十四話目 いじめの対価
加藤健児。
彼は私と同じクラスの同級生。真面目ぶった、少し小太りの気持ち悪い男。いつも似たような子たちと集まって、漫画だのアニメだの、くだらない話で盛り上がっていた。典型的なオタク。
別にそれだけなら、たいして気にも留めなかっただろう。中学時代なんて、そんな子はクラスに何人もいたし、何を隠そう私自身、彼らと似たり寄ったりなものだったから。
悪い奴等とつるみ、学校にもろくに来ない私からすれば、毎日律儀に登校している健児の方がよっぽどマシな人間なのかもしれない。
だけど、私が健児を気に入らなかったのには、決定的な理由があった。
彼は、ちょっとだけ頭が良かった。
授業中、先生に指名されれば、まるで簡単な問題だとでも言うかのように、ドヤ顔で淀みなく答える。テストでもクラスで常に上位に食い込み、それをさりげなく自慢するような彼の態度が、私は無性に腹立たしかったのだ。
私の通う高校は、決して底辺と呼ばれるほどではない。けれど、だからといって頭の良い連中が集まる学校でもない。偏差値で言えば中の下、もしかしたら、それよりほんの少し下かもしれない。
私みたいな人間でも入れる程度の、高校だった。
健児もきっと似たようなものだろう。中学時代、彼が特別に成績優秀だったという話は聞かない。せいぜいクラスの真ん中あたり。可もなく不可もない、そこそこの成績。そんな普通の男だったはずだ。
それなのに。
入学したこの高校では、健児は『頭が良い』という立ち位置にいるらしい。学校の平均より、ほんの少し成績が良いというだけで、まるで何かを成し遂げたかのような顔をしていた。
鼻についた。いや……心の底から、気に入らなかった。
その自信満々の態度が、かつての『自分』と重なって見えたからかもしれない。誰かに勝った気になって、薄っぺらな優越感に浸っていた、愚かだったあの頃の私。あの姿が、健児に重なった。
それが、どうしようもなく癪に障った。
結局のところ、理由なんて後付けだ。私の身勝手な感情、理屈も正義もないただの嫉妬が、健児をいじめる理由になった。
最初は、本当に些細なことだった。悪口と呼ぶのも大げさな、軽口のような言葉。
「調子に乗るなよ、健児」、 「何、そのドヤ顔」
授業中にそんなことを呟いては、くすっと笑っていた。くだらない、ただの憂さ晴らし。でも、それはやがて形を変えていった。
言葉は刃に変わり、刃は拳へと姿を変えた。時間はかからなかった。あっという間だった。
私のやることを見て、和也が笑った。徹も、伸治も、面白がって加わった。そして美弥……彼女は、その光景をまるで退屈しのぎでもするような顔で眺めていた。
健児は黙っていた。反論も、反撃も、なかった。ただ、俯いて、耐えていた。
その姿が、また……腹立たしかった。
そのうち、健児は学校に来なくなった。
不登校。部屋から一歩も出ずに引きこもりになったなんて噂も耳にしたけれど、正直どうでもよかった。清々した!それが私の偽らざる感想だった。
確か一週間くらい前に、突然家から消えて行方不明になったなんて話をクラスの誰かが話題にしていたけれど、そんな言葉も私はあくびをしてあしらい、気にも留めていなかった。
まさか健児が、あんな姿になって私や私たちに復讐してくるなんて、私は夢にも思っていなかったのだ。
私は、彼に自分がしてきたことの一部始終を話した。もちろん、全てではない。とても人には語れない、悍ましい行為もあったのだから。
仙道さんは黙って、私の言葉に耳を傾けていた。相槌一つ打たず、私が紡ぐ醜い告白を静かに受け止めていた。そして、私がようやく言葉を終えると、彼はゆっくりと口を開いた。
