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浦野一美

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うらの かずみ
浦野 一美
AKB48時代の浦野一美
Japan Expo 2009にて)
プロフィール
愛称 CinDy(シンディー)
生年月日 1985年10月23日
現年齢 39歳
出身地 日本の旗 日本埼玉県坂戸市
血液型 O型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 154 cm / kg
スリーサイズ 79 - 57 - 77 cm
活動
デビュー 2005年12月8日
ジャンル アイドル
備考 元AKB48 (チームA→チームB)
元SDN48
元渡り廊下走り隊7暫定メンバー
元ネットアイドル
他の活動 女優
モデル: テンプレート - カテゴリ

浦野 一美(うらの かずみ、1985年昭和60年〉10月23日 - )は、日本歌手タレントである。埼玉県坂戸市出身。元プロダクション尾木所属。女性アイドルグループ・渡り廊下走り隊7の元暫定メンバー、AKB48およびSDN48の元メンバーである。

略歴

  • 2005年10月30日、『AKB48オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
  • 2005年12月8日、オープニングメンバー候補生20名のうちの1名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った(チームAに所属)。
  • 2007年2月、サポートメンバーとしてチームBへ異動した。異動後はチームBの実質的なキャプテンとしての役割や教育係として高く評価されていた[注 1]
  • 2007年10月11日、この日行われた『チームB 2nd Stage「会いたかった」』公演にて、AKSからプロダクション尾木への移籍を発表[1]
  • 2009年6月から7月にかけて実施された『AKB48_13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では17位で、シングル選抜入りを果たした。しかし、後述のSDN48への完全異動が発表されたため、結果的にAKB48のメンバーとしては最初で最後の選抜入りとなった[注 2]
  • 2009年8月1日から佐藤由加理大堀恵野呂佳代とともに、SDN48としても活動を始める。
  • 2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、2010年よりSDN48に完全異動し、同時にAKB48から卒業することが発表された。そして2010年4月16日のチームB4th公演千秋楽をもってAKB48を卒業した。
  • 『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100』で、2008年・2009年・2010年の3年連続で1位の曲(「桜の花びらたち」、「初日」、「言い訳Maybe」)に出演。3曲全てのオリジナルメンバーは浦野のみ。
  • 2011年5月4日の『SDN48 1st Stage「誘惑のガーター」』公演で、AKB48劇場でのAKB48時代からの通算公演出演回数800回を達成し[2]、AKB48→SDN48在籍中に通算828回[注 3]出演した。
  • 2012年3月10日、秋元康Google+上で渡り廊下走り隊7への暫定加入を発表した。AKB48の元メンバーがAKB48の派生ユニットに加入するのは、浦野が初めてとなる[3]
  • 2012年3月23日に行われたAKB48 コンサート「業務連絡。頼むぞ、片山部長! inさいたまスーパーアリーナ」で、渡り廊下走り隊7メンバーとして初お披露目された[4]
  • 2012年3月31日にNHKホールで行われた『SDN48 コンサート「NEXT ENCORE」 in NHKホール』をもってSDN48を卒業。
  • 2014年2月9日、Zeppダイバーシティ東京で行われた解散ライブをもって、渡り廊下走り隊7自体の活動が終了。
  • 2018年2月14日をもって所属していた芸能事務所のプロダクション尾木を辞めフリーランスとなった[5]
  • 2022年5月8日、6歳年下の男性との結婚をAKB48『3期生15周年公演』で報告した[6]
  • 2023年7月8日、第1子妊娠を報告[7]。10月23日、第1子女児の出産を報告した[8]

人物

  • AKB48加入当初は高橋みなみと並んでダンスが下手で、よく一緒に居残りをさせられていた[9]
  • 2008年、SKE48創設時に秋元康から移籍を提案され、冗談かと思い軽くOKしたところ、移籍が本決まりになりかけた[10]
  • 2009年4月から2012年3月まで放送されていた『CinDy Syndrome』(bayfm)で、当初は「AKB48の浦野一美です」と挨拶していたが、同年9月以降はAKB48との兼任期間中も含めて「SDN48の浦野一美です」と挨拶していた。また、『CinDy Syndrome』の前に放送されていた『ON8』でも当時のDJ・古川恵実子から「SDN48」と紹介されていた。
  • 前述のチームBに異動した際は、自ら「嫌われてもいいから叱る役」を買って出る一方、新メンバーと年齢の近い平嶋は「仲良くなって話を聞く役」となり、渡邊は「ふたりの中間でフォローする」よう役割を決めた[11]
  • AKB48劇場の15時30分開演の公演のことを「おやつ公演」と名付けた[注 4]
  • パティシエの叔父の影響で、スイーツ検定3級を取得[12]。ケーキ作りが得意で、その気になればいつでもケーキ店を開業できるほどの腕前。SDN48の全員卒業が発表された際には、仮に仕事がなくなったらパティシエに転向しようと考えて着々と準備を進めていた[9]

SDN48・AKB48在籍時の参加曲

シングルCD選抜曲

AKB48名義

SDN48名義

アルバムCD選抜曲

AKB48名義

SDN48名義

その他の参加曲

劇場公演ユニット曲

AKB48名義

チームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」公演

  • キスはだめよ(1st UNIT)
  • クラスメイト(2nd UNIT)

