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佳言




天文二十二年(1553年)  七月中旬      山城国葛野・愛宕郡 四条通り 三好邸 三好長慶




 「されば、これより申し上げる事は他言無用に願いまする」

 「うむ、承知した」

 胸が高鳴った。人払いをした上に他言無用とは……。

 「三好家の力は四国、畿内の大部分に及びまする。その実力は天下に並ぶもの無しと言えましょう。今川、武田、北条、長尾、朝倉、六角、畠山も及びますまい」

 「うむ」

 儂も負けるとは思えぬ。ここまでは前提じゃな。


 「なれど天下の諸大名は三好家を恐れても敬意は払いませぬ。むしろその勢いを疎みまする」

 「うむ。腹立たしい事ではある」

 苦い物が胸に満ちた。皆が儂を認めぬ。

 「何故と御思いにございましょうか?」

 「竹若丸殿も御存じであろう、三好家が陪臣の出だからじゃ」

 口調が苦味を帯びた。竹若丸が頷いた。


 「左様でございますな。三好家は清和源氏の流れ、にも拘らず認められぬのは皆が三好家は陪臣であるとしてその血が尊貴である事を認めぬからにございます」

 そうじゃ、同じ源氏であるのに三好家は陪臣であったというだけで認められぬ。理不尽でしかない。

 「先程足利尊氏公の事に触れました。尊氏公の為さり様ははっきり言って私には行き当たりばったりにしか思えず尊敬出来ませぬ。にも拘らず尊氏公が天下を取ったのは皆が尊氏公を源氏の嫡流と認めたからにございましょう。皆が尊氏公の身体に流れる血が尊貴である事を認めたからにございます」

 「うむ」

 素直に頷けた。

 「されば、皆が三好家の血が尊貴であると認めれば三好家は敬意を払われる存在になりまする」

 「確かにその通りじゃ」

 こういう話は大叔父や弾正とは話せぬな。妙なものよ、今日初めて会った童子と話すとは……。


 「筑前守様にお訊ね致しまする」

 「何であろう」

 「筑前守様は足利に敬意を払っておられましょうか?」

 竹若丸がジッと儂を見ている。嘘は吐くまい。

 「いや、表向きはともかく内心では払っておらぬ」

 竹若丸が頷いた。


 「足利が弱いからでございますな? 」

 「そうじゃ、それにあの者達の所為で父は死んだ」

 父三好元長は共に戦った平島公方家の義維様を公方にと望んだ。いや、それが当然だと思った。だが細川六郎は敵対していた義晴を公方に担いだ。義維様を、父を切り捨てたのだ。足利も細川も許せるものでは無い。


 「足利の様に弱く尊貴な者は力有る成り上がり者を嫌いまする。役に立っても嫌いまする。いや役に立てば立つほど憎みまする。あの者達が成り上がり者を可愛いと思うのは自分達の尊貴さを認め崇めた時のみにございます」

 「なるほど」

 父は剛毅な男だった。良いと思えば周囲の反対を押し切って行う事も有ると聞いた。六郎はそんな父を憎んでいたのかもしれぬな。父はそれに気付かなかったのだろう。となると儂の服属を受け入れたのも謝罪では無く優越心からかもしれぬ。弱い儂を顎で扱き使う事で父を嘲ったか……。思わず唇を噛み締めた。六郎、汝だけは許さぬ!


 「筑前守様が三好家を天下に認めさせようと御考えなら足利を、足利の血を崇める者を排除しなければなりませぬ。何故ならこの天下は足利が作ったものだからにございます。どれほど乱れても足利の血の尊貴さを認めた天下なのです。貴方様はそれを排除して三好家の血こそが尊貴なのだと天下に認めさせなければなりませぬ。先ず排除するのは細川、畠山、斯波、一色、山名、京極、赤松」

