第11話/観察眼
蛍光灯の白い光が、無機質な空間をさらに冷たく照らしていた。
壁一面のモニターには、現場写真と解剖所見、そして蛇の目の分析結果が次々と映し出されていく。
「解析を再開する」
秋山慎一郎が静かに呟くと、人工知能――KAZUHAコア(蛇の目)が低く澄んだ電子音を立てて応答した。
『被害者の角膜に装着されていた異物の解析結果を提示します。対象はカラーコンタクトレンズ。市販品です』
「コンタクト……」
吉羽恵美は、ディスプレイに拡大表示された被害者の眼球写真を見て、思わず息を呑んだ。
白目と黒目の境界が不自然なほどくっきりと際立ち、人工的な光沢を放っている。
『メーカー識別コードを検出。印字は極めて微細。通常の肉眼観察では確認困難』
「単なる処理じゃない。意図がある。――蛇の目、詳細を」
『対象のコンタクトレンズはエンジェルカラー製。型番は“スモーキーグレー”。販売開始は4年前。現在も流通中』
『視力矯正用ではなく、ファッション用途。レンズ外径14.5mm、着色直径13.7mm』
「ファッション用……」
片瀬が呟き、モニターに映るグレーの瞳のサンプル画像を見た。
その色はどこか無機質で、冷たい印象を与える。
「なんでわざわざそんなもんを被害者に……」
渡辺がぼそりと漏らした瞬間、蛇の目が新たなデータを提示した。
『該当カラーコンタクトは、特定のアンダーグラウンド系SNSコミュニティで流行。被害者の一部と同一の購入履歴あり』
「……待て、それはつまり、被害者と犯人の接点が“ネット上”にある可能性もあるってことか?」
恵美が身を乗り出す。
『肯定。被害者のうち3名、同一通販サイトから同モデルを購入していた履歴を確認』
「くそ……こんな基本的な部分を、なんで気づけなかったんだ……!」
渡辺が机を拳で叩いた。乾いた音が室内に響く。
「司法解剖では“異物”としか書かれていなかったし、我々もエンバーミングの痕跡に気を取られていた」
秋山が冷静に言葉を紡ぐ。
だが、その瞳の奥には、明確な苛立ちと悔しさが滲んでいた。
「蛇の目、販売ルートと配送経路を逆引きできるか?」
「……今からでも遅くはないわ。そこに何か“鍵”がある」
恵美は気を引き締めるように呟いた。
『通販サイト、匿名転送サービス、コンビニ受け取り履歴。解析開始』
複数のウィンドウが一斉に開き、配送履歴・IPアドレス・決済経路が蛇の目によってリアルタイムで照合されていく。
「犯人、巧妙に偽装してるな……転送と転送を繰り返して、足を完全に消してる」
片瀬が肩をすくめる。
「いや――見落としは、もう二度としない」
恵美の声には、かすかな怒りと決意が混じっていた。
慎一郎が彼女を見て、短く頷いた。
「いいか、奴は遺体を加工し、飾り、観察している。それは偶然じゃない。行為に“思想”がある。蛇の目が追えるのは、その痕跡だ」
モニターの中心に浮かび上がったのは、複数のコンタクト購入履歴の一点に集中する不自然なパターン――転送拠点。
『配送経路上に複数回登場する受け取り拠点を特定。県内に限定すれば3件』
「……ようやく、尻尾が見え始めたな」
渡辺が唸るように言った。
「ただし、犯人は自分の痕跡を“見せる”ことすらもゲームの一部にしている可能性がある」
慎一郎は淡々と続けた。
「こっちが追えるという前提で、意図的にルートを残している可能性が高い」
「罠、ってことか」
片瀬が呟くと、蛇の目が再び冷たい声を放った。
『確率論的には37.2%。犯人の行動には“誘導性”が見られる』
「――来るぞ。次の一手を、奴はすでに準備してる」
恵美が握った拳に、爪が食い込んだ。
室内の空気が、目に見えない緊張に満ちていった。
カラーコンタクトという、一見些細な異物。
それは、連続殺人鬼が残した最初の“意図的なメッセージ”だった。
蛇の目の解析が、犯人の輪郭を、ゆっくりと、しかし確実に浮かび上がらせていく――。
解析室の空調が低く唸りを上げるなか、モニターの光だけが無機質な空間を照らしていた。
