そりゃそうだ
「聖女様」
「いえ、私はただの元シスターですよ。 普通に名前で、カトリーヌと呼んでください」
シスターの服を着てなくて、地味な普通の服だと僕が思う服を着ていても、町に入るとシスターはすぐに周りの人から聖女様と呼ばれて、人が集まってしまった。
周りの人に気づかれないようにしているつもりだったシスターの努力は全然役に立っていない。
やっぱりシスターはかなりの有名人になっているんだな、と僕はあらためてちょっと驚いた。
「さあ、ナリート、余り時間をかけてはいられないから、急いで行くよ。
みなさん、ごめんなさい」
シスターは僕の手を引っ張って、集まった集団を大急ぎで抜け出した。
シスターに手を引かれて、何だか僕まで恥ずかしかった。
「シスター! いえ、聖女様、どうしてここへ?」
鍛冶屋の店先から一歩中に入った店内で、鎌を研いでいた人は驚いて大きな声をあげた。
「キイロ、大声なんか出しやがって、誰か特別な人でも来たのか?」
店の奥から野太い声が聞こえて、いかにも鍛冶屋らしいガッチリした体格の男が出てきた。
「あ、あの、俺が世話になっていた孤児院のシスターだった人で、今は聖女様と呼ばれている人です」
「聖女様?!
ようこそお越しくださいました。 で、こんなむさ苦しい所に何の御用なのでしょうか?」
この店の店主らしい鍛冶屋の親方は、急に直立不動の姿勢をとってシスターに応対した。 そんなに緊張しなくても良いだろうに。
「すみません、何だか驚かせてしまったようで。
実はキイロ君の後輩のこの子が、キイロ君と『話をしてみたい』と言うので、迷惑をお掛けするのもと思いながらも、こうして訪ねてきてしまいました」
「迷惑だなんて。
聖女様がこうしてお越しになってくださったんです、構わないので自由にキイロと話していってください。 何も構うことはありません」
「でもここで話をしていては仕事の邪魔でしょうから、少しの間キイロ君を連れ出しても構わないでしょうか?」
「はい、了解しました。
キイロ、聖女様に失礼がないように、ちゃんとするんだぞ」
先輩のキイロが親方から許可をもらえたので、僕たちは店を出て、ちょっと脇の小道に入って話をすることにした。 店の前の少し広い道ではまた人が集まってしまいそうだからだ。
「ナリート、大きくなったな」
脇道に入って話をし出そうとすると、キイロさんは僕に向かってそう言った。
「お前はまだ小さ過ぎて、俺のことは覚えちゃいないか」
「キイロ君はナリートのことは判るの?」
「はい、シスター、いえ、聖女様。
俺はこいつが孤児院に居たのを覚えていますし、こいつと、えーとルーミエでしたっけ、二人は学校に入ったので、俺からは見かける機会があったんです」
「そうか、そうよね。
えーと、私の呼び方はシスターのままで良いわよ、ナリートたちもそのままだから。
キイロ君はナリートの4つ上だから、もうナリートたちのことを覚えていてもおかしくないわね。
それで町で後輩を見かける時があれば、声を掛けないまでも顔は判るよね」
シスターとキイロさんの話を聞いて、僕も何となくキイロさんが孤児院に居たような気がしてきた。
でもまあ4歳違いということは、キイロさんが卒園したのは僕がまだ神父さんに見てもらう前ということだから、霞んだ朧げな記憶でしかない。
「で、ナリートは俺に何が聞きたいんだ?」
やはり親方から許しを得たとはいえ、キイロさんはあまり店を空けられないのかな。 すぐにズバッと本題に入ってきた。
「僕、鉄鉱石からどうやったら鉄製品が作れるのかが知りたいんです。
そんな話をしていたら、シスターが『それなら専門家に話を聞きなさい』と言って、それで連れて来てもらったんです」
「お前、鉄鉱石から鉄の製品を作るって。 そりゃ鍛冶屋の仕事全部っていうことじゃないか。
それを簡単に話せと言われても、こんなとこで簡単に手短になんて話せる訳ないだろ」
うん、そりゃそうだよね。 当然そうだと思う。
「そうですよね。 当然だと思います。
それだからキイロさんみたいに鍛冶屋の[職業]を持っていたって、親方についてまずは修行しているのでしょうから。
えーと、僕が知りたいのは、1点だけなんです。
たぶんなんですけど、鉄で製品を作るには、鉄を溶かして柔らかくしなければならないと思うのですけど、どうやったら鉄を溶かすことが出来るのかということなんです。