「なるほど……、それで『アレ』は、執拗にエリカさんを狙っていた訳か。彼の怨みは、相当なものだね。すぐに殺さず、時間をかけて周囲の人間から殺し、君が恐怖に震える様を楽しむように見える」
仙道さんのその言葉は、まるで真実を抉り出すようだった。
あの山へ逃げ込んだ時も、奴はすぐに私を殺さなかった。私を追い詰め、恐怖に引きつる私の表情を、まるで獲物を観察するかのように冷酷に見つめていたのだ。
美弥が死んだ時も同じだ。まるで操り人形のように美弥をもてあそび、その無残な姿を私に見せつけるかのように弄んだ。
そして、智子の時も……。彼女は私たちのグループには属していなかった。私が健児をいじめていた時でさえ、「ちょっとエリカ!」と私を諫めようとしてくれた。
そんな優しい彼女を。奴は私の目の前で攫い、わざと私に悲鳴が聞こえるようにゆっくりといたぶり、そして喰った。まるで、私の神経を逆撫でするかのように……。
ただ、私は納得できなかった。
確かに最初にやったのは私だった。美弥と一緒になって、酷いことを言ったし、笑った。
けれど、途中から悪ノリし出したのは男たちのほうだったはずだ。私は、どちらかと言えば、途中から後ろで笑って見ていることのほうが多かった。直接手を下したわけじゃない、そう思っていた。
なのに、なぜ私だけが、こんなふうに精神的に追い詰められているのか。
どうして、真っ先に私を殺すようなことはせず、わざわざじわじわと、まるで楽しむように、少しずつ壊していくのか。
その意図が、まるで分からなかった。
きっと、あいつの狙いは私なのだと、分からせるためにこんな回りくどいやり方をしているのだ。
そんな疑念を口にすると、仙道さんは静かにうなずき、どこか諦めたような顔で口を開いた。
「……私はね、普段は神社で宮司をしてる。いわゆる、祓い屋ってやつだ。
いろんな人から相談を受けて、お祓いをしたり、呪いを解いたり……中には今回みたいに、『いじめ』が発端のものも少なくない」
淡々とした語り口の中に、どこか苦味の混じった声色が滲んでいた。
「その中でね、不思議なほど皆が口を揃えるんだよ。呪われた側の人間ってやつは、決まってこう言うんだ……『なぜ私ばかり?』『私以外にもいたじゃないか』ってね。
まるで今の君みたいな言葉を、何度も聞いてきたよ」
私は思わず黙り込んだ。
「いじめの理由はね、たいていくだらないものさ。嫉妬だったり、気まぐれだったり、あるいはただノリだったりね。
でもな、私はこう考えるんだ……、いじめる側の理由が理不尽なら、呪う側の理由も理不尽でいいってな」
その目には一切の感情がなかった。けれど、そこには冷たさもなかった。
ただ、事実を見つめ続けてきた者の、静かな覚悟のようなものがあった。
「人がどんな言葉で傷つくかなんて、他人には分からない。
同じ言葉でも、言われたタイミングや相手によって、深く刺さることもある。
君たちにとっては何でもない冗談でも、言われたその人間にとっては、一生忘れられない一言になることもあるんだよ」
仙道さんの声が、まるで鈍い鈍器のように胸にのしかかった。
「だから私は、たとえ理不尽な理由だったとしても、怨むことを否定しない。
理不尽な理由で虐げたのなら、その理不尽さを返される覚悟くらい持つべきだと思ってる。
……まあ、祓いをする宮司としては、こんな考え、間違ってるのかも知れないけどね」
その最後の一言は、どこか寂しげで、けれど確かな重みを持っていた。
私は何も言えず、ただその言葉の一つ一つが、鋭く胸を抉るのを感じるしかなかった。
「でも、かと言って君を見捨てることはしないよ。もちろんヤツも野放しには出来ない。ちゃんと葬らないとね。」
仙道さんの声が冷たく車内に響いていった。