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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私を処刑した王子へ 〜死んだ公爵令嬢は呪いとなり、王国を沈める〜

作者: たかつど

「……おみえ、ら……ころ、して……やる。」


「わしたを……ここに……おしとた……おみえら……ぜをぶ。」


 言葉も、記憶も、奪われた。

 だけど――怨みだけは、きえなかった。


 ……わしたは……しでんも……ゆるなさい。

 あたなも……あの おなんも……わしたの……いたみ、あわじえ。

 くしるめ……くしるんで……しるしみぬいて……。


 しょけいだい の うえから わらって みおろすろす ふたつの かげが ぼやける。


 ……のれう。

 のれって……やる。

 この くごにと……しめずて……やる。


 むねの おくから あふれた しゅうねん だけが にぶく せかいに しみだしていく。

 しにゆく からだの ちゅうしんで くろいねがいが ゆっくり と かたちを なす。


「ぜん、いん……じぎく、に……おち、ろ……」


 そして――せかいが、あんてんした。






「フローレンス・アーレンベルク嬢。本日より、貴女を我が子エルヴィンの婚約者として迎える」


 国王陛下の厳かな声が、謁見の間に響いた。

 私、フローレンスは十二歳。

 まだ貴族令嬢としての教育も半ばで、突然の王命に戸惑いを隠せなかった。


 隣に立つエルヴィン様も、同じく十二歳。

 金色の髪と蒼い瞳を持つ美しい少年は、こちらをちらりと見て、すぐに視線を逸らした。


 どうやら、彼も緊張しているらしい。

 婚約の儀式が終わり、私たちは初めて二人きりで話す機会を得た。


「あの……フローレンス様」


「はい」


「僕も、驚いています。でも、これから宜しくお願いします」


 エルヴィン様の言葉は、ぎこちないながらも誠実だった。

 私は緊張で強張っていた表情を、少しだけ緩めることができた。


「こちらこそ、宜しくお願い致します」


 それが、私たちの始まりだった。

 婚約から数ヶ月。

 私は王妃教育の厳しさに、何度も泣きそうになった。


 礼儀作法、諸外国の言語、政治学、経済学、芸術、音楽――すべてが完璧でなければならない。

 王妃候補として相応しくない振る舞いをすれば、教育係の侯爵夫人に厳しく叱責された。


「フローレンス様、そのような姿勢では外国の賓客の前に立てません」

「申し訳ございません……」


 涙を堪えて頭を下げる私を、エルヴィン様はいつも優しく励ましてくれた。


「フローレンス、無理をしなくていい。僕も王太子としての勉強が辛くて、よく逃げ出したくなるんだ」

「エルヴィン様……」

「一緒に頑張ろう。僕たちは、いつか二人でこの国を支えるんだから」


 エルヴィン様の言葉に、私は何度も救われた。

 私たちは、共に学び、共に成長した。

 時には庭園を散策し、時には図書館で一緒に本を読んだ。


 エルヴィン様は聡明で、優しく、正義感が強かった。弱い者を見過ごせない性格で、いつか素晴らしい王になると誰もが信じていた。


 私も、エルヴィン様の隣に立てるよう、必死に努力した。


 五年という時間が流れる中で、私たちの絆は深まっていった。


 十七歳になった私は、もう子供ではなかった。

 エルヴィン様への想いも、幼い憧れから、確かな愛情へと変わっていた。


「来年には婚礼ですね」


 ある日の午後、庭園でエルヴィン様がそう言った。


「はい……楽しみです」


 私が微笑むと、エルヴィン様も穏やかに笑った。


「僕も、フローレンスと共に歩む未来が楽しみだ」


 その言葉が、どれほど私を幸福にしたか。

 まさか、この幸せが、数ヶ月後に地獄へと変わるとは、思いもしなかった。


 新学期。王立貴族学園に、一人の少女が入学した。

 平民出身でありながら、神殿の聖女候補として選ばれたミレーユという少女だった。


「皆様、初めまして。ミレーユと申します。平民の身でありながら、このような名誉ある学園に入学させていただき、感謝しております」


 清楚な容貌と謙虚な態度。

 生徒たちは好意的に彼女を迎えた。