鉄を溶かすには高温が必要なのは分かるんです。
その高温を得るために燃やせるほどの木を集めるのって不可能じゃないですか。
というかただ木を燃やすのでは鉄が溶ける温度は出ませんよね。 炭を作って、それを燃やすしかないと思うのですけど、炭も売られていないですし、炭を作るために木を切ったら、森が無くなっちゃいます」
「お前、すげぇなぁ。 炭なんてもんまで知っているのか。 俺も親方から話には聞いているけど使ったことないぞ。
確かにお前が言う通り、鉄は溶かさないと使えないし、溶かすのに何か燃やすとしたら、この辺の林や森はすぐ無くなってしまう。
そうじゃない。 魔法で溶かすに決まっているだろ」
あ、そうか、魔法があるのだから、魔法で溶かせば良いんだ。
なんでこんな簡単なことに僕は気がつかなかったのだろう。 どうも頭の中の知識が、変な先入観になってしまっているようだ。
「とは言っても、鉄は簡単に魔法で溶かせて製品を作れるほど安直な物じゃねぇ。
やはりその為の魔法も覚えなければならないし、魔法だけでもダメで、様々な道具や設備、それに技術も必要だ。
そう簡単にはいかないぞ」
そうだろうなぁ。 剣士のウィリーだって剣がなくっちゃ始まらないし、修練を積まねば上手くは扱えない。 それと同じか、それ以上に大変なのかもしれない。
僕の頭の中の知識を見ても、うん名人芸はともかく色々な技術やなんかが目白押しだ。 それだけ大変なことなのだろう。
でも一番最初の関門を越える方法は分かった。
「ん、待てよ。
ナリート、鉄鉱石を製品にするまでのことを教えてくれって、その原料の鉄鉱石はあるってことか?」
「鉄鉱石があるというか、ある所が判っているというか、すぐに採って来れるというか」
要領の得ない僕の返答に、キイロさんはシスターの顔を見た。 意図を察したシスターは言った。
「ナリートは、その[職業]の能力の一つで、どうやら自分の周りに何があるかを把握することが出来るらしいの。
その能力で、どこかに鉄鉱石を見つけたということじゃないかしら」
「そういうことか? もしかして鉄鉱石の鉱脈でも見つけたのか?」
「あ、そうです。 そういうことです。
キイロさんだと、そんな直接的な言い方でちゃんと通じるんだ。
ちなみに僕、鉱脈だと思われる場所も見つけたんですけど、砂鉄が溜まっている場所も見つけたんです。 流石にこっちはあまり量はないんですけど」
キイロさんは、とても驚いて顎が外れたような顔をしたと思ったら、次にとても真剣な顔をして考え出した。 少しの沈黙の後、キイロさんはシスターに向かって言った。
「シスター、俺、成人は来年なんですけど。 そして普通は成人の時に、親方のところから離れても良いという許しを貰うんですけど。 まあ、一応基礎は出来るようになったという感じで。
でも俺、親方に1年早く、『もうそこまでの基礎は教えた』って言われているんで、自由になるんです。
どこかに行く当てもないので、このまま親方に出て行けと言われるまでは、親方のところに居させてもらおうかと考えていたのですけど、気が変わりました」
ここでキイロさんは視線をシスターから僕に移すと宣言した。
「ナリート、俺もお前たちが開拓している所に行くぞ」
「キイロさん、僕たちが開拓しているって知っていたんですか?」
「当たり前だろ。 お前らのことは孤児院出の者たちは、みんな注目して見ているのだから」
キイロさんと別れた僕とシスターは、さてどこに宿を取ろうかとちょっと考えていた。
今までは、僕たちは町に来ると何も考えずに領主様の館に泊まっていた。
だいたい僕たちが町に来る時は、何かしら領主様の所に行く用事があってのことだからでもある。
そして僕たち以外の仲間が町に来た時は、これももう何も考えずに町の孤児院の施設を借りて宿にしていた。
町の孤児院の子たちは、僕らの仲間がやって来て、色々な話をするのを楽しみにしているようで、また何らかのお土産も持って行くようにしているので、それが普通のことと容認されているようだ。
シスターも今までは当然ながら教会関連の施設に泊まっていた。
今回シスターはシスターでは無くなっているので、教会関連の施設には泊まれない。 僕も今回は領主様に呼ばれた訳ではないので、領主様の館に行くのは気が引ける。
