古真語
キイロさんの鍛治は、魔法を使っての鍛治だから、移住して来たらすぐに始まるかと思ったら、全くそんなことはなかった。
キイロさんの自宅兼工房を、他の者からはちょっと離れた場所に作り始めた僕たちは、もう慣れた家作りなんてすぐに出来るさと軽く考えていた。
確かに住居としての建物はすぐに作れたのだけど、工房作りは全くの別物だった。
「炉を作るには、その材料となる土なんかも吟味して、しっかりした物を作らないとな。 ここを妥協して適当に作ると、作業をしているうちにひび割れて壊れたりして、結局余計な手間になってしまう」
僕は炉なんて、土魔法で簡単に作れるものなのかと思っていた。 大きさはあるけど、食器を作るほど繊細なモノではないから、魔力量に自信のある僕らで手分けして行えば、簡単に作れると思っていた。
適当な土を用意しておいて、それをクレイとフォームの魔法で形を作り、ハーデンで固めれば良いのだと、まあ安直に考えていた。
ところが・・・
「そんなただ良さげに見えた場所から取ってきただけの土じゃダメだ。 きちんと不純物を取り除き、粒子を揃えるぞ。
それには単純にクレイではダメだ。 まずはその土を水で洗って簡単なゴミを取り除き、緩い坂のような幅広の樋を作って、そこにそっと流して、底に大きさや重さによって別れて溜まった中で、最も都合の良い部分を採取するぞ」
「ええと、キイロさん、それって簡単に行う魔法ってないんですか?
魔法を使ってということだから、そういう魔法もあるんじゃないのですか?」
「あるかも知れないな。 でも俺は知らない」
「ということは・・・」
「ああ、全部手作業で行わねばならない」
もうこれだけで、かなりの重労働だった。
その後も水分を含んだ状態でクレイとフォームを使うという方法で整形し、整形してから完全に水分を抜き、これは道を作るときにやらされたのでまだ出来たけど、そうしてからハーデンを掛けてより固め、最後は炉の内部をファイヤの応用で温度を思いっきり上げて仕上げをした。
「うん、とりあえずは満足できる炉が出来たな」
キイロさんと奥さんの住む住居の部分なんて、1週間も掛からずに作れたのだけど、この工房の部分はこれだけで1ヶ月も掛かっている。
「まあ、これが一番小規模な炉だから、まだまだこれからだ」
うん、鍛治を行うというか、鉄の製品を作るのって本当に大変なんだな。 僕はあらためてそう感じた。
「とはいえ、この炉を使えば、いくらか俺が持って来た鉄の地金を使えば、ナイフや鎌くらいの物ならいくつか作れるぞ。 ま、そんなに地金を持ってきた訳じゃないから、数は作れないけどな。
やっぱり、次の炉を作る前に、作ったのを使っているところを見たいだろ」
キイロさんは、僕たちにちょっと褒美をくれるような調子で言った。
もちろんですとも、食器作りの工房で仕事を見せてもらって教わった時もだけど、その道の職人さんが行う仕事を見せてもらうのは、とてもワクワクする。
「俺一人で行うのでは、1日にナイフ1本作るのがやっとだけど、今までお前たちを見ていて思ったけど、お前たちは俺よりずっと魔法が使えそうだ。
それならば少し教えるから、俺の仕事を手伝え。
そうすればずっとたくさん作ることができそうだからな」
僕たちが手伝わされたのは、地金を炉内で溶かす作業だった。
今回作った炉は、もう製錬された地金を扱う炉で、金属をドロドロになるまで溶かす訳ではないので、魔法による金属加工を始めるのには都合が良いらしい。
ただし、逆に作業としては、最も修行が必要で難しいところでもあるらしい。
「お前たちは水を温められるみたいだからな、すぐにある程度のことは出来るようになるだろう。
まあ、物は試しだ。 とにかく一度やってみろ。
そうしてから、少しづつ教えていくからな」
僕らはまず最初に炉の中に置かれた鉄の地金を魔法で熱くする、温度を上げていくということを体験させられた。
やってみると、温度が低いところからある程度までは、水の温度を上げるよりも簡単に温度が上がって行く感じがするのだが、ある程度まで温度が上がると、そこからは温度を上げようとしてもなかなか上がらず、魔力をどんどん消費している感じになる。
「どうだ? 水の温度を上げるのとは、ちょっと違った感じだろう。
俺は逆にここに来てから、水の温度を上げるというのを教わったから、逆にその時に金属の温度を上げるのとの違いを感じたのだけどな。
まあ、一番初歩の生活魔法であるプチフレアを使う感覚とも違うので、それぞれに違うのも当然だけどな」
キイロさんは、とりあえず何かの製品を作るつもりはないらしくて、僕ら一人一人に地金の温度が下がってから、同じことを繰り返させて、それぞれが地金を熱くさせる為の魔法の感覚を体験させた。
「地金を魔法で熱くする感覚は、みんな体験したな。
今お前たちが体験した地金を熱くする魔法のことを、メルトの魔法と呼ぶ。
火種を使う時や、お前らが水を手元で使う時は、それぞれに口に出すかどうかは別にして、プチフレア、ウォーターと唱えるだろ。
同じように、地金を熱くする時にはメルトと唱えるんだ。 そうすればさっきよりもずっと楽に魔法を行使することが出来る」
キイロさんは、このメルトを唱えて魔法で地金を熱くするということも、みんなに体験させた。
確かにさっきと比べると、体感的には半分以下の魔力で同じことが出来たような気がする。