 私も、特例での入学とはいえ、聖女候補という重責を担う彼女に敬意を持っていた。


「ミレーユ様、学園生活で分からないことがあれば、いつでもお尋ねくださいね」

「ありがとうございます、フローレンス様」


 ミレーユは感謝の笑みを浮かべた。

 だが、その瞳の奥に、一瞬、何か冷たいものが光ったような気がした。

 ミレーユは、すぐに学園の注目を集めた。

 特にエルヴィン様が、彼女に興味を示したのだ。


「ミレーユは面白いことを言うね。貴族社会の常識に囚われない発想が新鮮だ」


 エルヴィン様がそう言った時、私の胸に小さな棘が刺さった。

 エルヴィン様は、王太子としての重圧に疲れていた。

 完璧であることを求められ、失敗が許されない日々。そんな中で、ミレーユの飾らない態度は、確かに息抜きになったのだろう。


 私は、エルヴィン様を責めることはできなかった。

 ただ、ミレーユの様子が、次第に変わっていくことに気づいた。


 最初は謙虚だった彼女が、王子と話せることに酔い、煌びやかな貴族の生活に憧れ、次第に傲慢になっていった。


「あら、この宝石、素敵ですわ。平民の私には手が届きませんけれど」


 そう言いながら、誰かが贈り物をするのを期待するような態度。


「エルヴィン様は本当に優しい方ですわね。平民の私にも分け隔てなく接してくださる」


 王子の名を気安く呼び、親しげに話す姿。

 私は、婚約者として、彼女に忠告した。


「ミレーユ様、人前でエルヴィン様にあまり親しげに接するのは、控えた方がよろしいかと」


 私の言葉は、丁寧で、配慮に満ちたものだった。

 だが、ミレーユの表情が、一瞬で凍りついた。


「……フローレンス様は、私が目障りなのですか?」

「そういうわけでは……」

「平民の私が、王子様と親しくするのが、気に入らないのでしょう?」


 違う。そうではない。

 私はただ、彼女の立場を心配して――


「私、分かりました。フローレンス様は、私を嫌っていらっしゃるのですね」


 ミレーユは涙を浮かべて、走り去った。

 その後ろ姿を見て、私は不安に駆られた。

 何か、取り返しのつかないことが起こる予感がした。


「エルヴィン様、お話があります」


 ある日、ミレーユがエルヴィン様に何かを訴えた。

 その後、エルヴィン様の私を見る目が、変わった。


「フローレンス、君はミレーユをいじめたのか?」


 突然の問いかけに、私は絶句した。


「いじめ? そのようなこと……」

「ミレーユが泣きながら言っていた。君が彼女を侮辱し、周囲の貴族たちに彼女の悪口を言いふらしていると」

「そんなこと、していません!」


 私は必死に否定した。

 だが、エルヴィン様の瞳には、疑念が宿っていた。


「君は、ミレーユが平民出身だから、見下しているのではないか?」

「違います! 私はただ、彼女が誤解を受けないよう……」

「誤解? 君こそ、彼女を誤解しているのではないか?」


 エルヴィン様の声は、冷たかった。

 私は気づかなかったのです。


 ミレーユが、微弱な魅了の力を使っていることに。

 聖女候補として神から授かった力は、本来、治癒や浄化に使われるべきものだった。


 だが、彼女はその力の一部を、人の心に影響を与えることに使っていた。


 力は弱い。通常なら、エルヴィン様のような強い意志を持つ人間には効かない。


 だが、エルヴィン様は疲れていた。

 王太子としての重圧、完璧であることへの強迫観念、未来への不安――心に隙間があった。


 ミレーユの魅了は、その隙間に、じわりと染み込んでいった。


 状況は、急速に悪化した。


 エルヴィン様は、私の言葉を信じなくなった。

 それどころか、ミレーユの訴えを全面的に信じ、私を"悪"と見なすようになった。


「フローレンス、君は王妃候補として相応しくない。弱い者をいじめるような人間に、この国の民を守れるはずがない」

「私は、いじめていません……!」

「では、なぜミレーユはあんなに怯えているのだ?」


 反論できなかった。

 ミレーユは、完璧に被害者を演じていた。

 そして、決定的な出来事が起こった。

 王妃が、私を呼び出した。


「フローレンス」


 王妃――エルヴィン様の母は、美しく、冷たい女性だった。


