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第87話 帝都暴走 7

 普段は使われない、予備救急室の搬入口シャッターが、悲鳴を立てて開いた。


 赤い回転灯が救急棟の外壁を舐め、救急車がなだれ込む。


 極秘救急搬送の名のもとに、シャッターは救急車を呑み込むと即座に閉められた。


 廊下の奥から靴音が重なり、救急救命士が短く叫んだ。


「搬入! 重症、意識なし、政府要人だ!」


 空気が一瞬、凍った。


 誰もが動きを止めた。


 次の瞬間、ストレッチャーのタイヤが床を叩いた。


 金属音が響く。


 担架がER室の白光の中を滑り込んでくる。


 その上には、かつて医療行政の帝王だった男――鍬形崇真。


 だが今、その顔に「大臣」の影はなかった。


 チアノーゼを興した、唇は紫に乾き、頬はこけ、目の奥には焦点がない。


 救命士が、気管挿管チューブにつないだ、送気アンビューバッグを握り必死に空気を送り続けていた。


 ネクタイは乱れ、ワイシャツの上から、第三ボタンまでが引き千切れている。


 生気があるようには見えなかった。


 看護師が駆け寄り、脈を取る。


「血圧は?」「80に落ちてます!」「呼吸浅い!」


「酸素飽和度70%です」


 阿羅業が先頭に立ち、短く指示を飛ばす。


「レスピレーター接続準備。酸素流量上げて、血圧測定、心電図装着、リンゲル滴下、速めに落とせ!」


 看護師の手が無駄なく動く。


 権力者の皮膚を貫き、留置針が静脈に静かに入る。


 リンゲルの透明な液が落ち始め、


 その滴が光を受けて時を刻むように揺れていた。


人工呼吸器レスピレーターに繋げ!」


 返る声が交錯する。


 モニターの電源が入る、レスピレーターの作動音。


「肺胞が潰れかけている――。酸素流量を上げろ。呼気終末陽圧《PEEP》を少しかけろ」


 人工呼吸器レスピレーターの圧モニターが波を描く。


 阿羅業は耳を澄ませた。


 呼吸器の助けで、かすかに肺を押し上げる音が聞こえた。


 鍬形の胸が、ようやくわずかに動き始めた。


「よーし、CT行くぞ」


 担架が再び動く。


 廊下の蛍光灯が滑るように後ろへ流れていく。


 すれ違う人影、


 誰もが口を噤んだ。


 CT撮影室の扉が閉まり、


 白い円筒が鍬形の身体を呑み込んだ。


 装置の低い唸りが響く。


 回転するガントリーが、まるで死神の鎌のように鈍く回る。


 数分後、技師が画像を出した。


 阿羅業と綾香がモニターを覗き込む。


 脳も肺も肝も、異常は見えなかった。


 出血も梗塞もない。


「年相応の脳萎縮……だけね、血腫なし、梗塞なし……腫瘍なし」


 綾香の読みに、阿羅業は頷いた。


「脳内に器質的な病変がないとすると、だ……」


「綾香、ちょっと来て見てくれ」


 読影室を出て、寝かされている鍬形の前に立つ。


 攝子ピンセットを握り、頸部を指した。


「おそらく犯人は此奴だろう」


 攝子ピンセットの先、鍬形の頸部に張り付いた、1センチほどの黒い物がある。


「潰れた……蚊のようにみえるけど、やだ、少し大きくない?」


「ああ、デカい蚊だな……」


「でも、蚊に刺されて突然意識を失うなんて……」


「普通の蚊なら、まずそんなことはない……が、この虫は調べる必要がある」


 阿羅業は静かに巨大な蚊の虫体を攝子ピンセットでつまんで滅菌容器スピッツに入れた。


 生体徴候バイタルサインを書き記した紙片を看護師が持ってきた。


 血圧、酸素飽和度、熱、呼吸数が落ち着いてきたのを阿羅業は確認して看護師に次の指示を出す。


「リンゲルの速度を戻して、患者は引き続き集中治療室で管理しよう。さて、と」


 阿羅業は、一旦、鍬形を集中治療室に戻すと、隣の臨床検査室に向かった。


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