蛇の目――KAZUHAコアは、先ほどのカラーコンタクト解析から休むことなく次の段階へ移行していた。
『次に、犯人がエンバーミング処理を行った理由について推測を開始します』
淡々とした、だが妙に人間の言葉に似た抑揚を持つ合成音声が響く。
恵美、渡辺、片瀬、そして秋山慎一郎は、それぞれ席を立たずに画面を見つめていた。
モニターには、被害者たちの遺体写真が時系列順に並び、肝臓・血管系・顔面の処理痕などが重ね合わせで表示されていく。
『エンバーミングの特徴:遺体の保存性を高める目的で行われている。処理の手際はプロフェッショナル。業務経験または専門的訓練の可能性』
「まあ、それはそうよな……素人の手つきじゃなかった」
片瀬が小さく呟いた。
「だが――あの丁寧さ、執拗さは単なる保存目的じゃない」
慎一郎が静かに言葉を重ねる。
蛇の目のディスプレイに、人工的に処理された皮膚の断面画像がクローズアップされ、処理パターンが赤線でトレースされていく。
『犯人は遺体を“展示可能な状態”に維持している。これは単なる死体処理ではなく、“演出”である可能性が高い』
「演出……?」
渡辺の眉がぴくりと動いた。
「つまり――見せるためにやっているってことか」
恵美が呟くと、蛇の目が即座に応答する。
『肯定。遺体はすべて無臭化処理がなされ、表皮の乾燥も防がれている。これは腐敗を防ぐだけでなく、“鑑賞に耐える状態”を保つための技術』
室内に冷たい沈黙が落ちた。
その沈黙の中で、恵美は小さく喉を鳴らした。
「……まるで、標本ね」
『加えて、処理痕から判断するに、犯人は血液を抜き、ホルマリンではなく防腐液を独自調合している。特定の葬祭業者では使用例なし』
「つまり――自前で処理してる可能性が高いってことか?」
片瀬が腕を組む。
「そうなると、葬祭業の関係者か、医学・薬学系の知識がある人物……あるいは、遺体の取り扱いに慣れた人間だ」
慎一郎の声には、いつもよりも低い重みがあった。
蛇の目が再び解析結果を流し込む。
『エンバーミング処理は、犯人の行動原理に深く関係していると推定。以下、推論分岐を提示します』
スクリーンには3つの項目が浮かび上がる。
美学的支配――死体を理想的な「作品」に変えることで、自己の世界観を他者に強制する。
記録・収集――遺体を長期的に保存し、個人的なコレクションとして保持する。
儀式性――犯人独自の宗教的・観念的な理由による処理。
「……つまり、あいつは“殺す”ことより“残す”ことに執着してるってことか」
渡辺の声が低く沈んだ。
「単なる連続殺人犯じゃないわ。思想がある」
恵美は画面に映る整然とした処理痕を見て、ぞっとした。
あの冷徹な処理跡には、激情や衝動といった人間的な乱れが一切ない。
まるで“計算”された芸術作品のようだった。
「蛇の目、この処理パターンと一致する過去の事件は?」
慎一郎が問いかける。
『国内に一致例なし。ただし海外での複数の猟奇事件と類似点あり。北米、東欧、中南米にて事例確認』
「……国外か」
秋山が低く呟く。
『特にミルウォーキー連続殺人事件およびドイツ死体標本事件との処理手法に共通性あり。いずれの犯人も殺害後、遺体を“理想形”として加工』
「理想形……自分の“美”を押し付けるタイプの殺人犯か」
渡辺が舌打ちした。
「……蛇の目。犯人の性格特性、プロファイルを」
『冷静・計画的・自己顕示欲が強い。社会生活では目立たないが、内面では極端な支配欲と審美的執着を保持』
『感情的爆発や衝動犯ではなく、“思考する殺人者”に分類』
「思考する……つまり、こっちが動く前に、すでに次の“展示”を構想している可能性がある」
慎一郎の声に、一瞬、誰も言葉を返せなかった。
恵美は唇を噛み、指先を握りしめる。
「――次の犠牲者は、もう準備されている……そういうことね」
『肯定』
蛇の目の合成音が、まるで心臓の鼓動のように冷たく空間を叩いた。
その声に感情はない。
だが、そこに滲む冷徹な推論は、まるで“犯人自身”が語っているように聞こえた。
蛇の目は、淡々と、揺るぎなく、殺人鬼の思考をなぞり続けていた。