出来上がった炉の試運転のような、キイロさんの僕らへの初心者鍛治仕事のレクチャーは初日はそれだけで終わってしまった。
僕たちは、キイロさんにとってはまだ仕事の入り口程度のことなのだろうけど、慣れてないこともあって、しっかりと疲れた体を、そして汗をかいた体をみんなで風呂に入って休めた。
僕らとしては珍しく、僕は初めてだが、キイロさんの自宅兼工房に近い、丘の下の住宅地にある風呂だ。
「これからまだ他にも幾つかの炉を作っていかなくちゃならない。
今回完成した炉が、最も簡単な炉で、これから作るのはもう少し複雑だったり、大掛かりだったり、仕掛けが必要な炉だったりする。
まずは簡単な地金を作る為に、鉄鉱石や砂鉄を完全に溶かして鉄と他の成分に分ける炉だな。
これは鉄鉱石や砂鉄が溶けたら下に溜まる構造になるから、大きさもだが、高さが必要になるんだ」
キイロさんが今話しているのは、たぶん僕の頭の中にある知識では高炉と呼ぶ炉なんだろうなぁ、と聞きながら考える。 僕の頭の中にある知識の高炉では、原料となる鉄鉱石の他に燃料となる物と、それらが燃えるのに必要な空気を送り込むために、炉が複雑・大型化していたし、空気を送り込む大変さに、送風の為の装置と多大な労力を必要としたり、何らかの動力を必要としたり、自然の季節風を利用したりと難しかった。
最も単純なのはタタラ製鉄なのだろうけど、木炭を使えないこの世界ではそれは難しい。
そんなことを考えなくても魔法で温度を上げられるこの世界だと、そんなに大掛かりなことを考えなくても、同じようなことが出来るのだろうなぁ。
あれっ、でも溶かしただけのそのままだと銑鉄にしかならないから、刃物にはならないのか。 ま、キイロさんには何らかの技術があるのだろう。
僕はお湯に浸かる心地良さから、ぼんやりと取り留めもなくそんなことを考えていた。
「キイロさんの言うことは、実物の色々な炉を見たこともない僕には、良く解らないけど、まだこれからもっと大変なんだということは分かった。
やっぱりちゃんと[職業]の修行をしてきた先輩は凄いなとあらためて思った」
ジャンがそんなことを言った。 みんなウンウンと頷いている、もちろん僕も。
キイロさんはなんだか照れ臭そうだ。
「そんなことないぞ。
俺に言わせれば、みんな、あんなに魔法を使えるなんて、凄いとしか言いようが無いよ。
俺も鍛治の修行で、魔法はたくさん使えるようになったと思っていたけど、お前らはみんな俺よりもずっと使えるな。
一体どうやって、というか何をしてそんなに魔法が使えるようになったんだよ」
「それはみんな、毎日毎日、限界まで魔法を誰かさんのお陰で使うことになりましたから、魔法を使った量だけならば、年齢が近ければここにいる者以外には誰にも負ける気はしないですよ」
ウィリーがそう答えると、僕たちの中では笑いが起きたのだけど、その場にたまたま一緒していた他の丘の下の住人は、うんざりというか、何だか複雑な顔をしていた。 えっ、僕らの話を聞いているんかい。 ま、聞き耳を立てるよね、普通か。
「あ、でも、今日キイロさんに教わって、僕、本当にびっくりした」
ジャンがなんだか話題の提供主になっている。
「魔法を使うのに、魔法の名前がつくと、それを唱えると、同じことをするのにあんなに楽になるとは思ってもいなかった」
おおっ確かに。 メルトという言葉を教わってからは、ずっと楽に同じことが出来た。
「ああ、あれか。 確かにそうだな。
俺も同じようにして師匠に教わったんだけど、俺もその時はちょっと感動したよ」
「で、キイロさん、教えて欲しいのだけど。
他にもというか、僕らが使っている魔法にもし名前を付けたら、その魔法を使うのが楽になるのかな」
えっ、その発想はなかった。 そんなこと僕は考えてもみなかった。
「僕はナリートと比べると、レベルが低かったこともあって、使える魔法の量が少なかった。
いつもそれを申し訳なく思ったり悔しく思っていたりしたのだけど、もし今日教わったメルトみたいに、魔法で行っていることに名前を付けたら、楽に出来るようになるなら、僕にももっと出来るようになると思うんだ」
ああ、なるほど。 ジャン、凄いな。
みんなもジャンの言葉に感心しているようだ。
「ええとな、ジャン、残念だけど、そう簡単にはいかないんだ。
メルトに限らず、お前たちが普段使っている、ウォーターにしろ、ハーデンやソフテンにしろ、普段お前たちが使っている言葉とは違うだろ。
魔法を使うのに使っている言葉は、普段の言葉とは違って、俺も良くは知らないが古真語というもう滅びてしまった言葉なんだ。
魔法を使うための言葉は、その古真語を使わないと上手くいかないらしい。
だから、勝手に名前を付ければ、上手く使うことが出来るというほど単純じゃ無いんだ。
俺はもちろんだけど、お前らも古真語なんて知らないだろ」
へぇー、そうだったんだ。
それはこの世界では常識なのかな。 僕は全然知らなかった。
僕の頭の中の知識は、もう今では意識しないと、特別な物なのかそうで無いのか区別がつかないほど普通になってしまっているのだけど、どういう訳か、頭の一部でこの世界特有のことだと思う魔法関係のことは、全く無いような気がする。
僕は今まで魔法の呪文のように唱えていた言葉に、全く違和感を感じていなかったので、それが古真語と呼ばれているモノだったなんて、全く知らなかった。
誰かそういうことは教えてよ。 もしかして、僕が興味がなかったから知らなかっただけ?
