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(お嬢様、無事でいてくださいよ……!!)
僕は第1聖区と聖王宮とを隔てる城門に向かって走り出す。
「レイジ、くんっ、第1騎士隊とは、私が、話すべなっ」
全速力で走りながらレレノアさんが僕にそう言った。
確かに城門は聖王騎士団の人たちが固めている。
なにをやってるんだよ。今、なにかが起きてるだろ! こっちじゃなく、アンタたちの後ろで!
「必要ないです」
「え」
僕は、自分の身体が学習した多くの天賦を呼び覚ます。【腕力強化】、【背筋力強化】、【腹筋力強化】、極めつけは【身体強化】を使っての【疾走術】だ。
「えええっ!?」
ぐん、とレレノアさんと差がつくのを感じる。僕の身体が風になって、一気に城門までの距離を縮める。
「おい、お前はどこの護衛——」
「止まれ止まれ、ここからは通せない——」
身を低くし、【瞬発力強化】と【跳躍術】で石畳を蹴った。
「ええええええ!?」
僕はレレノアさんの絶叫を後ろに残し、城門を軽々と飛び越えて向こう側に着地する。
(【回復魔法】)
あまりに無茶をしたので筋繊維が悲鳴を上げているが、それを魔法で治す。
人気のない聖王宮を走り出す。半球状の暗闇目指して。
(あれはなんだ? あの中にお嬢様がいるんだよな? まだ——)
僕が思い出したのは、アッヘンバッハ公爵領の領都で竜と戦ったときのこと。
戦う力を持たなかった僕はノンさんに連れられて戦場を後にした。
あのとき僕に、今と同じ力があれば多くの人死にを出さずに済んだかもしれない。
ライキラさんだって死なずに済んだかもしれない。
(——まだ、間に合うかもしれない。間に合わせる!)
すぐそこに闇のドームが迫っている。中へとそのまま入るべきか、あるいはなにか別の手段が——。
「!!」
僕はそのとき、ドーム前にたたずむ人影を発見した。
* エヴァ=スィリーズ *
視界が暗転したのは自分が気を失ったからなのだとエヴァは最初、思った。だけれどすぐに、視覚以外の感覚が正常であることに気がつく。自分を抱きしめているミラの温かさ、誰かの大声、風に乗ってやってくる——焦げ付くようなニオイ。
「聖王陛下、これはなんですか!?」
暗闇の中で明るいものは限られていた。すぐそばにいた聖王子クルヴシュラトの身体からあふれる聖水色の輝き、石段の上で仁王立ちしている聖王も持っている同じ光。
目を凝らすと、聖王の横にはより強い闇があって、そこから黒い霧が噴出しているようだった。
「うおおおおおおお! 鎮まれ!!」
聖王の太い両腕が錫杖を力一杯、強い闇に目がけて振り下ろした。
その闇がいた場所は、先ほどまでルイが立っていた場所だ。
(ルイ様は……?)
考えたくない、イヤな想像がエヴァの脳裏をよぎる。
それはつまり。
あの闇が、ルイなのではないか、という。
闇はするりと身体を引いてかわしたが、周囲の闇の濃さは——この空間に充満している闇はわずかに和らいだように感じられた。
「——ごめんなさい、もう大丈夫」
「エヴァ様!? 平気ですか」
「はい……ただ、わたくしの目は見ないでくださいませ」
魔力が戻ってきたエヴァはミラの顔をつとめて見ないようにしながら身体を起こした。
ここでなにが起きているのか、きちんと理解できている人間は聖王とエル、それにロズィエ公爵くらいだろうと思われた。
(わたくしの魔瞳がルイ様を……)
ルイの強気過ぎる行動は、明らかに自分の「鼓舞の魔瞳」が原因だということはわかっていた。
胸が苦しいほどに痛い。
後悔が、重荷のようにのしかかってくる。
「エル! これはどういうことだ!!」
「え、聖王陛下……公爵家では、かの天賦珠玉を受け入れるのに、力不足であったということでしょう」
「だがこんなことになるとはお前は言わなかったぞ!!」
「は……。過去の聖王は、皆、聖水色を持つ『無垢の者』に天賦珠玉を与えておりましたから……」
聖水色。
無垢の者。
その2つがキーになっているのだ。
ルイは聖水色を持たなかった——だけれど、天賦珠玉を取り込んだだけでいったいなにが起きたというのか。
『……クキ、コ……カカカカカカカカ……!!』
乾いた嗤い声が響いた。
嗤ったのは、闇だ。闇であってルイではない——エヴァはそう信じ込もうとした。
背筋をなでられるようなぞわりとした感覚に、エヴァの肌が粟立つ。
「ルイィィィイ!!」
ロズィエ公爵の絶叫が聞こえ、観覧に来ていた貴族たちが立ち上がり、逃げていく気配がある。
「——な、なんだこれは。壁になっていて進めない!」
「——騎士団! 剣を振れ!」
逃げることもできないようだ。剣を振るう音も聞こえたが、小さな火花とともに跳ね返されている。
(そう、ここは聖王騎士団第1隊が警護に当たっている。だから大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせるようにエヴァは胸に手を当てる。
『哀レナ。逃ゲルコトハ適ワヌ』
感情を見せない声が、闇から聞こえてくる。
「黙れ。お前は死ね——騎士団長!!」
「はっ」
「斬れ!!」
「はっ」
どこから現れたのか、この闇でも見える3つめの光が現れた——それは聖王騎士団第1隊隊長にして騎士団長、その人である。
抜かれた剣の色は金色。
刀身が鱗粉のように光をまき散らしている。
「あれが【聖剣術】——!!」
誰かが興奮したように叫んだ。
星6つの、この国でも最高峰の武力だ。
光が、巌のような武人を照らし出す。【聖剣術】の天賦珠玉を失うわけにはいかないために、騎士団長は前線に行くことはなく「名誉職」などと言われることもあるが、騎士団長が弱いわけでは到底ない。
武人として修練を積み、先代騎士団長と聖王のふたりが認めた者が後継者となる。
金属鎧を着込んだ騎士団長は、マントをなびかせながら光の剣を振り下ろした。
「あっ——」
瞬間、目を開けていられないほどの光が闇を切り裂いていく。足元が揺れてエヴァは尻餅をつく。誰かが悲鳴を上げている。
その衝撃が収まったとき——視界がぼんやりとして正常な視力が戻るまでにわずかな時間が必要だった。
まだ闇は去っていなかった。
「……ごぼっ」
騎士団長が、剣によって腹を貫かれていた。
その剣は宝剣だった。
ロズィエ公爵が息子ルイのために贈った宝剣だ。
(やっぱり、あれは……)
エヴァは思い知ってしまう。あの、人の形を取った闇の塊がルイなのだと。
騎士団長がその場に倒れ伏し、動かなくなった。