 「三管四職か」

 竹若丸が“はい”と頷いた。なるほど、管領、侍所の頭人を務めた家を叩くか。

 「斯波、京極は没落しておる。となれば残りは五家か」

 竹若丸が首を横に振った。


 「筑前守様、私は彼らを叩けとは申しておりませぬ」

 「……」

 「彼らに三好家の血こそが尊貴なのだと認めさせよと申しております。没落しているならば捜し出し筑前守様に跪かせられませ。その上で家を再興させ捨扶持を与えれば宜しゅうございます。その事に不満を漏らすようなら取り潰して首を刎ねるのです」

 「……」

 五歳の幼児が此処まで苛烈、酷薄な事を言うとは……。竹若丸がジッと儂を見ている。絡め取られるような圧迫感を感じた。声が出なかった。怯むものを感じた。戦場でも怯える事は無い。その儂が目の前の幼児に圧されている……。竹若丸が“フフフ”と含み笑いを漏らした。


 「酷いと思われますか? しかしこの天下を三好家の血を崇める者で満たさなければ三好家は認められませぬぞ。何時までも陪臣、成り上がり者にございます」

 「……確かにそうじゃ」

 「その後は三好家の武を天下に振るうのです。南は九州から北は奥州まで振るう。そして貴方様こそが武家の棟梁であると認めさせる」

 「……大変な作業よな」

 声が掠れた。出来るとは言えなかった、やるとも言えなかった。大変な作業だというのが精一杯だった。竹若丸が頷いた。


 「何十年とかかりましょうな。足利の天下も落ち着いたのは三代義満公の時代にございます」

 思わず溜息が出た。そこまでやらねば三好家は成り上がり者の名から解放されぬのか……。また竹若丸が笑った。

 「武を振るうとなればそうなります。武を振るわぬ方法もございましょう」

 「それは?」

 思わず身を乗り出していた。


 「武を振るわずとも天下に威を振るった者が居ります」

 「はて……」

 「鎌倉幕府は頼朝公が創られましたが源氏は三代で絶えましたな。しかし幕府は存続しております」

 なるほど、北条氏か。確かに北条は幕府の一豪族であったが天下に威を振るった。

 「それに鎌倉幕府も代を重ねるにつれて力を振るう様になったのは御内人(みうちびと)と呼ばれる得宗家の家臣でございました」

 「そうだな、彼らは陪臣であった」

 なるほど、幕府内にて威を振るうのではなく幕府そのものを乗っ取るか。さすれば儂の命は幕府の命となる。そうする事で徐々に儂が天下の執権になる、三好家が認められるという事か。


 道理で足利尊氏公が執権を置かず三管領四職を置いた筈よ。尊氏公は新たな北条が出るのを恐れたのだ。天下を奪われるのを恐れた。源氏の嫡流として鎌倉幕府と同じ(てつ)は踏むまいと思ったのだ。

 「フフフフフフ」

 気が付けば笑っていた。何と愚かな、今までその事に気付かずにいたとは……。今少し早く気付けば迷わずに済んだものを。


 「竹若丸殿、佳言忝い。筑前守、心から御礼申し上げる」

 「いえ、大した事は申しておりませぬ。そのように礼を言われては恐縮にございます」

 竹若丸が首を横に振った。

 「如何であろう。儂に仕えぬかな? お主ほどの人物が仕えてくれればこれ程心強い事は無いが」

 笑みを浮かべた。


 「御好意、忝のうございまする。なれどその儀は御無用に願いまする」

 「陪臣の三好家には仕えられぬかな?」

 竹若丸が笑った。儂も笑った。可笑しかった、陪臣という事を笑えるとは……。それもこの幼児ならそのような詰まらぬ物には拘らぬと思えるからであろう。

 「武家は生きるのが厳しゅうございます。これ以上母を悲しませる事は出来ませぬ。されば私は公家として生きて行く所存にございます」

 「左様か」

 儂は父を失った時十歳を超えていた、元服も間近で家臣達もいた。武士として身を立てるのは当然であった。母は如何思ったか……。竹若丸は領地も無ければ家臣も無い。母親は公家の出、息子が武家として生きるのは望まぬか……。


