ヒロインは退場した、その後
ざわめく大広間の中央では複数の騎士に拘束される、第一王子とその学友で側近候補の令息、そして一人の男爵令嬢。
最下位の爵位である男爵家でも金があるところにはあるだろうが、彼女のマイスリー男爵家は別に豊かでもなければ貧しくもない家だったはず。それなのに彼女が着ているのは高位貴族の令嬢が身につけても可笑しくない品質のものだ。
可哀想なドレス。どれだけ最高級品でも着る人間が下劣であればあるほど価値が下がってしまう。あのドレスを仕立てるよう手配したのかは分からないけれど、もしも王子ならばとんでもない事態になることは分かっているのだろうか。
王族には原則として個人資産は無い。全ては王室資産として管理されている。敢えて言うならば、何かしらの事業を行いそこで利益を出せば個人資産とする事が出来るが、第一王子はまだ成人前で無理な話。ではどこから?考えられるとしたら、婚約者の為の予算からだろう。それを適切に使用していなければ横領となり、王族と言えども罪に問われる。
「私は、ヒロインなのよ!私こそが、この国の王妃になるのよ!」
男爵令嬢が王妃になった歴史はある。しかし、その王妃は生家である男爵家の令嬢としてではなく、公爵家の令嬢として王家に嫁いだ。聡明なその王妃は子供の頃に洪水による甚大な被害に直面し、どうすれば良いのかと考えた上で『王族に嫁げば政に関与出来る』と考え、その為に逆から考えていった。
途方もない無茶であるが、その無茶を乗り越えて歴史に名を残す賢妃となったのだ。
何の目的もなく男を侍らせ、女性の中で最高の地位に就こうなど国民全てを馬鹿にしている。王妃は最も過酷な地位と言われているのを知らないのだろう。
カツン
やけにその音が大きく聞こえたのは私がその人のそばに居たからに他ならない。
「あなた、何をもって自分を『ヒロイン』と言うのかしら?」
ネイビーのドレスはすっきりとしたデザインで耳や胸元を飾るのは無色ながらも輝きの眩しいダイヤモンド。ホワイトブロンドの髪の毛は美しく纏め上げられ項が色気を見せている。
アクアマリンを思わせる煌めいた目は少し垂れているが、ぽってりとした唇の横の黒子により妖艶さに変貌している。
「ルミエラ様だわ」
囁くような声は母の世代の夫人達だけでなく、令嬢や紳士達からも聞こえる。私だって彼女を知っている。
「何なのよ、おばさん!うるさいわね!私は王太子妃になって王妃になる女よ!私がヒロインなのは決まってることよ!そうだと決められてるんだから!」
喚く男爵令嬢の罵る言葉よりも何よりも、ルミエラ様をおばさん、と呼んだ事に衝撃が走る。この令嬢はルミエラ様を知らないのか。貴族であれば必ず教え込まれるくらいにルミエラ様は有名なのに。
騎士に拘束されていた第一王子もその非常識さを知らなかったのか顔面蒼白になっている。彼らが拘束されているのは国王陛下の御前で婚約破棄騒動を繰り広げられたからなのだが。
今や別の意味で惨劇しか見えない。
「小娘…私のルミエラに、何と言った」
低い、低い声。憎悪を煮詰めたらきっとこんな声になるのだろうと思わせる恐ろしい声に私だけでなく誰もが震え上がる。
ルミエラ様の肩を抱き寄せたその人は無造作に手を前に差し出した。それだけで非常識な令嬢は空中に浮かんだ。
「がっ!ぁ、っ、あ」
喉を締められているのか足をばたつかせ手を必死に喉に寄せている。あれはルミエラ様の夫であるこの国で最も偉大で最も狂っていると言われている魔法使いカインベル様の魔法。
魔法使いと魔術師は異なる存在で、魔法使いは時に厄災にも近い存在として語られる。が、カインベル様が恐れられているのは魔法使いだからではない。あまりにもルミエラ様を愛しすぎている為に王女であったルミエラ様を求めた国を潰しかけ、自分から引き離そうとする国王を瀕死にしようとしたりしたのだ。
