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闇に咲く桃花  作者: しんいち
一章 勝又 江利香

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十六話目 八咫烏

私の視界に一つの黒い影が飛び込んできた。それはあまりにも巨大で、これまで見たどんな鳥とも似つかない、おぞましい程の巨体だった。夜空を優雅とすら言える滑らかさで羽ばたきながら、その影はゆっくりと、しかし確実にこちらへと迫り来る。


「な、なんなの、あの大きな鳥? ねぇ、仙道さん」


私は信じがたい光景に、思わず隣に立つ仙道さんの袖を引いた。彼の視線もまた、既に上空の一点に釘付けになっている。息を呑むような沈黙の後、仙道さんは静かに答えた。


「あれはね……カラスだよ。八咫烏という、三本足のカラスさ……エリカさんは聞いたことはないかい?」


仙道さんの言葉に、私は理解が追いつかず、首を傾げる。


「ヤタガラス? 知らない、なにそれ?」


「ほら、サッカーの日本代表のエンブレムにも使われている、三本足のカラス。古事記では、神武天皇が大和に来る際、八咫烏が道を示し、彼を導いたとされる伝説の神獣だよ。そして桃花くんに『従うモノ』の一柱だよ」


「従うモノ……?」


私は彼の言葉を反芻するが彼はそれ以上語らなかった。

ただ、徐々にその輪郭をはっきりさせる姿は、『神獣』という言葉からはほど遠い、禍々しい存在感を放っていた。まるで、天上から闇そのものが降臨してくるかのような、絶望的な様相である。



八咫烏は私達の真上まで到達すると、その巨大な翼が生み出す影が、周囲の光を全て吸い込み、深い闇へと包み込んだ。


不思議なことに、あれほどの巨体が羽ばたいているにもかかわらず、肌を撫でるような微風すら感じられない。それはまるで、現実とは隔絶された、幻の存在であるかのように、私達のすぐ近くまで舞い降りてきたのだった。


羽をぴたりと閉じたその姿は、いよいよその全貌を現した。それは、ただただ「大きい」という言葉しか思い浮かばない、戦慄を覚えるほどの巨体だった。


高さは六メートル、いや、それ以上だろうか?

かつて動物園で見たキリンさえも矮小に見えるような、漆黒の塊がそこにそびえ立っている。


仙道さんの話の通り、その体からは三本の足が伸びていた。爬虫類を思わせる鱗に覆われた足には、鋭利な刃物のように尖った爪が長く伸び、地面を掴むかのように存在感を主張している。


そして、頭部にある二つの金色の瞳が、私たちをじっと見据えていた。その視線に、私は身動き一つ取れないでいた。全身に鳥肌が立つ。


すると……八咫烏の方から、聞き慣れた桃花の声が響いた。


「仙道さん、お待たせ!今そっちに行くよ」


「桃花くん、急がなくて良いよ。私たちも今来たところだから」


こんな異様極まりない状況にも関わらず、二人はまるでいつもの日常会話でもするかのように、穏やかに言葉を交わしている。


この人たちは一体何者なのだろう……改めて吹き上がる疑念が私の心に暗い影を落とす中、「やあ、お待たせ!」と、桃花が八咫烏の巨大な影から姿を現し、私と仙道さんに軽く挨拶を交わした。

彼の後には、やはり小夜も付き従うように立っている。


どうやら二人でこの巨大な鳥の背に乗せてもらっていたようだ。桃花は迷うことなく八咫烏に手を伸ばし、その漆黒の体を優しく撫でながら声をかけた。


「すまないね!こんなところまで送ってもらって、助かったよ」


すると、信じられないことが起こった。


「いえ!桃花殿。これも我が役目、お気になさらぬように」


八咫烏が、喋ったのだ。


その威圧的な見た目に反し、透き通るような、優しげな男性の声だった。決して甲高いわけではない。心の奥底に染み渡るような、不思議な響きを持つ声。まるで「神の声」とはこういうものかもしれない、そんな錯覚を起こしてしまいそうなほど清らかな声だった。


「では、我は……」


「ああ!本当にありがとう、八咫烏。またよろしく頼むよ」


桃花が八咫烏にそう告げると、巨大な翼が大きく広げられ、八咫烏は再び夜空へと飛び上がった。


先ほどと同様、飛び立つ瞬間に風は一つも起きない。私達の上空をゆったりと旋回したその巨大な影は、突如として無数のカラスへと変わっていった。


「カァー、カァー、カァー……」


一体何匹いたのだろう?十匹などという数ではない。八咫烏は百近い無数のカラスへとその身を分け、漆黒の夜空へと吸い込まれるように消え去ったのだ。


夜空に描かれたその光景は、さながらテーマパークのスペクタクルショーのように幻想的で、息をのむほど美しかった。しかし、それが現実に起こっていると考えると、背筋に冷たいものが走るような恐ろしさも感じた。