 「惜しい事だ、……弾正に送らせよう」

 「有難うございまする」

 「竹若丸殿、儂はこの乱世を懸命に生きて見せよう。儂が何者で何のために生まれて来たのかを証明するためにな」

 竹若丸が頷いた。


 「僭越ながら筑前守様の生き様、拝見させて頂きまする」

 「うむ」

 「御出陣でございますな、御武運を御祈り致しまする。御身御大切になされませ」

 「忝い」

 弾正を呼ぶと弾正と大叔父が現れた。


 「弾正、竹若丸殿が御帰りになる。御送りせよ」

 「はっ」

 弾正が儂を見ている。

 「丁重にな、決して非礼はならぬぞ」

 「はっ」

 弾正が一礼して竹若丸を促す。ホッとしたような表情が有った。竹若丸が儂に一礼してから立ち上がった。二人が立ち去ると大叔父が近寄ってきた。


 「殿、宜しいのでございますか?」

 「……」

 「あの童子、尋常ならざる者、いずれは三好家に仇為すやもしれませぬぞ。将来の禍根を断つためにも斬るべきではございませぬか」

 大叔父が儂の顔を伺うように見ている。

 「大叔父上、それはならぬ。あの者には儂の生き様を見届けて貰わねばならぬのだ」

 「……」

 大叔父が眉を顰めている。可笑しかった、声を上げて笑った。


 「鬼が出るか、蛇が出るかと思ったがとんでもない者が出おった。世の中は面白いわ、先が楽しみよ」

 飛鳥井竹若丸か、どんな公家になるやら……。また笑い声が出た。




天文二十二年(1553年)  七月中旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井竹若丸




 「酷い事はされませんでしたか?」

 心配そうに俺を見ているのは目々典侍、俺にとっては母親の妹だから叔母にあたる女性だ。本当の名前は千津という。宮中に出仕し皇太子である方仁(みちひと)親王の寵愛を受け娘を儲けている。娘の名は春齢、俺と同い年だ。


 「何もされませぬ。三好筑前守様と楽しく話をして帰ってきました」

 いかんな、疑い深い眼で俺を見ている。叔母にとって俺は守ってやらなければならない可哀想な存在らしい。本来なら継ぐべき家を追われた。そして飛鳥井家に戻っても直ぐに母親が再婚して出て行った。公家は貧しいからという事情は分かるが不憫で可哀想でならないという事らしい。頻繁に俺を呼び出して可愛がる。まあ可愛がると言っても書道の練習とか春齢の御守りをさせるとかだ。俺を呼び出せば義兄の雅敦も一緒だからな。娘の遊び相手にはぴったりという訳らしい。


 「本当に? 三好家ではそなたの事を尋常ならざる器量、斬るべきであったと言っている者も居ると聞きます」

 「良く分かりませぬ。何かの間違いでは有りませぬか」

 「間違いではないぞ、竹若丸。麿もその話は聞いておじゃる。斬るべきだと言ったのは三好孫四郎だ」

 伯父、飛鳥井左衛門督雅春が渋い表情で言った。三好孫四郎長逸か、あの場に居たからな、有り得る話だ。


 「兄上、暫くはこちらで竹若丸を預かった方が良いのではありませぬか?」

 「預かる?」

 伯父が素っ頓狂な声を出した。当然だよな、ここは宮中だよ。大体俺は無位無官なんだ。本当なら此処に居るのだって拙い。まあ甥だからって事で大目に見て貰っているが泊まるのは拙いだろう。


 「心配は要りませぬ。親王様には御許しを得ております。帝にも」

 「真か?」

 伯父が問うと叔母が頷いた。

 「帝も親王様も以前から竹若丸には関心をお持ちです」

 あー、この間の石鹸が効いたかな。それとも澄み酒かな。


 なんかトントン拍子で泊まる事になった。まあ俺も反対はしなかった。確かに危ない。三好筑前守長慶は俺を斬ろうとしたのだ。あの時はついやり過ぎた。ここで死ぬのかと思ったら腰が抜けそうになったわ。幸い長慶が止めてくれたから命拾いした。有難い事は俺は平然としているように見えたらしい。弾正が帰りに頻りに感心していた。ちょっとくすぐったかったな。

 