ルミエラ様がいれば穏やかなのだけれど、彼女を侮辱するだけで一気に変わってしまう。幸いにして同性からの憧れや尊敬などには寛容なのでルミエラ様に悪意を持ちさえしなければお茶会に誘われたり誘ったりしても問題は無いのだけれど。
あの男爵令嬢は知らなかったらしい。
そもそもの話、ルミエラ様は今でこそフォッジ公爵だけど王女であったし王姉なのだから貴族が知らない方がおかしいのに。
身体を震わせてびくびくとし始めた男爵令嬢をカインベル様が無造作に放り投げる。それなりに高いところから落ちたのだからきっと無事ではないと思うけれど、私は何も言えないし誰も何も言わない。
第一王子やその学友達も青ざめて震えているだけだ。
「カイン、質問に答えて貰えなかったではないの」
「後で記憶を抜き出せば良いだけです。死んでいても問題はありませんよ」
「もう。あなたはやり過ぎなのよ。駄目よ?」
辛うじて生きてはいるらしい男爵令嬢だけど、あらゆる意味で彼女は死んだも同じだ。カインベル様は決して許さない。今までだって許していない。
そして、カインベル様をはじめとした魔法使いには法が適用されない。生物として異なる存在で彼らは人ではない。国にも属さない。カインベル様がルミエラ様とご夫婦なのは法的には認められていないけれど、創世神を祀る大神殿より認められている。魔法使いの後見となる大神殿が認めれば夫婦と名乗っても問題がない。
ルミエラ様がこの国を愛しているから、という理由だけで魔獣が入り込まないように結界を張ってくれているカインベル様はルミエラ様が別の所に行きたいと言えば簡単に結界を無くす事を皆知っている。
ルミエラ様の為に何でもするカインベル様を飼い慣らすことなど出来はしない、ルミエラ様以外。
「仕方ないわね…それにしても、自分を『ヒロイン』だなんて、妄想癖が酷いのかしら」
「知らん。それよりもルミエラ、君が望むならあの小娘は始末するが?」
「不要よ」
ルミエラ様はこの国を愛しているし、全ての民を愛しているけれど王族としての矜恃は高い。それ故に残酷な決断を下す事にも慣れている。
「貴族社会どころかこの国で生きていく事も難しくなった少女をこれ以上追い込む必要は無いわ」
「分かった。ステファン、早くこの汚物を排除しろ。ルミエラの目に汚らわしいものを見せるな」
「カイン、マキシムはあなたの甥なのよ?」
「それこそどうでもいい事だ。ステファンはルミエラの弟だから気にかけるが愚かな人間など不要だ」
国王を呼び捨てに出来るのは王妃様とルミエラ様とカインベル様くらいだろう。公の場となればそれこそカインベル様にしか出来ない。
マキシム第一王子の婚約者であった公爵令嬢はある意味放置されていたけれど、彼女の瑕疵とは誰も思わないだろう。王宮舞踏会と言う場で婚約破棄を叫ばれた彼女がこの婚約を継続する意味は無い。不適格であると誰の目にも顕になったマキシム第一王子が立太子する可能性は無くなった。カインベル様が許さないだろうから、国王は表舞台から彼を引っ込ませる以外、無くなった。
とは言えど、第二王子がいるので問題は無いと誰もが思っている。
問題は無いけれど、私が困ってしまう。その第二王子の婚約者が私なのだ。もしかして婚約者が入れ替わるかもしれない、と不安に駆られていると、私の隣に立っていたその第二王子であるテオドール様が強く私の手を握った。
「君以外を妃にするつもりは無いよ」
立太子がなされていない以上、彼も私も第一王子と公爵令嬢と同じ教育を受けていた。第一王子とは一つしか歳が違わないテオドール様とはお互いに支え合い未来を語り合ってきた。第一王子が立太子すればテオドール様はその補佐となり国外へ赴く事が多くなるだろうからとそちらの勉強も始めていた。