「エルヴィンの婚約者として、あなたを選んだのは国王です。私ではありません」

「……はい」

「正直に言えば、私はあなたを気に入っていない。公爵家の令嬢だからといって、特別だとは思わないことです」


 王妃は、以前から私を疎んじていた。

 国王が独断で決めた婚約に、不満を持っていたのだろう。


「エルヴィンが、あなたのことで悩んでいる。ミレーユ様は聖女候補です。その方をいじめるなど、言語道断」

「私は……」

「言い訳は聞きません。あなたには、相応の罰が必要です」


 王妃の言葉に、私は戦慄した。

 これは、もう個人的な諍いではなくなっている。

 王宮全体が、私を敵と見なし始めていた。


 国王陛下は、隣国との条約締結のため、長期の外遊に出ていた。

 その不在を、彼らは利用した。


「フローレンス・アーレンベルクを、王命により拘束する」


 学園に、王宮騎士団が現れた。


「待ってください! 何の罪で……!」

「ミレーユ様への迫害、および王家への不敬罪だ」


 騎士団長の冷たい声。

 私の周りにいた友人たちが、私を庇おうとした。


「フローレンス様は何もしていません!」

「これは不当な逮捕です!」


 だが、その瞬間――

 騎士団長の剣が、閃いた。

 私を庇おうとした侯爵令嬢の首が、地面に転がった。


「――っ!」


 悲鳴が上がる。

 血の海が広がる。


「王命に逆らう者は、反逆者と見なす」


 恐怖で、誰も動けなくなった。

 私は、震える足で立ち尽くすことしかできなかった。


「フローレンス、大人しくしろ。これは、お前の罪を明らかにするための正当な手続きだ」


 エルヴィン様が、そこにいた。

 私を見る目は、もう五年前の優しさを失っていた。


「エルヴィン、様……どうして……」

「どうして? お前が罪を認めないからだ。真実を吐かせるために、尋問が必要だ」


 その言葉の意味を理解した時、私の身体は恐怖で凍りついた。

 公爵家に、助けを求める使者は出せなかった。

 王宮の門は固く閉ざされ、外部との連絡は全て遮断された。

 公爵である父が王宮を訪れたが、門前払いされた。


「国王陛下の許可なく、面会は許されません」

「我が娘は無実だ! 話をさせてくれ!」


 父の叫びも、虚しく響くだけだった。

 私は、完全に孤立しました。

 誰も、助けてくれない。


 エルヴィン様は、もう私を愛していない。

 王妃は、私を排除したがっています。

 ミレーユは、優越感に満ちた笑みを浮かべている。

 私には、もう誰もいなかった。


 地下牢に連行された私を、拷問官が待っていた。


「フローレンス・アーレンベルク。ミレーユ様への迫害について、自白せよ」

「私は、何もしていません……」

「嘘をつくな」


 拷問が始まった。


 最初は、簡単なものだった。水責め、鞭打ち。

 だが、私が自白しないと分かると、拷問は激しさを増した。


「エルヴィン様の命令だ。真実を吐かせろ、と」


 拷問官の声が、遠くで聞こえる。

 私は、何度も気を失い、何度も叩き起こされた。

 指の爪を剥がされ、足の骨を折られ、全身に焼き鏝を当てられた。


「認めれば、楽にしてやる」

「認め、ません……私は、無実、です……」


 その言葉が、彼らを苛立たせた。

 そして――最悪の拷問が始まった。

 頭蓋を締めつける器具。


「これは、脳を圧迫する。痛みは想像を絶するぞ」


 ギリギリと、金属が頭蓋を締めつける。


「あ、ああああああああっ!」


 叫ぶことしかできなかった。

 あたまのなかで、なにかがこわれていく おとがした。

 しかいがゆがみ、しこうがこんだくする。


「み、とめ、ない……わたし、は……」


 ことばが、うまく、でてこない。


「まだ認めないのか」


 さらに きぐが しめつけ られる。


「ああ、ああ……」


 もう ことばに ならなかった。


 のうの げんごちゅすううが はかさいてれいく。


 わしたは にげんん としての さうごの そげんん こばとを つめぐ のりうょく を うなしった。

 ごうんもすつ の とらびが ひりき えるんゔさま が はうっきてた。


 その とぬり には みーれゆ が いた。


