【28】天才魔法少年の妥協──1年生3学期(シュルクside)
僕をこの薄暗い魔塔から、初めに救い出してくれたのはメルク・シュリーゲンだった。
国一番の天才。王国一の魔法使い。
王国で最も多い魔力量を秘めた……人間兵器。
それが僕、シュルクに与えられた在り方だった。
僕は孤児だ。親のことは知らない。
そういう面でも僕は、メルクに懐いていたと思う。
まるで家族のような愛情を……彼女に感じていたんだ。
最初は、きっと『姉』のように慕って。その後でだんだんと、僕の気持ちは恋愛感情に変わっていった。
「……『昔』は感情の制御が下手だったなぁ」
精神が幼い僕は、よく魔法を暴走させがちだった。
僕ほどの魔力量で魔法を暴走させてしまうと、この国に危険が及んでしまう。
だからこそ僕は、この魔塔で軟禁生活を強いられてきた。そして監視され、管理されてきた。
でも、その状況について僕は納得もしていたんだ。
だって、僕だって自分の魔法で誰かを傷付けたくはなかったから。
……怖かったんだと思う。
自分が魔法を暴走させて、誰かを傷付けてしまうことが。
誰かを……殺してしまいかねない事が。
だから、魔塔での生活を受け入れていた。
自分の力が、誰かを傷付け、殺めてしまうぐらいならば、と。
窮屈だったけれど、それでも良かったんだ。
……だけど。
あの日、メルク・シュリーゲンは僕の下を訪れた。
偶然、出会うことになったのだろう。
『こんな場所にいつまでも居たら、病気になっちゃうよ! だから一緒に外へ行こう!』
そう言って、僕の手を引いて外の世界を教えてくれようとした彼女。
……僕は。
僕は、外の世界に……興味はあった。
自分にこんな魔力がなければ。自分にも両親が居たなら。
普通の家に生まれて、普通の子供だったなら。
何も考えずに外を歩けて、皆と一緒に笑い合えていたんじゃないかって。
でも外に出れなかった。誰かを傷付けるのが怖くて。
そうして傷つけて、皆に嫌われてしまうことが……何よりも恐ろしくて。
親の居ない僕は愛情を知らなかった。
それがどんなものかも、きちんと知らずに求めていた。
でも誰も僕を愛してはくれなかった。
そんな僕だから……メルクにその愛情を求めた。
困らせているとも思ったから、深くは彼女に近付けなかったけど。
でも彼女は他の皆より、ずっと親身に僕の話を聞いてくれた。
僕の疑問や、抱えていた想いに……答えてくれたから。
僕にとってメルクは恋愛対象となる以前に、親愛の対象だったんだと思う。
姉のような、母親のような、存在だったのだ。
──だから。
メルクを傷付ける人を、僕は許せなかった。
それがアンジェリーナ様だと知って、僕は、僕の力を……。
彼女相手にならば向けてもいい、と。そうまで考えて。
僕は、あのデニスや、レオンハルト殿下の事をどうこうと責められる人間ではなかった。
いいや、僕は彼らより、もっと酷い人間だったはずだ。
なにせ彼らはアンジェリーナ様を殺そうとまでしていない。
僕は……幼さなど言い訳にならないぐらい、残酷で、最低で。
それなのに当時は、メルクが僕を止め、諫めることを、メルクの優しさだと感動するぐらいで。
アンジェリーナ様に対する罪悪感さえ抱いていなかった。
決して自分の考えが間違っているだなんて、思ってもいなかったのだ。
アンジェリーナ様への断罪を『手ぬるい』とさえ思っていた。
メルクが止めなければ、きっと僕はアンジェリーナ様を手に掛けていたのだろう。
……もしかしたら。
その記憶が今の僕には無いだけで、どこかの時間では、僕はアンジェリーナ様を。
「…………」
メルクの周りに集まった男性たちの中で、僕が最も許されない存在だった。
かつて僕が居たからこそ、こうまで泥沼の状態で時間を繰り返すことになったのかもしれない。
そんな僕だから。
僕だけは必ず、時間を巻き戻る必要があった。
『かつての僕』を野放しにする事は出来なかったから。
僕は、かつての僕自身を信じる事が出来ない。信じる事が許されない。
だから、こうして、何度も、何度でも。
この時間の繰り返しに、終わりが見えない可能性が見えた時から。
僕たちは色々な試行錯誤をしてきた。
誰が覚えているのが最善なのか。
前の時間を覚えている人物が……呪われたように『失敗』するのだと判明した時。
僕らは、その報われない役回りを背負いたくなくて。
残酷で、おぞましい僕らは……より『最低な手段』さえ思いついた。
アンジェリーナ様に、不幸になると決まっている時間逆行をさせようと……その役割を押し付けようとした。
不幸になる宿命。貧乏くじ。
それをアンジェリーナ様に押し付けて。
彼女を運命の犠牲に捧げて、僕らだけが幸福を掴もう、と。
そう画策したことさえあったのだ。
「ハ……」
