新しい我が家、新しい家族
リス妖精さんは住まいにうるさい住宅グルメ。
立派な木材で作られた大きなおうちが好きなため、煉瓦や石造り系のミストルティンにはほとんどいません。
精霊の木はリス妖精垂涎の超高級住宅扱い。
目が覚めたら、全く見覚えのない部屋にいた。
自室どころか、王宮で間借りしていたベッドより大きなベッド。ユフィリアが三人どころか、十人は軽く横になれる。敷布団はしっとりと柔らかい肌触りのシーツの下に、今まで感じたことのない沈み込みながらも安定したマット。掛布団は薄手だけどふわふわな羽毛布団とブランケットだ。
天蓋には大きな異国風の赤い鳥の刺繍が舞い踊っている。周囲覆うカーテンは見事なオーガンジーと羅紗が重ねられて作られた。
実際覆っているのはオーガンジーだけで、羅紗のカーテンは括ってあるのでうっすら寝台の外も見える。
ユフィリアの令嬢センサーが反応している。
すべてにお高いこと間違いなしだ。寝具はもちろんカーテン越し見える絨毯、テーブルや椅子、掛け軸やタペストリーもきっとえげつない。
「ユフィ、起きた? 何か飲む? 水とお茶、果実水ならすぐに出せるよ」
ヨルハが優しく声を掛けながら、近づいてくる。
「お、お水で……」
「分った。氷はいる?」
ヨルハは魔法が使えるのだろうか。そうでなければお抱えの魔法使いがいるか、製氷の魔道具を持っているということだ。
だが、氷を出すだけの魔法使いを雇用するなんて金持ちのすること。製氷の魔道具も贅沢品の部類だ。
「いえ、そのままで」
「はい、どうぞ」
寝起きのユフィリアに気を配ったのか、カーテンを少し避けてグラスだけを天蓋の中に入れた。
そのグラスは縁から真ん中あたりまで透明だが、下は鮮やかな赤の色ガラスになっている。しかも見たことのない細やかな彫りが施されていた。
「綺麗なグラス……」
喉の渇きも忘れ、そのグラスに見惚れているとヨルハが笑った気配がした。
「切子という我が国のガラス工芸品だ。職人が特殊な技法で模様を入れている。ガラスの色も種類があるから、気になるなら工房直営店に行ってみる? 下の階ならうちに呼ぶこともできるけど」
穏やかに提示され、ユフィリアは戸惑った。
思わず口から漏れ出たけれど、その言葉を拾ってくれるとは思わなかったのだ。
ハルモニア伯爵家だと、まずアリスの「ちょうだい!」が真っ先に飛んでくるし、手に入れるのはすべてアリスだった。
「え……」
実家ではこんなに当たり前のように、ユフィリアの要望が通らなかった。
ヨルハはいつも当然のごとく、ユフィリアを尊重してくれる。
だけど、戸惑いが残った。
王宮にいた時も、ヨルハはせっせとユフィリアの贈り物をしていたけれどどうしても一方的だった。ユフィリアには返せるものがない。
甘えていいのだろうか。ユフィリアにそれに見合う価値があるのだろうか。どうすることが正解かわからない。
「お揃いの何かを誂えたい。ダメ?」
「ダメ、ではない……です」
顔を見なくても分る。きっとヨルハは優しい顔をしている。
いつだってそうだ。ユフィリアがいとおしくて、大切でたまらないという目で見ていた。愛おしくて大事にしたいとその声が訴えている。
今だって曖昧で、優柔不断なユフィリアに優しく問いかけている。
「良かった。何か気にしている?」
「いえ、その、私はいつも貰ってばかりで申し訳ないのに」
「何故? 俺がユフィを喜ばせたいだけなのに」
「でも、何かお礼をしたいのです」
「それなら、組紐がいいな。ユフィは手先が器用でセンスがいいってマリエッタ師匠が言っていた」
そういえば、マリエッタと組紐を交換したことがある。
当時、令嬢の間に親しい人と交換したり贈ったりすることが流行っていた。
そんな相手のいないアリスが、勝手に逆上してユフィリアから奪ったのだ。
「分りました、精一杯作らせていただきます」
「マリエッタ師匠に自慢されて、すごく羨ましかった」
さっきも思ったけれど、マリエッタがどうして師匠なのか。ヨルハのほうが背も高く、色々と芸に秀でていそうだ。武の付きそうな芸だが。
そう思いつつもユフィリアは頷いた。
「隣の部屋で中に色々手芸に使えそうなものもあるから、そこから選んで。刺繍の道具や編み物の道具も一通り揃っている。作業用の席もあるけど、無理しないでね」
「あ、ありがとうございます」
そんな本格的な部屋があるのかと、恐縮してしまう。
だけど、ここには妹のアリスはいない。アリスにばかり味方する兄も、両親もいない。心置きなくゆっくりと趣味に没頭できる。そう思うと、楽しみだった。