ということで、僕は初めて宿を探さねばならないことになったのだ。
「シスターはシスターを辞めて、僕らの所に来るまでの間はどうしていたんですか?」
「あの時は、領主様の館に一室貸してもらったり、教会の関係者に部屋を借りたりだったわ。
私もこの地方に来たのは見習いシスターとしてで、即座に教会の関係施設に泊まって、それからすぐに村の孤児院に行ったから、宿を見つけるのは初めてね。
まあここで無いなら、王都のシスターの学校に入る前に、宿に泊まったことはあるけど」
シスターはそれからちょっと眉を曇らせて、悩ましげに言った。
「とにかく騒がれない、小さな宿を見つけないとね」
僕とシスターが道の隅っこでコソコソとそんな話をしていたら、不意に声を掛けられた。
「聖女様、ナリート君、領主様がお呼びですよ。 館の方にお越しください」
声を掛けてきたのは、僕はもちろんシスターも知っている文官のアルハイドさんだった。 僕はこの人には、道をヘトヘトになるまで作らされた恨みがあるのだけど、まあそれを口にする時ではない。
「アルハイドさん、何で僕たちがここに居るのを知っているんですか?」
「この町では聖女様が居れば、すぐに噂になって連絡が届きますよ。
聖女様には自分がそのくらい有名で、重要人物なのだと自覚してもらいたいですね」
「ですから、アルハイドさん、私は聖女ではなくて、単なる元シスターです。
普通にカトリーヌと呼んでください」
「ほらね、ナリート君。 全然自覚しようとしないでしょ。
自分がどう思っていても、町の人、いやもっと広くこの地方の人は聖女様だと思っているのですから、もう仕方ないと諦めて欲しいですね」
ま、宿の問題は無くなったから良いか。
今回のことを領主様に報告というか教えると、領主様は、
「また面白いことになっているな。
デーモンスパイダーのことといい、綿の栽培といい、次から次と尽きねえなぁ。
まだそれらも始まったばかりだろ。
また行って実際に見てみねぇとな」
と面白がっていた。
翌日、僕は少し待たされて、シスターだけもう一度キイロさんの働く店に行った。
キイロさんがあの店から出て独立することを許してもらう援護射撃の為だ。
聖女様であるシスターの口利きと、領主様が「面白そうだからやらせてやれ」と書いた手紙があれば、あの親方が反対できる訳が無い。
あ、もちろん手紙の文面は違うよ。 もっともっともらしい理屈を文官の誰かが書いたに違いない。
そんなこともあり、それからすぐにキイロさんは僕らの城に、もちろん相手となる女性も連れてやって来た。
「キイロさん、お久しぶりです」
ウォルフとウィリーが、なんだか畏まって挨拶している。
そうか、ウォルフとウィリーたちにとっては、僕が彼らを見ているような感じなんだ。 2つ違いだから。
僕らと彼らは付き合いが深いし、ずっと一緒だったから、もっと全然砕けているけど、そうでなくて顔を知っている2つ違いだと、あんな感じになっちゃうんだと思った。
そういう普通の上の人との付き合いが僕にはなかったから、何だか新鮮だ。
キイロさんたちは最初はゲストハウスに泊まってもらったが、すぐにキイロさんの希望する場所に工房を作ることになった。
やはりある程度音は出るので、迷惑にならないように、みんなの住居からは少し離れた場所が希望だった。
場所は上の方が良いのかと思ったのだけど、丘の下が希望だった。
「重い鉱石や砂鉄を持って登るのは大変だろ」
言われてみれば当然だ。
「工房はまずは小さい炉を作って。 少しづつ色んなタイプの炉を増やしていこう」
「えっ、炉なんて作るんですか?
僕は魔法で鉄を溶かすというから、そういった物は必要としないのかと思っていました」
「道具や設備が必要なのは当然だろ。
俺が来るのに、どれだけ荷物を持って来たと思っているんだ」
うん、たくさんの荷物だった。 その為に迎えの人手をわざわざ出すことになった。
「それになナリート。 お前、学校でも授業を免除される程の秀才だったそうじゃんか。 その頭を使って考えてみろ。
炉を作って、周りを囲っておかなきゃ、鉄を溶かす時に熱がどんどん逃げてしまって、溶かすのがより大変になるに決まっているじゃないか」
そりゃそうだ。 だけど魔法でって言うからさ・・・・