。

出典

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  1. ^ a b "タレントのピーコさん死去、79歳…双子の弟と「おすぎとピーコ」で人気を博す". 読売新聞オンライン. 読売新聞社. 2024年10月20日. 2024年10月20日閲覧
  2. ^ ピーコさん死去、79歳 タレント、弟おすぎさんと活躍”. 時事ドットコム (2024年10月20日). 2024年11月10日閲覧。
  3. ^ 「おすぎとピーコ」 兄のピーコさん死去…「笑っていいとも!」で人気、おすぎは葬儀に参列できず”. スポーツ報知 (2024年10月21日). 2024年10月21日閲覧。
  4. ^ "おすぎとピーコ「50年ぶり同居で老老介護」の顛末 互いの消息を知らぬ現状". NEWSポストセブン. 小学館. 2022年5月10日. 2022年5月10日閲覧
  5. ^ ただいま!テレビ [@tadaima_tv] (2022年3月24日). "そして、きのうの「しずおかヒトモノコト」の最終回をもって、ピーコさんも番組ご卒業となりました". Instagramより2024年10月28日閲覧
  6. ^ ピーコが行方不明!エアコンとテレビをつけたまま姿を消す、警察の捜査に近隣住民不安の声”. 週刊女性PRIME (2023年4月10日). 2023年4月16日閲覧。
  7. ^ "「サンジャポ」が行方不明報道のピーコの無事を報道…高齢者施設に入っていることを確認". nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. 2023年4月16日. 2024年10月28日閲覧
  8. ^ "《たった5kmの距離だった》ピーコさん、弟おすぎとの非業の別れ「たまに昔を思い出して笑顔に」晩年は近くの違う施設で最後の時間を過ごした". 女性セブンプラス. 小学館. 2024年10月21日. 2024年10月28日閲覧
  9. ^ おすぎさん、喪主も認知症で「ピーコさんの死を認知できず」 大村正樹氏が状況明かす”. Yahoo!JAPANニュース. ENCOUNT (2024年10月21日). 2024年10月22日閲覧。
  10. ^ "「おすぎとピーコ」ピーコさん、79歳で死去". モデルプレス. ネットネイティブ. 2024年10月20日. 2024年10月28日閲覧
  11. ^ "芸能【独自】ピーコさんの葬儀喪主も参列しなかったおすぎ、元マネージャーが明かす現在の居場所と「世話する男性」". 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 2024年10月28日. 2024年11月11日閲覧
  12. ^ "マガジン9とは?". マガジン9. 2024年10月28日閲覧
  13. ^ 2012年6月放送のTBSラジオ『DIG~セクシャルマイノリティと芸能文化』より。
  14. ^ 2007年12月28日放送『中居正広の金スマ! 波瀾万丈スペシャル』にて。
  15. ^ "石原慎太郎 おすぎとピーコに「オカマとナマコは大嫌い」発言". NEWSポストセブン. 小学館. 2012年1月11日. 2024年10月28日閲覧
  16. ^ "「おすぎ」の死亡届を勝手に提出し…「ピーコ」さん死去 万引き騒動もあった"凄絶同居生活"の全容". デイリー新潮. 新潮社. 2024年10月21日. pp. 4–5. 2024年10月28日閲覧

関連項目

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