「あら、まだ生きているのですか。しぶといですわね」


 みーれゆ の こうが たのそしう に ひぶく。


「フローレンス、まだ認めないのか」


 えれぃゔん さま の こうは つめかたった。

 わたしは なぬか いうおとした。

 でも もう こてば が でて こかなった。


「あ……う……」


 これたた のおは もう げをご を せせいい でなきい。


「喋らないということは、罪を認めたということだ」


 ちぐう。

 ちぐう えゔるぃをさま。

 わつし は むつじです。

 でも その こてば は もう とかどない。


「フローレンス・アーレンベルクに、死刑を宣告する」


 えゔるぃをさま の こうが せこんく を つぐた。

 みーれゆが たらたか に わっらた。


「ああ、素晴らしいですわ。悪は滅びるべきです」


 わつし は なだみも でかなった。

 ただ うろつな ひみとで かちて あしいた ひてを みめつる こしとか できかなった。


 こかうい しょいけの ひ。

 おきうゅう の なにかわに だんうとだい が せっさちれた。


 みしんゅう が あめつられ きぞたくち が けんつぶせき に すっわた。


 そすて こだういうは えゔるんぃさま と みーれゆ が なんらで すっわいてた。

 わしたは ひずきれらる よう に だんうとづい に れんこう さるた。


「フローレンス! フローレンス!」


 ぐしんゅう の なくくら ちち と はは の こうが きえこた。

 おうとと の るあしん も ななきがら さんけで いた。


「姉上! 姉上は無実だ! やめろ!」


 でも きたしちが かられを おえさけつた。

 わしたは かくぞの かをみおた。

 ごんめさない。

 まれもくなて ごんめさない。

 わしたは だんうとだい に ひずを つさかれた。

 くび を こてすいる かすが つためく くすびじに ふれる。

 しっうこんにが ぎちろん の やうば を ひきげある。


 わしたは さうご の ちらかを ふりしばった。

 これわた のでうも ぞうお だくは じゅそ だくは つげむた。


 ……のれう。

 のれって……やる。

 この くごにと……しめずて……やる。


「……おみえ、ら……ころ、して……やる。」


 えゔるぃんさま と みーれゆを にみらつくる。


「わしたを……ここに……おしとた……おみえら……ぜをぶ。」

「ぜん、いん……じぎく、に……おち、ろ……」


 わしたの こばとに えゔるぃんさま の ひょうじょうが いしっゅん だけ ゆるた。

 でも すぎに つためい かむん が もでる。


「執行せよ」


 めれいいが くさだれた。

 ぎちろん の やばいが おてちくる。

 わちし の さうご の しいかに うっつのたは――

 えゔるぃんさま の つためい あえい ひてみ だょた。





 フローレンスの処刑から、三日後。

 エルヴィン王子の身体に、異変が起きた。


「殿下、お顔が……!」


 侍従が悲鳴を上げた。


 鏡を見たエルヴィンは、愕然とした。


 顔に、黒い斑点が浮かび上がっていた。

 まるで、拷問で焼き鏝を当てられたような痕跡が、皮膚の下から滲み出るように現れる。


 それは、日を追うごとに広がり、皮膚が腐敗し始めた。

 生きながらにして、肉体が死んでいく。


「これは、何だ……! 痛い、痛い、痛いっ!」


 エルヴィンは絶叫した。

 焼けるような、引き裂かれるような、圧迫されるような――あらゆる苦痛が同時に襲いかかる。


 それは、フローレンスが味わった拷問の痛みそのものだった。

 宮廷医師が呼ばれたが、誰も病名を特定できなかった。


「これは、前例のない奇病です……いや、病ではない。これは、呪いだ……」


 医師の震える声が、真実を告げた。

 治療法も、原因も、分からない。


 ただ、苦痛だけが、日々激しくなっていく。


 そして、同じ症状が、ミレーユにも現れた。


「いや、いやああああ! 何これ、何なのこれ!」


 ミレーユの美しい顔が、醜く崩れていく。

 黒い斑点は瞬く間に全身に広がり、皮膚が剥がれ、肉が腐り、骨が露出していく。


「助けて、助けて! 私は聖女候補よ! こんなこと、あってはならない!」