あまりのおぞましさに吐き気がする。
結局、その時は、アンジェリーナ様への『信頼の無さ』が逆に功を奏した。
彼女に時間逆行の知識を委ねては、僕らが『返り討ち』にされてしまうからと。
なんて、ばかばかしいのだろう。
傲慢で、薄汚く、愚かだったのだろう。
彼女が誰かを、僕らを、メルクを、傷つけた光景など見たことなんかないくせに。
「……正しい事のために」
思い出し、深く考察するほど、己の罪深さに狂いそうになる。
だが。だけれど。
この時間の旅は……『断罪』のための旅ではない。
僕たちの後悔は、そのままに。『償い』のための逆行でもない。
ただ、正しくなければ、先へ進むことが出来ないだけの話。
時間逆行の魔法は、悪用が出来ないように『制限』されている。
だから、かつての僕たちの罪がいくら許せないものであろうとも。
この時間は、その断罪のための時間ではないのだ。
故にこそ。
「メルク。レオンハルト殿下。貴方たちにも……『最善』を尽くす必要がある」
この時間の旅は、やり直した僕らの『妥協』を求める旅路だ。
何もかもを望むから時間の繰り返しが終わらない。
たとえばレオンハルト殿下。
彼が、メルクを正妃に据え、さらに公爵家の後ろ盾と執務能力を求めてアンジェリーナ様を側妃に求めて。
民の人気も、資産も、すべて、何もかもを手に入れたいと考えていたとする。
そんな願いは叶わない。
そんな状況は成立しない。
だから、それを望んで時間を繰り返しても、永遠に望んだ世界は手に入らない。
強欲に求める限り、傲慢に望む限り、時間の繰り返しは終われない。
すべてを手にできるハッピーエンドはありえないのだ。
だからこそ、僕らに必要なのは……妥協。
『これでいい』と願いに線を引けるか否か。
そして終わりのために最善を尽くして知る必要がある。
メルクも、レオンハルト殿下も。
望むのならば、その夢を先に叶えてしまえばいい。そして知るのだ。
『時間を繰り返したとしても』『意味がない』と。
「メルク。君は受け入れられる? 王様の妃になるってことは、ずっとずっと死ぬまで、責任と義務がついて回るってこと」
王妃教育を受けて、これから先ずっと続いていく王妃としての生活を知って。
それは、学園を卒業してしまえば解放される、数年で終わる苦行なんかじゃないということを。
ずっと、ずっと、『一生』続いていく人生の責務なのだと。
そうだと知ることは、学生の子供が、大人になって、外の世界に羽ばたいていくようなもの。
貴族であっても義務があり。
平民であれば働いて、食べていくための糧を得る必要がある。
社会に暮らす人間である以上、避けられない、純然たる現実。
メルクは、それを知れるだろうか。
かつて好きだった、僕の恩人は……それを受け入れられるだろうか。
こればかりは、やり直したって意味がない。
永久に学生時代に留まることなど出来はしないのだから。
やり直したところで、必ずいつか彼女の目の前に現れるものなのだ。
それでも。
学び、積み重ねることには意味がある。
王妃教育を受けた上で、現実を見据えた上で『自分は、それでもやっていける』のだと……彼女がそう思うのなら。
きっと、それもまた『正しいこと』だから。
かつての罪は贖えない。
かつての行動と選択の断罪は、時間の旅に必須ではない。
……そうして。
彼女自身が、自分には『王妃になるのは無理だ』と。
諦められるのならば……その『妥協』が、この時間の繰り返しを終わらせることに繋がるだろう。
だからメルクの『夢』を僕は応援しよう。
……今は、まだ。
「…………」
魔塔に用意された、狭い狭い、小さな庭に僕は一人で佇んでいる。
空は晴れていて、まるで『あの日』と同じように。
「あっ……」
そうしていると、かつて僕を外へ連れ出してくれた少女が現れた。
誤差があっても、いつもこの時期に、ここへやって来る彼女。
「『貴方……ここの人?』」
「『……そうだけど』」
「『ここって、』」
「──僕、別にここで暮らしてることに不満はないんだよね」
「えっ」
ピシャリ、と。黒髪の少女の言葉を遮るように。
僕は告げた。
「やぁ、毎日が楽しいなぁ! 今日も新しい魔法を試そうっと! じゃあね、迷子の人。さようなら」
「え、あ、え?」
僕は、彼女を拒絶するように突き放して、背を向けた。
かつては好きだった人。慕っていた女性。
……今でも、どこか、好きな人。
でも、僕は彼女を望まない。
彼女を望んで、他の誰かを傷付けるのなんて嫌だから。
それが、僕の妥協。
彼女にとっての何者にもならない。赤の他人として生きていく。
恋心が、愛情を求める心が、いつまでも胸の内で燻り続けたとしても。
たとえ、いつまでも、もっと最善の手があったのではないかと……後悔し続けたとしても。