「私も、テオドール様以外は嫌です」
婚約は義務だったが、好きにはなって愛するようになったのは積み上げてきた時間と関係から。それを入れ替えられたくはない。
ざわめく人々の視線が時折こちらに向けられるし、公爵令嬢もテオドール様を見ていたけれど。テオドール様はそれらの視線に意識を向けていなかった。
後に国王陛下と王妃殿下、テオドール様と私、公爵令嬢と公爵様、ルミエラ様とカインベル様が一室に集まった。マキシム第一王子との婚約は解消された事、テオドール様が立太子する事、そしてそのテオドール様の婚約者を私から公爵令嬢に変えたい事。二つ目までは確定だけど三番目は打診のようなもので、公爵令嬢がちらちらとテオドール様を見ている。選ばれるのは自分だという自信が垣間見えるけれど。
「断ります。私の婚約者はリュシエールでありこれからも変わらない」
「だがな、テオドール」
「教育面で言えばリュシーも同じ事をしていますし、隣国へのこの二年留学で多くの王族や貴族との交流をしてきました。リュシーのトルリッジ侯爵家の先代夫人は北のナズエル王国の王女です。それだけでない。今回の留学で帝国の第三皇子がリュシーの妹君との交流を強く望んでいます。リュシーが私の婚約者であるからこそこの縁は繋がったのであり、公爵令嬢に変更する利点はありません」
「帝国だと。その話は聞いていないぞ」
「あくまでもただの交流を始める段階ですからね」
テオドール様と私が隣国の学園に留学したのは外交の力を伸ばしながら人脈を広げる為で、その中で私の妹が遊びに来た際、帝国から留学してきた第三皇子が一目惚れした。
私が王家に嫁ぎ妹が帝国の皇家に嫁げばその縁で交流を、と言い出したのはその第三皇子。
「王家に嫁ぐ必要があるならば、王弟殿下がいるではないか」
何とか娘を未来の王妃にしたい公爵のその言葉はテオドール様の怒りを買うと分からないのか。
「叔父上には公爵令嬢が嫁げばいいではないか。言っておきますが、家格的には現段階でもリュシーの家の方が上です。ただ爵位的に公爵家が上と思われていますが、血筋としてはリュシーの方が遥かに尊い。そして帝国とも繋がりが持てるかもしれない。そんな女性を王妃にしない理由がない。他国との円滑な交流も出来ている。翻ってそちらの令嬢は何が出来ますか?」
「わたくしはこの国での地盤を作っていますわ!」
「そもそも、己の婚約者に近づく害虫を駆除出来なかった、もしくはしなかった時点で貴方には能力がない。あなたの言う地盤は同年代の令嬢のみでしょう?第一、私は貴方が嫌いだ。貴方が相手なら白い結婚でお飾りの王妃になってもらう。貴方から次代の王は生まれない」
強い口調で拒絶を示すテオドール様は、権力でそれを行使するなら王妃である意味が無いように対処すると宣言する。
「その為に魔法使い殿にここに来てもらった。私が種を撒き散らさないよう、そして貴方が決して子を孕まぬよう魔法を掛けてもらうために」
カインベル様が何故ここにいるのだろうと思っていたのだが、テオドール様の手配だったらしい。ルミエラ様がいるのはカインベル様の抑え役だけど、それ以上にルミエラ様は純愛がお好きなのだ。
「私はリュシー以外を妻として女性として愛するつもりは無い。政略に愛など不要かもしれないが、私達は時間をかけて愛と信頼を積上げてきた。それを横から割り込むどころか奪い取る者に掛ける容赦は無い」
「まぁ。テオドール、そこまでリュシエール嬢がお好きなのね」
「はい、伯母上。リュシーとだから辛い教育も乗り越えて来れました。リュシーでなければ意味が無いんです」
「そうよね。政略結婚でも関係を重ねるのは時間と努力が必要だものね」