ヨルハは角度によって琥珀にも黄金にも見える瞳と、白と茶と黒の混じった不思議な髪色をしている。白一つとっても、ユフィリアのような白銀ではなくうっすらと灰色やアイボリーを帯びた落ち着いた色だ。
彼にはどんな色が似合うだろう。
「ああ、そうだ。ベッド脇に木製の鈴があるだろう? それを鳴らせば小間使いの妖精が来るから、用があったら頼んで」
「はい、分かりまし……妖精!?」
「うん、この家は精霊の木なんだ。ゼイン山脈からくる魔物から守ってやる代わりに、好きに使わせてもらっている。色々な場所に繋がっているうえに無駄に広いから、この妖精に色々任せている」
「魔物が来るんですか!?」
「最後に来たのは七年前かな? 辿り着いたのはいないよ」
素材や加工済みの魔物は見たことがある。貴族令嬢のユフィリアは実物を見たことない。
傭兵や冒険者は魔物の討伐で生計を立てている者もいると聞く。魔法を得意とする王宮魔術師などは、騎士と討伐遠征に向かうこともあった。
大丈夫とヨルハは言うが、精霊のいる木に住んでいるなんて、幼い頃に読んだ物語のような住居だ。
困惑しながら水を飲み干し、ちらりと木製の鈴を見る。
好奇心が勝って、振ってみた。
カランコロンと軽妙な音が鳴ると、廊下からずんぐりむっくりとしたリスが三匹やってきた。
普通と違うのは、そのサイズが子供くらいあり、しっかり前掛けタイプのエプロンまでしていることだ。
「ほ、本当に来た……」
「軽食でも頼む? 夕方には歓迎の宴があるから、食べすぎないようにね」
「え、えーと、まずは着替え」
そこまで言って気付いた。ミストルティンを出た時にはドレスだったのに、いつの間にか白のチュニックを着ている。ストッキングもコルセットも身に着けていない。
「いつ着替えを……!?」
「ユフィがゼイングロウに着いた時、まだ寝ていたからこのリスたちに預けたんだ」
ユフィリアが愕然とする中、ヨルハはこてんと首を傾げた。
そんな彼に、リスたちが「チュッチュー」と鳴いて何かを伝える。
「湯浴み、マッサージ、着替えも全部こいつ。メイド業なんて楽勝。一部では世話焼き妖精って呼ばれるくらい、良く働くんだ。誰かに尽くすと満たされるらしい」
本当に意味不明だが、そういう性分の精霊のようだ。
むふーと心なしかドヤッているリスたちは、すぱーんとふわふわの胸を叩く。まるでお任せあれと言っているようだ。
ユフィリアは自分の顔に触れてみると、いつになくもちもちでしっとりとしている。髪からも良い香りがした。ゴンドラの中で寝てしまったけど、肩や首も痛くない。
大きさに驚いたが、シマリスに似た姿で可愛らしいうえに有能だ。
「まあ、ありがとう。お陰でとても寝起きがすっきりしています」
ユフィリアがお礼を言うとリス妖精たちは「チュッ」と小さく鳴いて、ニカッと前歯を見せて笑った。
ハルモニア家にいた時も、メイドはいたけれど仕事はできなかった。
彼ら(彼女ら?)は違う種族相手でも、これだけできるのだ。生来の器用さだけでなく、心構えが違うのだろう。
リス妖精たちはキラキラとつぶらな瞳でユフィリアを見ている。
そういえば、呼んでおいて何も頼んでいないことを思い出す。
「ああ、俺がいると困るか。レディの身繕いには時間がかかって当然と師匠も言っていたし、ゆっくり選んで準備するといいよ。疲れているなら、宴は休んでいいし」
「いいえ、出ますわ。お出迎えもしてくださったかもしれないのに、私は眠りこけていたなんて……っ!」
「勝手に待ってたんだから、気にしなくていいのに」
ナチュラルな殿上人ムーブをするヨルハに、ユフィリアは乾いた笑いしか漏れない。
ヨルハはユフィリアに対して蝶よ花よとあれこれ世話を焼いて尽くすが、その他に対してごく自然に雑な扱いをする。
(でも助かったわ……リスさんたちのお陰でメイドがいなくて困らないもの。ヨルハ様にお風呂や着替えを手伝ってもらうなんて無理……!)
令嬢のドレスは一人で着られるものは少ない。特に盛装はない。
ついでにお風呂は水を運び湯沸かしなんて難しいし、ヨルハを顎で使うなんてできるはずもない。
使用人代わりにいたのが妖精なのは驚きだが、これもまた異文化だろう。
「まず顔を洗いたいの。それと宴用の衣装を用意してくれる?」
リスたちは返事をするとそれぞれ仕事に向かった。
ヨルハも退席したので、ようやく天蓋の外に出られる。いくら結婚するとはいえ、まだ寝起きの顔を見られたくない。心の準備ができていない。
読んでいただきありがとうございました。