 三好筑前守長慶か。人間的には魅力に溢れた男だ。嫌いになるのは難しいな。出来れば好意的に評価したいがあの男には天下は獲れないだろうと思う。あの男は今三十代前半だ。そして畿内、四国の大部分を押さえている。信長が上洛したのも三十代前半、領地は尾張、美濃、伊勢の北部だった。条件としては信長よりも長慶の方が良いと言ってもおかしくは無い。だが三好家は長慶の時代に勢力を伸ばしはしたがその勢力は畿内と四国に止まった。信長の領土に比べれば遥かに小さい。


 何故長慶は信長の様に大きくなる事が出来なかったのか? 陪臣だというなら信長もそれは同じだ。むしろ信長の方が血筋は悪い。信長は陪臣の更に分家だった。勿論外的な要因は関係しているだろう。だが俺は何よりもあの男には信長と比べて足りない物が有ったのだと思っている。それは周囲が震え上がる程の酷烈さ、徹底さだ。


 信長を嫌う人間は居ただろう、侮蔑する人間も居たかもしれない。しかしその酷烈さ、徹底さを軽視する人間は居なかった筈だ。対一向一揆戦の血腥さ、浅井・朝倉の末路を見れば分かる。当然だが反逆、敵対するのは命懸けだ。誰もが二の足を踏んだだろう。だが長慶にはそれが無い。敵対しても和睦して戻している。だから義輝や晴元が何時までも跳梁する事になる。


 信長も義昭には手を焼いた。だが信長の場合は義昭との関係がおかしくなるのは元亀に入ってから、朝倉討伐からだ。元亀は三年しかなかった。そして信長は義昭を追放して改元したのだから信長は三年で義昭に見切りを付けた事になる。実際にはもっと前に見切りは付けただろう。だが武田信玄が病死し浅井・朝倉は瀕死の状態、義昭を追放しても支障はない状況まで待ったのだと思う。その後は義昭を戻す事は無かった。


 良い子過ぎるんだな。蛮勇を振るう事を避けている。三管四職を潰せと言ったら顔を強張らせていた。幕府の中に入って乗っ取れと言ったら露骨に喜んでいた。あのなあ、確かに北条は幕府を乗っ取った。そして代々執権として幕府を動かしたのは事実だ。だがな、そこに行くまでには粛清、暗殺、騙し討ちのオンパレードだぞ。必要とあれば将軍だって殺したし更迭を躊躇わなかった。血腥さじゃ信長にも劣らん。


 本人の資質も有るのだろうが京に近かったのが悪かったのかもしれない。どうしても公家の眼を気にしただろう。だから血腥さを避けた。そうじゃないんだ。普段は温容を見せて良い。だが事が起きれば周囲が震え上がる程の酷烈さを発揮する必要が有るんだ。そうでなければ威が保てない。まして長慶は陪臣だったのだから。


 家臣になってくれと頼まれたが御断りだ。三好の末路は哀れなものだ。それに御付き合いする様な義理は無い。しかも長慶は短命だった筈だ。永禄の変の前に死んでいるのだから長くてもあと十年程の寿命だ。二十年なら長過ぎるが十年ならあっという間だ。三好筑前守長慶の生き様、しっかりと拝見させてもらうよ。佳言が欲しいと言ったな。あんなのは佳言じゃない。あんたを良く知ろうとしただけだ。俺があんたにやる本当の佳言は最後の言葉、御身御大切になされませだ。あんたが長生き出来れば多少は三好家の運命も変わるだろう。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 考えが回るというのはいつの時代も恐ろしいもので、さて凄まじいことになるのかな?
[良い点] あんなのは佳言じゃないとは言うけれど長慶だけでは五里霧中だった方針が明確に変わっただけでも物凄い変化な気がする 方針のお陰で少しでも好転すれば鬱にならないで済みそう
[一言] 確かに"威"は大事だけど、それを歳に見合わず示しすぎる今の武若丸だと、いくら公家の仮面を被っても周囲の評価が"こいつ中身はやっぱり武士だわ…"ってなりそうw というか義父と叔母は思ってそうw…
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