「カインベル殿ならお分かりいただけると思います。伯母上と結婚が決まっていたのにある日突然別人を宛てがわれて耐えられますか?」
「私なら即座に殺すな。そんな馬鹿なことを言った奴も、それを当たり前に受け止める女も。なるほど、今のお前はそれ程までに許すつもりは無いのだな」
「ええ。国母にさせるものか。私からリュシーを奪うなら国諸共沈めばいい」
それがテオドール様の本気だとわかったのか、国王陛下や公爵は僅かに顔色を悪くさせる。そんな中、静かにこの場を見守っていた王妃殿下が口を開いた。
「陛下、わたくしは申し上げたはずです。テオドールからリュシエール嬢を引き離そうとしてはならない、と。貴方は彼らの教育を報告でしか知らないでしょうが、わたくしは知っていたから止めましたのよ」
「まあ、陛下。リュドミラの言葉を無視されたの?」
「いや、それは」
「確かにマキシムは愚かな子でしたが、ミスティア嬢。貴方、ことある事にテオドールに色目を使っていたわよね。テオドールはリュシエール嬢しか見ていませんでしたけれど。マキシムとて人の心はあります。貴方があの子を内心で馬鹿にして、弟に心を寄せていて歩み寄るわけないわ」
王妃殿下とルミエラ様の言葉に焦りを見せる国王陛下は大変そうだけれど、私にとって重要なのはそこではない。テオドール様に色目を使ってるって?
テオドール様は嫌悪感一杯の目で公爵令嬢を見てすぐに私には蕩ける笑みを向けたから、彼の心がどこにあるかなんて一目瞭然。
「だ、だって!テオドール様の方が素敵ですもの!」
「君はリュシーにも及ばないほど醜悪だな。許可を与えていないのに名前で呼ぶな。何度も言うが、私は君が嫌いだ。君と婚姻を結ぶなどありえない。今すぐにでも視界から消えて欲しいくらいに嫌いだ。兄上があんな暴挙に出たのも君が寄り添わなかったからだろう。いくら出来ないことが多い兄上でも、私の兄だ。そんな兄を蔑む者を許せるわけが無い」
マキシム様は確かにテオドール様よりも勉学は劣っているた。だけど優しい人で、私とテオドール様を見ては「お前達は幸せになれよ」と言ってくれる人だった。
あの男爵令嬢に引っ掛かったのはマキシム様の失態だけど。あんな寂しそうな顔をしたマキシム様がどんな下心があれども好きだと近寄って来た令嬢に心を許してしまったのも分かる気がする。
テオドール様はマキシム様の事が好きだった。国王が優秀である必要は無い。支える人間が優秀であればいい。そう言ってマキシム様が治める国を臣下として支える為にテオドール様は努力してきた。マキシム様に国王になって欲しかったから。
テオドール様は自分が好きな人しか大事に出来ない。私には優しいけれど、そうでは無い人には優しくない。取り繕うのが上手だから人当たりがいいように見えるだけで、私だって最初の頃は他人行儀にしか付き合えなかった。
そんなマキシム様を蔑ろにした女性をテオドール様は許さない。
最終的に、テオドール様が立太子するのは確定で、婚約者は私のまま。どうやっても公爵令嬢を拒絶し強行するならば白い結婚となるし、それは公にしてお飾りの王妃扱いを周知させるとまで言われたら公爵は引き下がるしか無かった。
王弟に嫁げば良い、とすげなくテオドール様に言われていたけれど公爵は断った。ここまで嫌われている彼女を国内の貴族に嫁がせる方が危険だと思ったのだろう。何より、マキシム様に寄り添おうとせずテオドール様に色目を使っていた事を知った公爵の怒りは言葉にしなくても分かるほどだった。
隣国や帝国、北方を除いたどこかに送り出されるだろう。幸いにして王子妃教育では秘匿情報は学ばないので、国外に出ても問題は無い。
テオドール様が王太子になるということは、私も王太子妃になるので詰め込み教育が始まる。憂鬱だけど、頑張るしかない。
それにしても、ここってなにかの作品の世界なの?
