国王からの要請
国王は王子も王女もいます。国のために番を送り出すのは絶対ですが、ユフィに自分の娘を重ねています。
悪い人ではないです。ただ、王として正しい判断をしています。
ユフィにも悪い話ではないですしね……婚約者があれなので。
ユフィリアは王宮の一室に連れられると、先に国王ラインハルトがいた。
王宮での催しで遠くから見たことがあるが、ここまで近い距離なのは数回しかない。それも、エリオスの婚約者として流れで紹介や挨拶したくらいだ。
貴族令嬢として叩き込まれた教養として、ユフィリアはお辞儀をする。
「我が国の太陽にご挨拶――」
「ハルモニア伯爵令嬢、頼みがある。ヨルハ殿と結婚してくれ」
国王自ら深々と頭を下げてきたことに、ユフィリアは驚愕を通り越して恐怖した。
貴族の上を行く、高貴な存在として座する王族。そのさらにトップに君臨するのが国王だ。彼らはその尊さとその立場の重みから、滅多に頭を下げない。
それだけ高嶺の存在なのだ。これは一介の令嬢如きにやっていいことではない。
ユフィリアは真っ青になって、いまにも膝や手をついて土下座せんばかりに頭を下げる国王を止めようとした。
「陛下、どうかおやめくださいませ!」
「いいや、やめぬ。ハルモニア伯爵家とアクセル公爵家については、国が責任もって何とかする。どうかこの縁談に頷いてくれ!」
これは立派な脅迫だ。
だが君主たる人物がここまで礼を尽くして頼み込んでいるのに、拒否することなどユフィリアにはできない。
思うところがないとは言えないが、ユフィリアは折れるしかなかった。
「……分かりました。ですが、一つお願いをしてよろしいでしょうか?」
ユフィリアの了承と条件の提案に、ラインハルトは表情を明るくして顔を上げた。
「できることならば、可能な限りの善処はしよう」
「婚約は白紙でお願いします。両者、両家ともに問題はないように取り計らいを。我がハルモニア家にはまだ結婚していない兄と婚約者を探している妹がおります。
アクセル公爵子息もこれから縁談を纏めるとなると大変でしょう。どうか、お力添えをいただけませんでしょうか」
白紙と破棄は違う。白紙は無かったことになる。どちらにも非がないよう婚約解消方法だ。逆に破棄は、する側とされる側がある。どちらかに相当事由があると形だ。
ユフィリアは両家に角が立たないように気にしていると理解した。
はっきりと言っているが、ユフィリアの表情には申し訳なさが滲んでいる。健気な頼みにラインハルトは頷いた。
(自分は唐突に他国へ嫁がされるというのに、残った者への配慮か)
ユフィリアのハルモニア伯爵家での扱いや、婚約者のエリオスの放蕩ぶりは報告に上がっている。そんな連中に心遣いを見せる彼女に感心するとともに、それだけ気を遣わねばいけない境遇に同情した。
「では、ハルモニア伯爵令嬢。急ではあるが今日から王宮に住まい、ゼイングロウ帝国について学んでもらう。我が国とは違う文化であるし、家に教本や資料はないだろう」
表情を柔らかくしたラインハルトの提案は、破格なものだ。
正直、いますぐにでもゼイングロウへ送られると思っていたユフィリアは驚いた。
それにラインハルトの言う通りユフィリアの実家にゼイングロウについて学べるものは少ない。過去にゼイングロウへ嫁いだ令嬢はいるが、かなり昔の話だ。
王宮であれば、歴史や外交官の資料などもあるはず。現役の話も聞けるし、ユフィリアにとってもありがたいことだった。
「よろしいのですか?」
「ああ、実家の荷物もこちらで手配するし、ゼイングロウに持っていきたい品があれば言ってくれ」
「ありがとう存じます」
そう頭を下げつつ、ユフィリアは不思議な安堵感を覚えていた。
ずっと抜け出したかった。
あの息の詰まる実家からも、自分を苦しめることしかしないエリオスからも。
いま、自分の前には救いの梯子が掛けられている。
ゼイングロウ帝国は異国だ。距離を考えれば滅多なことでは家族に会えなくなる。寂しさや悲しさどころか、そのことにユフィリアは開放感すら感じていた。