すると今度は、私たちの後ろに控えていた狒々王が、桃花に向かって声をかけた。


「主よ。では私も!」


「すまない、狒々王。引き続きあいつの監視をお願いするよ」


「御意!」


そう言い放った狒々王は、闇に溶けるように姿を消したかと思うと、また小さな火の玉へと変わり、ゆらゆらと山の奥へと消え去っていった。

周囲は一気に静寂に包まれ、残されたのは私たち四人だけとなった。


「桃花、あんたいったい何者なの?」


私はもう、考えるより先に口が動いていた。立て続けに信じられない光景を目にし、これ以上何を聞かされても驚かない。そんな妙な自信さえ湧いてきていた。


「何者……う~ん、まあ!見ての通り、エリカさんと同じ高校生だよ。高校二年生!」


桃花は両手を広げ、まるで自分自身を確かめるかのように、飄々とした態度で答えた。


「えっ!年上なの?」


桃花の予期せぬ返答に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。私はてっきり、彼の言動から同い年か、あるいは年下だろうと勝手に思い込んでいたのだ。その予想が大きく外れ、驚きを隠せずにいた。


驚かないなんて、つい先ほどまで豪語していた私が、あっさりと不意を突かれ、あっけなく驚いている。そんなおかしな自分に、思わず苦笑いが漏れた。


桃花は、その笑いを自身に向けられたものと勘違いしたのか、「そんなに僕、幼いかな?」と、小夜と仙道さんにしつこく問いかけている。そんな桃花の、どこか間の抜けた様子を見ていると、つかの間ではあるが、心が和むような平穏を感じた。


「じゃあ、みんな、そろそろ行こうか!」


仙道さんの声が、木々のざわめきに溶けて響いた。彼の指し示す先には、古びた『(やしろ)』が、ひっそりと佇んでいる。


私たちはその背中を追い、促されるように社へと足を進めた。道すがらも、桃花は先ほどの出来事がよほど気になっているのだろう、「ねぇ、小夜!僕、そんなに子供っぽいの?」と、執拗に小夜に問いかけ続けていた。その声は、ひっそりとした山中に、かえって軽やかに響いた。


仙道さんが社の重々しい鍵を開けた、その途端だった。むっとするような埃っぽい空気が、まるで生き物のように流れ出し、思わず手で口元を覆った。


長年の淀みが凝縮されたかのような、どこか息苦しさを感じるその空間へ、私たちは覚悟を決めるように足を踏み入れた。


中は、外観から想像するよりもずっと広かった。四人が入っても窮屈さを感じさせない空間。

正面には、質素な祭壇が(しつら)えられ、その横には巨大な太鼓が鎮座している。そして、祭りの際に担がれるのだろうか、埃を被った御神輿が、部屋の隅にひっそりと置かれていた。


正直なところ、拍子抜けするほど「普通」の神社だった。


わざわざ車で二時間近くも山道を揺られてまで来る必要があったのだろうか。私の心中に沸き起こった不満は、抑えきれずに口をついて出た。


「ねえ?なにここ?普通の神社じゃない。わざわざこんな山奥にまで来た意味あるの?」


私の不平を聞いた桃花は、困ったように眉を下げて言う。


「うん!この神社はちょっと特別なんだよ。ちょっとゆっくり見ててくれるかな。」

桃花の言葉に促され、私は仙道さんの様子を伺った。


彼は私の言葉など耳に入っていないかのように、黙々と祭壇の前に置かれた小さなテーブルを横にどかすと、膝をついて懐中電灯を手に取った。その光は、床の一点を執拗に照らし、何かを探すように周囲を見回している。


やがて、彼の指がぴたりと止まった。彼はポケットに手を突っ込み、取り出した一本の鍵を、床のわずかな隙間に差し込んだ。


「ガチャ!」という乾いた音に続き、「ギーーーィ」と耳障りな軋みが辺りに響き渡ったかと思うと、床の一部が観音開きの扉のようにゆっくりと持ち上がった。


そこには、漆黒の闇へと続く、梯子が姿を現した。「バタン」と、重々しい音が追随し、社の空気は一瞬にして、ひんやりとした別の色に変わった。



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