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石橋 (能)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石橋物から転送)
石橋
作者(年代)
十郎元雅説が有力だが不詳
形式
現在能
能柄<上演時の分類>
五番目物
現行上演流派
観世・宝生・金春・金剛・喜多
異称
獅子
シテ<主人公>
前=尉又は童子 後=獅子
(文殊菩薩の使いである霊獣)
その他おもな登場人物
寂昭法師
季節
春 または 初夏
場所
唐の国、清涼山の麓
本説<典拠となる作品>
『十訓抄』ともいわれるが不明
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石橋』(しゃっきょう)はの作品の一つ。獅子口(獅子の顔をした能面)をつけた後ジテの豪壮なが見物、囃子方の緊迫感と迫力を兼ね備えた秘曲が聞き物である。なお後段の獅子の舞については古くは唐楽に由来し、世阿弥の時代には、猿楽田楽に取り入れられていた。

概要

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仏跡を訪ね歩いた寂昭法師(ワキ)は、中国の清涼山の麓へと辿り着いた。まさに仙境である。更に、ここから山の中へは細く長い石橋がかかっており、その先は文殊菩薩浄土であるという。法師は意を決し橋を渡ろうとするが、そこに現われた樵(前シテ)は、尋常な修行では渡る事は無理だから止めておくように諭し、暫く橋のたもとで待つがよいと言い残して消える。ここまでが前段である。

中入に後見によって、舞台正面に一畳台と牡丹が据えられ、後段がはじまる。「乱序」という緊迫感溢れる特殊な囃子を打ち破るように獅子(後シテ)が躍り出、法師の目の前で舞台狭しと勇壮な舞を披露するのだ。これこそ文殊菩薩の霊験である。

小書(特殊演出)によっては、獅子が二体になることもある。この場合、頭の白い獅子と赤い獅子が現われ、前者は荘重に、後者は活発に動くのがならいである。前段を省略した半能として演じられることが多い。まことに目出度い、代表的な切能である。

全文 観世流の場合

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名乗 ワキ「これハ大江の定基と云はれし、寂昭法師にて候。我入唐渡天し。はじめて彼方此方を、拝み廻り。只今清涼山に、参りて候。これに見えたるが石橋にて、ありげに候。暫く人を待ち、委しく尋ね。この橋を渡らばやと、存じ候

【一声】一セイ シテ「松風の。花を薪に吹き添へて。雪をも運ぶ。山路かな

サシ「山路に日暮れぬしょうか(漢字)牧笛の聲。人間萬事様々の。世を渡り行く身の有様。物毎に遮る眼の前。光乃蔭をや送るらん

下歌「餘りに山を遠く来て雲また跡を立ち隔て

上歌「入りつる方も白波の。入りつる方も白波の。谷の川音雨とのみ聞えて松の風もなし。げにやあやま(漢字)って半日の客たりしも。今身の上に知られたり今身の上に知られたり

ワキ「いかにこれなる山人に尋ぬべき、事の候

シテ「何事を、御尋ね候ぞ

ワキ「これなるハ承り及びたる、石橋にて候か

シテ「さん候これこそ、石橋にて候へ。向ひハ文殊の浄土、清涼山よくよく、御拝み候へ

ワキ「さてハ、石橋にて候ひけるぞや。さあらば身命を、佛力に委せて。この橋を渡らばやと、思い候

シテ「暫く候。そのかみ名を得給ひし、高僧達も。難行苦行、捨身の行にて。此処にて月日を、送りてこそ。橋をば、渡り給ひしに。

カカル シテ「獅子ハ小虫を食はんとても。まづ勢ひをなすとこそ聞け。我が法力のあればとて。行くこと難き石乃橋を。たやすく思い渡らんとや。あら危うしの御事や

ワキ「謂はれを聞けばありがたや。ただ世の常乃行人ハ。左右なう渡らぬ橋よなう

シテ「御覧候へ、この瀧波乃。雲より落ちて、数千丈。瀧壺までハ、霧深うして。身の毛もよだつ、谷深み

カカル ワキ「巌峨々たる岩石に

シテ「僅かに懸る石の橋 

ワキ「苔ハ滑りて足もたまらず

シテ「わたれば目も眩れ

ワキ「心もはや

上歌 地「上の空なる石の橋。上の空なる石の橋。まづ御覧ぜよ橋もとに。歩み臨めばこの橋の。面は尺にも足らずして。下は泥梨も白波の。虚空を渡る如くなり。危しや目も眩れ心も。消え消えとなりにけり。おぼろけの行人ハ。思いも寄らぬ御事

ワキ「尚々橋の謂はれ、御物語候へ

【打掛】クリ 地「それ天地開闢乃このかた。雨露を降して國土を渡る。これ即ち天の浮橋ともに云へり

サシ シテ「その外國土世界に於いて。橋の名所さまざまにして

地「水波の難を遁れ。萬民富める世を渡るも。即ち橋の徳とかや

クセ 地「然るにこの。石橋と申すハ人間の。渡せる橋にあらず。自れと出現して。続ける石の橋なれば石橋と名を名付けたり。その面僅かに。尺よりハ狭うして。苔はなはだ滑かなり。その長さ三丈餘。谷のそくばく深き事。千丈餘に及べり。上にハ瀧の糸。雲より懸りて。下ハ泥梨も白波の。音ハ嵐に響き合いて。山河震動し。雨土塊を動かせり。橋の気色を見渡せば。雲に聳ゆるよそほひの。たとへば(漢字)夕日の雨乃後に虹をなせる姿また弓を引ける形なり

シテ「遥かに望んで谷を見れば

地「足すさましく肝消え。進んで渡る人もなし。神變佛力にあらずハ誰かこの橋を渡るべき。向ひハ文殊の浄土にて常に笙歌の花降りて。笙笛琴箜篌夕日の雲に聞え来目前の奇特あらたなり。暫く待たせ給えや。影向の時節も今幾程によも過ぎし

                               【中入】

【乱序】後シテ  獅子

地「獅子團乱旋の舞楽の砌。獅子團乱旋の舞楽の砌。牡丹の英匂い充ち満ち。大筋力乃獅子頭。打てや囃せや牡丹房。牡丹房。黄金の蘂現れて。花に戯れ枝に伏し轉び。げにも上なき獅子王の勢ひ。靡かぬ草木もなき時なれや。萬歳千秋と舞ひ納め。萬歳千秋と舞ひ納めて。獅子の座にこそ。直りけれ


表現の揺れや不自然な漢字等があるが、謡本通りに記した

石橋物

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石橋は歌舞伎にも取入れられ、石橋物と呼ばれる作品群を形成するに至っている。演目としては、『石橋』(初期の作品でごく短いもの)、『相生獅子』(遊女がのちに獅子の舞を見せる華やかなもの)、『連獅子』(獅子の組合わせを親子に設定し物語性を持たせたもの)など多数。いずれも牡丹の前で獅子の舞を見せるが、連獅子では間狂言を挟むなど大作となっている。

参考文献・外部リンク

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