私には前世の知識がある。ただの知識であって人格に影響はない。私は私。幼い頃から何となく不思議な夢を見ていて、ある程度成長したところで、あ、これ前世の知識だ。とはなったけどそれだけ。
知識からしたら日常生活に不便はあるけれどそれが普通なのであまり気にならない。
あの男爵令嬢は「私はヒロインよ!」って言っていたけれど、違うと思うの。外見はヒロインでも中身は別ものだし、そもそもヒロインは自分をヒロインだと思ってない。
第三者の感覚で認識してる時点で本人ではないと分からないのかな。後、あの公爵令嬢も多分前世の知識か記憶持ち。彼女、独り言が多いし、走り書きなのかメモか分からないけれど「日本語」を使って文字を書いていた。
どちらもこの世界にきちんと向き合っていれば良かったのに。仮にゲームの世界だとして、私には覚えがないから分からないけれど、生身の人間だから感情はある。選択肢なんて無い。目の前にあるものを大事にすればよかったのに。
マキシム様は横領が適用されて王族用の懲罰部屋に幽閉される事に。側近候補達は各家の判断に任されたけれど甘くは無い対応をされたらしい。
男爵令嬢の家族は離れた領地にいて令嬢の所業を知らなかったらしく取り潰しは免れたけれど、令嬢本人は罰せられた。平民となり慰謝料支払いの為に刑罰用施設に送られた。
公爵令嬢は遠くの国の貴族に婚姻の為に送られた。この国とは交易をしている国で、簡単には戻って来れない場所だけど公爵令嬢として嫁ぐのでそれなりに扱われるのは決まっている。伯爵家のようだけど、善良な人らしいので酷い目に遭わないだろう。
テオドール様は自分が即位したらその恩赦でマキシム様を塔から出す事を目標にしている。たしかにやってしまった事は悪い事だけど、殿下が贈ったのは靴とかブレスレットとからしく、まあ額で言えばそこまで多くなかった。流石にドレスは手配の関係とかもあり他の方が送ったらしい。
まだ若かったのもあって、王族だからこそ許されてはいけないけれどそれで一生を潰されるほどの事なのか、とは思う。
懲罰部屋は離宮の一つにあって、自由に出入りは出来ない。一日に一度、運動の為に外に出る以外は鍵の掛けられた部屋の中で与えられた仕事をしなければならない。
決して快適な空間ではない。罪を償うこと、反省することが目的の部屋で、時に精神を病むこともある。外部から制限はあるけれど差し入れが出来る。私は表だって動けないテオドール様の代わりにマキシム様に週に一度、本を差し入れしている。
検閲されるけれど細工は一切していない。テオドール様からマキシム様は冒険譚が本当はお好きという事で、それをお届けしている。
「リュシー、いつもありがとう」
「いいえ。今度、一緒にお選び下さいね?」
「もちろんだよ」
カインベル様とルミエラ様は相変わらず仲が良い。つい先日、王妃様とルミエラ様とわたしでお茶会をしたけれど、予定時刻にカインベル様が魔法を使ってお迎えに来たのは愛されているなぁと思う。
「早く式をしたいなぁ」
「後半年ですよ」
立太子の儀は一年半後。その前に王子の立場で婚礼の儀を挙げる。めでたい事で国内を明るくしよう、ということだ。元々の予定とさほど変わりは無いけれど、国外からの招待に変更があるのでそこが大変な所だろうか。
甘えるテオドール様が休憩の為に長椅子に座るので、その隣に座ると太腿の上に頭を乗せてくる。膝枕がお好きなのだ。
「きっと君には沢山の苦労をかけるだろう。だけど、私の隣で共に戦って欲しい」