「まあ、あれだな。
普通は、魔法を使うときの呪文として覚えるだけだし、その言葉で行う魔法に慣れると、いちいち唱えなくても心の中で思うだけで使えるようになるから、その言葉に意味があるとか考えないよな。 俺もそうだった。
俺も師匠にああいう風に教わったから、今のジャンのようなことを考えて、呪文は古真語という言葉で意味がちゃんとあると知ったのさ。
ま、俺の頭だとそこまでで、そこから古真語を覚えようとは思わなかったんだけどな。
その暇もないし、その時間があれば鍛治の修行をする方が現実的には優先すべきことだったしな」
うーん、古真語というのは、僕の知識の中ではラテン語みたいなモノなのかな。 もう滅びてしまった言葉だけど、一部使われていることもあるというような。
でもさ、僕の中では、古真語だという魔法を使う時の呪文というか言葉、その意味はしっかりと理解出来ているんだよね。
僕の知識の中での感覚としては、普段使っている言葉と、第一外国語みたいな感じ。
ぶっちゃけ、普段使っている言葉は僕に取っては日本語だし、魔法を使うのに使っているのは簡単な英語という感じだ。
これは僕がそういう風に感じるだけであって、実際は全くの別のモノなのかも知れない。
「だとしたら、もしかしてナリートは学校で古真語って習わなかった?」
なんだか凄く期待されている目で僕を見るジャンにそう尋ねられて、なんとなく期待に応えられなくて申し訳ない気分で、僕は正直に答えた。
「えーと、学校では古真語というのは教わったことがないし、僕は古真語という言葉自体も初めて知った」
「なんだ、ナリートが知らないんじゃ、誰も知らないな。
もっとずっと偉い王都の学者さんでもなければ知らないのかも知れないな」
ウォルフがそう言うと、ジャンがなんだかとてもがっかりしている。
「ええと、ジャン、古真語と言うのは僕は解らないけど、魔法を使うのに使っている言葉の意味だったら解るよ。
ウォーターは水って意味だし、フレアは炎、ハーデンは固くするだし、ソフテンは逆に柔らかくするだよ。
今日教わったメルトは溶かすだ」
「お前、意味が分かるのか?
それじゃあ、次の炉の時に教えようと思っていたメルトダウン。 この意味が解るか?」
「うん、メルトダウン、ドロドロに溶かすって感じかな」
「おお、そのとおりだ。
お前、古真語を習っている訳じゃないのか」
「はい、キイロさん、習ったことはないです」
「それじゃ、何でお前、意味が解るんだよ」
「なんでと言われても、解るとしか答えられないんですけど」
「キイロさん、こいつ、たまにこういうことがあるんですよ。
何故か理由は解らないけど、解ってしまうとか、知っているとか。
[職業]もこいつ以外聞いたことがない職業ですし、ちょっと変わっているんです。
でもまあ、本人にも理由が分からなくても、こいつが知っていることとか、分かってしまうことで僕たちも色々と助かっていますから、まあ、それはそれで良いかなという感じです」
キイロさんは訳が分からないという顔をしているけど、僕自身もそう思うから、まあそれは仕方ない。 そういうモノだと思ってもらうしかない。
「でもさ、そういうことだったら、ナリートは古真語というのを知らなくても、もしかしたら、僕らが使っている魔法に名前を付けられるかも知れない。
魔法でやっている事を意味する言葉というのかな、そんな言葉がナリートは頭の中に浮かぶんじゃない」
ジャンがまた期待に満ちた目をして僕にそう言った。
そう上手くいく訳ないじゃん、と思いながら、僕は試してみた。
「ホットウォーター」
あっ、出来た。