チームA 2nd Stage「会いたかった」公演

  • 恋のPLAN
  • リオの革命

チームA 3rd Stage「誰かのために」公演

  • ライダー

チームB 1st Stage「青春ガールズ」公演

  • Blue rose
  • ふしだらな夏

チームB 2nd Stage 「会いたかった」公演

  • 涙の湘南
  • リオの革命

チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」公演

  • 鏡の中のジャンヌ・ダルク

チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演

  • 天国野郎

SDN48名義

SDN48 1st Stage「誘惑のガーター」公演

  • じゃじゃ馬レディー

作品

映像作品

出演

テレビドラマ

バラエティ

テレビアニメ

映画

ゲーム

ラジオ

インターネットテレビ

  • 古坂大魔王のカツアゲ!(2012年4月、アメーバスタジオ) - 6代目見習い[注 9]

PV

舞台

イベント

  • ピーアーク presents 幕張メッセどきどきフリーマーケット2009(2009年5月3日、幕張メッセ国際展示場1 bayfm特設ステージ)
  • 浦野一美(シンディ)[注 10]のつまらない話を聞きながら美味しくスイーツを食べる会(2012年2月6日、AKB48 CAFE&SHOP AKIHABARA)
  • 浦野一美(シンディ)[注 10]の相当つまらない話を聞きながら美味しくスイーツを食べる会(2012年2月13日、AKB48 CAFE&SHOP AKIHABARA)

書籍

カレンダー

  • 浦野一美 2011年カレンダー(2010年9月30日、ハゴロモ)
  • 浦野一美 2014年カレンダー(2013年10月23日、トライエックス)
  • 浦野一美 2015年カレンダー(2014年10月4日、トライエックス)

脚注

注釈

  1. ^ 当時は、まだチームキャプテン制を敷いていなかった。
  2. ^ AKB48でのシングル表題曲での選抜は当該総選挙での1回のみとなったため、2013年12月時点では佐藤亜美菜とともに「選抜経験が選抜総選挙のみ」というメンバーとなっている。
  3. ^ AKB48:690回(チームA公演:247回・チームB公演:438回・研究生公演:5回)、SDN48:138回。
  4. ^ 2008年3月20日から2012年4月1日まで主に土曜日、日曜日および祝日に、12時00分(昼公演)、15時30分(おやつ公演)、19時00分(夜公演)の1日3回の公演を開催していたことがある。
  5. ^ 高橋みなみ(AKB48)の代理として「半田健人のDODONPA昭和名曲探訪」のコーナーに出演。
  6. ^ 2010年7月2日・8月13日・2011年1月7日に共演したクロちゃん安田大サーカス)、篠宮暁オジンオズボーン)とは番組内ユニット・タンクトップスを結成。
  7. ^ 大島麻衣・今井優・野呂佳代折井あゆみと共に、クレヨンフレンズ from AKB48 のユニットにて、オープニング曲『ユルユルでDE-O!』を歌う。
  8. ^ 写真のみの出演だが、エンディングのキャスト一覧に掲載。
  9. ^ 2012年4月度マンスリーレギュラー。
  10. ^ a b ()内の表記はAKB48 CAFE&SHOP AKIHABARAでのイベント名表記。

出典

  1. ^ 「シンディよ…流石です。」 - AKB48オフィシャルブログ(2007年10月12日)
  2. ^ 「ありがとう800回」 - 本人公式ブログ(2011年5月5日)
  3. ^ 秋元康 - Google+(2012年3月10日)
  4. ^ 「渡り廊下走り隊ニューフェイス??!」 - 本人公式ブログ(2012年3月25日)
  5. ^ “元AKB浦野一美が所属事務所を退社 活動継続”. 日刊スポーツ. (2018年3月22日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803220000403.html 2018年3月23日閲覧。 
  6. ^ “元AKB48浦野一美が結婚!3期生15周年公演でサプライズ発表 6歳下男性とお見合いで出会う”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2022年5月8日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/08/kiji/20220508s00041000729000c.html 2022年5月8日閲覧。 
  7. ^ “元AKB48浦野一美が妊娠報告「気付けば38歳の高齢出産枠となりました」 昨年5月結婚、秋頃出産予定”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年7月8日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/08/kiji/20230708s00041000312000c.html 2023年7月8日閲覧。 
  8. ^ “元AKB48浦野一美、第1子女児を出産 自身の38歳誕生日に報告「本当に嬉しいプレゼント」昨年5月に結婚”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年10月23日). https://hochi.news/articles/20231023-OHT1T51150.html?page=1 2023年10月23日閲覧。 
  9. ^ a b ロッチのだめだめラジオ・天使のお言葉』(2012年5月20日放送分)
  10. ^ 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』(集英社)p.70脚注
  11. ^ 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』(集英社)p49
  12. ^ 4度目の移籍 SDN 浦野一美「半泣きだった」 - スポニチ Sponichi Annex(2012年3月27日)
  13. ^ “AKB48秋元才加「新しい一面を見てほしい」 - 音楽劇『ACT 泉鏡花』”. マイナビニュース (マイナビ). (2010年8月25日). https://news.mynavi.jp/article/20100825-a029/ 2022年7月16日閲覧。 

外部リンク