思い出すのは、異国の麗人。
国王夫妻の様子だと、相当な貴人だと察せられる。
唐突な出会いに強引な縁談――だけど、ユフィリアの手を取って跪いたヨルハを見て、不思議な感覚に包まれた。
あの熱烈な求婚に負けない、焦がすような眼差し。絡め捕られてしまいそうな甘い声。
(……期待するのはやめよう)
夢見がちな考えは、自分を不幸にするだけだ。
気位だけは高い浮気性のヒモ男と結婚するより、何もない異国へ嫁ぐほうがずっといい。
でも、嫌な気持ちじゃない。それは事実なのだ。
メイドに案内され退出するユフィリアの後姿を見ながら、ラインハルトは思案していた。
いくらしっかりしているとはいえ、あれくらいの少女であれば故郷を離れることに躊躇うはずだ。
だが、ユフィリアにはむしろ晴れ晴れとした雰囲気があった。
理由は分かっているが、それでも名残惜しさを覚えるものだが彼女には一欠けらも見られない。
(あの婚約白紙の話は、のちのちに煩わされないためか)
王家が関わっていれば、両家とも大きく反対も批判もできない。後でぐだぐだ文句も付けにくいだろう。
もともと配慮はするつもりだったが、ユフィリアから念押しに頼まれたのだから抜かりなくやらねばならない。
相手は『番』様だ。
この大陸には二大帝国が存在する。北にゼイングロウ帝国、南にメーダイル帝国。
この二大巨頭は他の追随を許さず、長らく君臨している。その歴史は常にいがみ合いであった。
ゼイングロウ帝国は、もともと帝国と名がつくように皇帝が君臨していた。
ミストルティン王国、ゼイングロウ帝国は、遠い昔にメーダイル帝国の内乱で分裂した結果できた国である。ゼイングロウはメーダイルに対抗するように帝国を名乗ったが、どんどん北へ追いやられた結果、獣人が多く住まう亜人部族の土地まで後退した。
メーダイルはひたすらゼイングロウを落とすために奮闘して、ゼイン山脈付近まで追い詰めたが獣人族の部落を蹂躙しようとした結果、ボコボコにされた。
数こそは少なかったが、一騎当千の化け物クラスの獣人がうじゃうじゃいたのだ。
狂暴を極めたゼイン山脈の魔物を相手した獣人たちにとって、メーダイルは敵ではなかった。
何せ北部の山に住む魔物はどいつもこいつも化け物揃い。毒を持つし魔法は使うし呪い放つ。災厄的な意味で生きた伝説のようなものである。
そんな彼らにとって南部から来た侵略者はその辺の魔物以下だった。
国自慢の精鋭の騎士も、各地を渡り歩いた歴戦の傭兵も、エルフを抱えた魔術師団も、お得意の魔道具による殲滅すら歯が立たなかったのだ。
ゼイングロウの人たちも、もともとは外敵扱いされてもおかしく無かったが。だが、その逃げ延びた中に番となる人物がいたのだ。
獣人は番のためなら何でもする。番の敵は自分の敵。親の仇より憎悪する。
獣人たちは即座にゼイングロウ側につき、戦況を巻き返し南北は分断。メーダイルは豊富な自然資源のある北側をまるっとゼイングロウの名を冠す獣人たちに奪われた。
その境界地区に人間の小さな集落があり、ゼイングロウは手を出さないがメーダイルも手を出せない地域が後のミストルティンとなった。
正直、今もミストルティン越しに両国はバチバチ火花を散らしている。メーダイルの一方的な敵視に近いが、仲が悪い。
そんなこんなでゼイングロウの実質は獣人社会であり、『帝国』と国名にあるのは当時の名残だ。
番に始まり、番で激動するのがゼイングロウ。
ちっぽけなミストルティンがあがいてもどうにもならない。
最初から、ユフィリアの拒否権などなかった。
「良縁になることを願おう」
ラインハルトは小さく言祝ぐ
番として召された花嫁や花婿は、大きな国益となる。
彼は国王であり、父でもある――芯が強くともまだ年若い娘の幸せを願うのは本当だった。
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