 だが、神は答えなかった。


 聖女候補でありながら、魅了を悪用し、無実の者を死に追いやった罪。


 その報いが、今、彼女を蝕んでいた。


 手足が腐り、指が一本ずつ壊死して落ちていく。

 異臭を放ち、蛆虫が湧き始めた。


「いやあああああ! 誰か、誰か! フローレンスが、フローレンスが呪っている! 許して、許してええええ!」


 ミレーユの悲鳴は、王宮中に響き渡った。

 だが、誰も彼女を救えなかった。


 二人は、隔離された。


 だが、苦痛は日増しに激しくなった。


 肉体が崩壊し、痛みで眠ることもできない。

 食事も喉を通らず、ただ苦しみ続けるだけの日々。


 エルヴィンの身体からは、フローレンスが拷問で流した血と同じ量の血が、傷口から止まることなく流れ続けた。


 ミレーユの喉は、まるで締めつけられるように圧迫され、呼吸が困難になっていく。

 それは、ギロチンで首を落とされる前の恐怖を、永遠に味わわされているかのようだった。


 そして、夜になると――


「ああああああああっ!」


 エルヴィンの寝室に、亡霊が現れた。

 拷問で損傷した姿のフローレンスが、血まみれで立っていた。

 頭蓋に拷問器具の痕が残り、全身に焼き鏝の跡、爪の剥がれた指、折れた足。


 その姿は、エルヴィンが命じた拷問の結果そのものだった。


「えゔるんぃさま……どうして……」


 亡霊の声が、恨みを込めて囁く。


「わしたは、むつじでした……なぜ しじんて くれかなった の ですか……」

「やめろ! 来るな! お前は死んだはずだ!」


 エルヴィンは叫んだ。


 だが、亡霊は近づいてくる。

 血に濡れた手が、エルヴィンの頬に触れる。

 その瞬間、エルヴィンの身体に、激痛が走った。


「あああああっ! やめろ、やめてくれ!」


「わしたも そう さくび ますた。でも えゔるぃんさまは とむて くまれせん でたしね」


 亡霊の声は、静かで、冷たかった。


「まばいん まばいん わしたの くしるみ を あわじって くさだい わしたが あわじった ぜぼつうを きうょふを いみたを すぶて」


「許してくれ、フローレンス! 僕は、僕は間違っていた!」

「おいその です もう おせい……」


 亡霊は、消えた。


 だが、翌日も、その翌日も、毎晩現れた。

 エルヴィンは、眠れなくなった。


 眠れば、悪夢が襲う。


 フローレンスが拷問される光景。

 彼女の悲鳴。血の海。


 そして、自分がそれを命じた記憶。


「やめろ、やめてくれええええ!」


 エルヴィンは、寝室で絶叫した。


 そして、魅了の効果が、完全に消えた。

 封じられていた記憶が、鮮明に蘇る。


 フローレンスの優しい笑顔。

 共に過ごした五年間。


 彼女が、どれほど誠実に、王妃候補として努力していたか。

 そして、ミレーユの嘘。魅了。

 全てが、明確に見えた。


「僕は……何を……」


 フローレンスは、本当に無実だった。

 ミレーユが、嘘をついていた。


 僕は、愛する人を、信じなかった。

 僕は、愛する人を、拷問にかけた。

 僕は、愛する人を、殺した。


「ああああああああっ!」


 エルヴィンは、発狂した。

 罪悪感と後悔が、彼の精神を完全に破壊した。


「フローレンス、フローレンス、ごめん、ごめんなさい、許して、許してくれええええ!」


 彼は床を這いずり回り、自分の髪を引き千切り、壁に頭を打ちつけた。


 だが、許しは訪れない。


 フローレンスは、もう二度と戻ってこない。

 ミレーユも、同じように狂っていった。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 私が悪かった、私が嘘をついた! 許して、フローレンス様、許してええええ!」


 彼女は、腐りゆく身体で、床を這いながら泣き叫んだ。


「私は、嫉妬したの……貴女が羨ましかった……! だから、だから……!」


 だが、懺悔も、もう遅い。

 亡霊は、彼女の前にも現れた。


「みーれゆ……あたなは わしたを わらないがら みまてしいたね」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

