西岩部屋
西岩部屋(にしいわべや)は、日本相撲協会の相撲部屋である。二所ノ関一門に所属している。
沿革
[編集]2015年(平成27年)7月場所限りで現役を引退した元関脇・若の里は、年寄・12代西岩を襲名して田子ノ浦部屋で後進の指導に当たっていたが、2018年(平成30年)2月1日付で内弟子2人を連れて田子ノ浦部屋から独立した[1][2]。大阪宿舎の看板は住吉大社の高井道弘宮司が、部屋の看板は12代西岩本人がそれぞれ揮毫している[3]。
2019年3月までは所属力士個人のSNSアカウントについては本人に管理を任せていた[4]が、ネット利用の影響についてさまざまな角度から部屋で見直した結果、同年5月からは力士のSNS利用は閲覧のみとしている。番付とともに判断力を養い、投稿は原則として関取になってから認めることとなった。力士たちの生活については、場所ごとに発行している部屋の新聞や公式サイト・ブログで伝えている[5]。しかしそれから間もない2019年11月の阿炎による不適切な投稿が原因となり、翌年2月から日本相撲協会により現役力士のSNSへの投稿そのものが無期限で禁止されている。そして、部屋の公式ブログ・SNSも、誹謗中傷の増加を理由に2024年10月14日を以って終了した[6]。
誹謗中傷を受けた幹希の里(最高位・三段目)は10月23日に西岩部屋の公式サイトを通じ、3ヶ月に渡って誹謗中傷を行っていた犯人が実母・祖母だと知って実家と分籍を行ったと公表した。しかし今度は父が誹謗中傷を開始したと語っている[7]。
2021年4月には閉鎖された峰崎部屋から行司、呼出、床山の計4人を引き取った[8]。
現在の大相撲では主流となっているアマチュア相撲出身者や外国出身者に頼らず、自身と同じ中卒叩き上げ力士を育成する方針を貫いているためか力士の育成には苦戦しており、創設から6年以上が経過した2024年時点でも幕下昇進力士は出ておらず、三段目定着もままならないという状況が続いている。
所在地
[編集]師匠
[編集]- 12代:西岩忍(にしいわ しのぶ、関脇・若の里、青森)
旧・西岩部屋
[編集]年寄名跡「西岩」は元は大坂相撲の名跡であり、かつての名称は「西岩友」であった。東西合併時に廃家となったが昭和18年(1943年)に復活した年寄名跡である。
昭和22年(1947年)6月限りで現役を引退した若枩部屋の元幕内鯱ノ里一郎が襲名。引退後部屋付きの親方であったが、昭和29年(1954年)1月養父であり師匠の若枩親方より弟子を引き継ぎ若枩部屋を西岩部屋に名称変更する形で継承した。しかし、2年後の昭和31年(1956年)2月に先代が死去したため年寄名跡若松を襲名し名跡変更。部屋名も若松部屋に改称。2002年に現・高砂部屋となるまで存続した。
脚注
[編集]- ^ 2006年9月28日に年寄が部屋を新設できる条件を定めた規定が設けられて以降、横綱・大関以外で新規に部屋を創設したのは2016年6月1日に尾車部屋から分家独立し朝日山部屋を創設した元関脇琴錦以来2人目である。(若の里は三役を通算26場所、琴錦は三役を通算34場所務めていたため、三役通算25場所以上の規定を利用し部屋を創設した。)
- ^ “西岩親方が独立、浅草に相撲部屋「師匠の教え意識」”. 日刊スポーツ. (2017年11月30日) 2018年2月1日閲覧。
- ^ 『相撲』2018年3月号 p.33
- ^ “SNS休止のお知らせ(2019年3月17日)”. 古川彩(西岩部屋おかみ)ブログ. 2019年6月3日閲覧。
- ^ “SNS再開についてのお知らせ(2019年5月26日)”. 古川彩(西岩部屋おかみ)ブログ. 2019年6月3日閲覧。
- ^ 「誹謗中傷も目立つように」相撲部屋のSNS終了発表にファン動揺「とても残念」「これからも応援」 Sponichi Annex 2024年10月14日 16:35 (2024年10月14日閲覧)
- ^ 西岩部屋所属力士、誹謗中傷の犯人が「実母・祖母」だったと告白「親の醜態を目の当たりに…」謝罪と決意 ライブドアニュース 2024年10月24日 11時58分 (2024年10月25日閲覧)
- ^ 「峰崎部屋閉鎖を承認 力士全5人は芝田山部屋に転属」『日刊スポーツ』2021年4月1日。2021年4月1日閲覧。
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、39頁。
外部リンク
[編集]- 西岩部屋 公式ウェブサイト
- 西岩忍 公式ブログ - ウェイバックマシン(2018年5月1日アーカイブ分)
座標: 北緯35度42分29.6秒 東経139度47分34.4秒 / 北緯35.708222度 東経139.792889度