「もちろんです。貴方の隣こそ私のいる場所。たとえ険しい道が待ち受けていても、貴方とならばきっと乗り越えられます」
後に、この時代は変動の時期であったと歴史書に記されている。
元々は第一王子マキシムが王太子になるはずだったが、問題を起こした結果、第二王子テオドールがその座に就く事になった。いずれ臣籍降下し外交を主として働く為に婚約者と共に隣国へ留学していたテオドール王子は、その時に多くの他国の王侯貴族と縁を結んだ。
婚約者であり後の王妃となるリュシエール妃の妹であるミモザ嬢は帝国の第三皇子に見初められ、その縁で王国と帝国は同盟関係となった。また、リュシエール妃の祖母は北の大国ナズエルの王女でその関係もあり、大国と言い難い本国ではあるが多くの国と良好な関係を持っていた。
王兄マキシムとテオドール王は非常に仲の良い兄弟で、大公となったマキシム公を頻繁に王宮に呼んでいたことは発見された書簡から読み取れる。マキシム公は生涯独身を貫いたが、国王の子に慕われていた日記も発見されている。
テオドール王はリュシエール妃を最愛と公言し、側室を持つことは無かった。六人の子供は長男で次の国王レシオールと次男でミルハイト公爵となった次男以外は全て国外の王族と婚姻した。何れも国王夫妻と長く友人関係にあった者達ばかりである。
他国からの様々な文化を取り入れ華やかな時代であると共に、国内は堅実に安定しながら国民の生活水準を上げること第一としていた為、この時期に技術が発展したとされている。
リュシエール妃がふとこういう物があれば便利なのに、と零した言葉をテオドール王が形にした結果、国内に広がって行った物は多い。
また、この時期には魔法使いがいたと言われている。テオドール王の先代ステファン王の姉ルミエラ王女の夫が魔法使いとされているが、明確な記録はない。ただ、テオドール王に協力していた形跡はいくつも残されている。
テオドール王は常に子供達に語っていた事がある。
「たとえ政略結婚であろうとも時間をかけて信頼を重ね愛を紡ぐ事は出来る。この世に真実の愛などない。それは不貞を誤魔化す言葉でしかない。相手を信頼し、己を信頼される関係になりなさい。そうすれば揺るがぬ愛になるから」
この時期は若者による婚約の破棄を公の場で行う事が多々あった。しかしテオドール王のこの言葉により、それは恥ずべき事であると認知され減少していく。真実の愛という一見すれば綺麗な言葉は、その実、誰かへの裏切りの上に成り立つ自己満足でしかないと断言していたという。
テオドール王が崩御したのはリュシエール妃が亡くなった僅か一月後のこと。既に退位していたテオドール王は病に伏せていたリュシエール妃を最期まで看とった後、後を追うように亡くなった。
今では一般的になった婚約指輪と結婚指輪は、テオドール王とリュシエール妃が揃いの指輪をしていたことが始まりと言われている。リュシエール妃が自分の婚約者であると主張したがっていたテオドール王が王子時代に送ったところ、リュシエール妃も同じように主張したがり揃いにしたと残されている。
婚姻後は婚約指輪に合わせたデザインの指輪をする事で、一途の証と言っていたのを周囲が真似したのだと言う。
二人は決して平穏な日々ではなかった。若くして王位を継いだのもあり、苦労も多かったと言う。しかし支え合い並び立って歩んだ二人の軌跡は今の時代にも続いている。
異世界転生物でヒロインなり悪役令嬢が「私はヒロイン!」「私って、悪役令嬢…!」って言ってるけれど、それ言ってる時点で別ものだよね。というのが言いたかっただけのはずが変わった話。