「わつし の くるみしが おしもろ かった のすでか?」

「違う、違うの! 私は、ただ……!」

「では あたなも おぬじ くしるみ を あわっじて くさだい ええいんに」


 亡霊の宣告が、下された。


 二人の苦しみは、終わらなかった。

 呪いは、彼らの肉体だけでなく、魂をも蝕んでいった。


 生きることも、死ぬことも許されない。

 ただ、苦痛と後悔だけが、永遠に続く地獄。

 それが、無実の者を殺した代償だった。


 毎晩、二人の絶叫が響き渡った。


「許してくれええええ!」

「助けて、誰か、誰かああああ!」


 だが、誰も救わなかった。

 いや、救えなかった。

 これは、呪いではなく――

 罰だったのだから。




 国王が、帰国した。


「エルヴィンは、どこだ」


 王宮の異変を知った国王は、すぐに調査を命じた。

 そして、全ての真実が明らかになった。

 ミレーユの魅了。

 嘘の告発。

 王妃の介入。

 エルヴィンの暴走。

 そして、無実のフローレンスの処刑。


「……なんということだ」


 国王は、深い悲しみと怒りに震えた。


「エルヴィン、ミレーユ、王妃を連行せよ」


 三人は、法廷に引き出された。

 エルヴィンは、もう正気を失っていた。


「父上……僕は……フローレンスを……」

「黙れ」


 国王の声が、鋭く響いた。


「お前は、無実の婚約者を殺した。王子である前に、人間として許されざる罪だ」

「ミレーユ。お前は聖女候補でありながら、魅了を悪用し、嘘をつき、無実の者を死に追いやった」

「そして、王妃。お前は母でありながら、息子を正しく導かず、無実の令嬢を排除しようとした」


 国王の裁定が下された。


「エルヴィン・アルティス・ラグランジェ、死刑」

「ミレーユ、死刑」

「王妃は、王位剥奪の上、アーレンベルク公爵家に引き渡す」


 処刑は、即日執行された。

 エルヴィンとミレーユは、フローレンスが処刑された同じ断頭台で、首を落とされた。

 呪いは、彼らの死後も消えなかった。

 二人の遺体は、腐敗が異常に早く、埋葬もできなかった。

 最終的に、火葬され、灰は風に散らされた。


 アーレンベルク公爵家の墓地に、白い墓石が立っていた。


『フローレンス・アーレンベルク』


『愛するフローレンス。安らかに』


 父と母、そして弟のルシアンが、墓前で涙を流していた。


「フローレンス……すまない……」


 父は、何度も謝罪した。


「守ってやれなくて、すまない……」


 母は、声を上げて泣いた。

 ルシアンは、ただ静かに、姉の墓を見つめていた。

 国王も、墓前に訪れた。


「フローレンス嬢。私の教育不足が、この悲劇を招いた。深く、深くお詫び申し上げる」


 だが、謝罪は、もう届かない。

 フローレンスは、二度と戻ってこない。

 この事件は、王国史に記録された。


『最も愚かで残酷な王太子事件』


 後世の歴史家たちは、この事件を研究し、権力の暴走と魅了の危険性を説いた。

 だが、どれだけ研究しても、失われた命は戻らない。


 もし、フローレンスが生きていたら。


 十八歳で、エルヴィンと結婚していただろう。

 美しい花嫁姿で、幸せそうに微笑んでいただろう。

 王妃として、民を愛し、国を支えていただろう。

 子供が生まれ、家族と共に笑う日々があっただろう。


 でも、その未来は、もう訪れない。


 フローレンスの墓前に、白い花が手向けられた。

 風が、静かに吹いていた。

 誰もいない墓地に、亡霊の囁きが聞こえたような気がした。


『えゔるぃんさま……わしたは さごいまで、あにた を あしいて いしまた』


 でも、それは、もう届かない言葉だった。



どうだったでしょうか?


タイポグリセミア現象を知って書きたくなりました。

「人間は最初と最後の文字があっていれば読める」と言う現象です。

こんにちは→こにんつは

何となく読める!


口直しにこちらのギャグもどうぞ!

●悪役令嬢ですが、婚約破棄の原因がトイレ戦争だったので逆に清々しいです

https://ncode.syosetu.com/n7938li/

●異世界に召喚されたけど、帰る条件が「焦げない鮭を焼くこと」だった 〜千田さん家の裏口は異世界への入口〜

https://ncode.syosetu.com/n0668lg/

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― 新着の感想 ―
巻き添えで騎士団長に殺された令嬢も侯爵家という家格の令嬢なんですが、そちらの家はノータッチなのかなと
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