第45話:朱妃、恥辱に身を震わせる。
雨雨が手にした糠袋が朱妃の全身をまさぐっていく。脇の下、尻、股座、足の裏。
「そんなところまで! くすぐったいわ!」
朱妃は身を捩って逃げようとするが、雨雨の手は彼女を逃さない。
「大事なところです。我慢くださいまし」
朱妃も頭ではわかっている。しかし恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
そうこうしている間に浴槽の水は温まっていた。朱妃は湯煙の上がり始めたその中に身をひたす。
「ふー……」
冷えた身体が温もりを得て、思わず声が漏れた。そのままぽつりと呟く。
「閨の作法なんてわからないわ」
朱妃も勿論不安なのである。雨雨は彼女の細い肩に手を置いて優しく言った。
「後ほど敬事房の太監らから説明はあるかと思いますが、そもそも作法など気にするものではありませんよ。その身を殿方に委ねればよいのです」
––まあ、皇帝陛下は百戦錬磨よね……。
縮小したとはいえ広大な後宮を有し、夜毎に后妃らを抱くのであれば、それは慣れたものであろう。
「雨雨は初めての時どうだったの?」
「……奴婢如きが武甲皇帝陛下の寝所に呼ばれることはありませんわ」
雨雨はそう躱す。確かに彼女は妃嬪ではない。皇帝陛下が宮女にお手付きすることはしばしばあるともいうが、後宮を縮小させた武甲帝がそう女官らに手を出すとも思えない気もした。
ちらと雨雨の身体を見る。
濡れても良いように衣を一枚脱いで、袖を縛っている。そして水が跳ねて布の一部が僅かに透けている。
肉感的だ。なんなら全裸である朱妃より情欲をそそられるのではなかろうか。
「どうされましたか?」
じっと見ていたら不審げな声を上げられた。
雨雨は朱妃の問いにきちんと答えてはいない。彼女は自らの処女性についての直接的な言及を避けた。実は別の男と寝たことがあるのかもしれない。もちろんそれはこの後宮の中で口にできることではないのだろうが。
「なんでもないわ、そろそろ上がります」
朱妃は立ち上がった。
浴室から出ると、雨雨が大きな布で彼女の身体を拭っていく。髪の水分を取るために頭から布が被され、前が見えなくなった時、後頭部にこつりと当たるものがあった。
それは雨雨の額である。布の上から全身が抱き竦められた。背中に豊かな双丘が押し当てられて歪むのが分かる。
「朱妃様。お耐え下さい。そして力になれぬ奴婢をお許し下さい。この後宮における愚かな風習からは妃とて逃れられぬのです」
耳元でそう囁かれた。彼女の声は湿っていた。
「許します」
朱妃は問い返すことなく肯定し、頷いた。
雨雨は水気を丁寧に拭い切ると身体をその布で包んだまま、朱妃の手を取って歩き始める。
朱妃は着替えの為に部屋に戻るのだろうと考えた。本来であれば浴室を出てすぐの部屋に着替えの衣を置くべきであろうが、人手が足りていない。
「そういえば、尚功局の者たちが衣装を作りにきたけど、皇帝陛下とお会いするのに間に合わなかったわね」
西方国家のドレスは個人の身体にぴったりと合わせた服を作るため、服作りにはとても時間がかかるという。それに比べれば瓏の衣は前で合わせて帯で留めるため、そこまで厳密なつくりではない。
勿論、一日で作れないのは当然であるが。
「問題ありません」
雨雨は硬い声で答えた。朱妃は疑問に思う。その言葉の意味もそうだが、彼女が向かう先は朱妃の部屋ではなく玄関の方向であるからだ。
本房の玄関である広間には元々設置されている灯籠に加えて、羅羅が用意したのか行灯や燭台が集められ、煌々と照らされている。
「ひっ……」
朱妃は息を呑んだ。
そこには羅羅と敬事房の宦官達が待機していたからだ。
羅羅もまた顔を青褪めさせた。このような姿で主がここに来るとは思っていなかったのだろう。
「朱緋蘭妃の御身体を改めさせて頂く!」
宦官が大きな声を上げ、朱妃の側に近づく。
雨雨は布をばさりと朱妃の身体から抜き取る。あられもない姿が晒される。
「ひっ」
朱妃が身を捩って手で裸体を隠そうとすればその手首が宦官の手によって掴まれた。
「隠してはなりません」
宦官の目が朱妃の翡翠の瞳を覗き込むように向けられる。
「暗器を有していると思われますぞ」
びくり、と朱妃はその身を震わせた。
暗器、つまり小型の武器である。情交の最中は睡眠中に次いで人が最も無防備となる瞬間である。つまり彼らの仕事には皇帝の暗殺を防ぐという側面があるのだ。
羅羅が前に出て叫ぶ。
「こ、こういうのは女官が確認すべきでは!」
しかし彼女の身体は宦官達に取り押さえられた。
宦官らの一人が言う。
「奴才ら宦官は男でも女でもない。畜生に裸を見られているとでも思って下さい」
そうは言うが、それでもその身形は男のものである。
瓏など後宮に住む女達にとっては恥じるようなことではないと思えるのかもしれない。あるいは使用人などの身分のものを同じ人とは思わぬという王族や貴族の考えが身についているなら恥ずかしいとは思わないのかもしれない。
だが、こういった文化のないロプノール出身であり、使用人に傅かれている経験の少ない朱妃にとっては男に裸を見られているということを恥辱に思う意識は拭えない。
彼女は赤面しつつ息を荒げかけながらも、深呼吸を一つ。無理やり気分を落ち着けて言った。
「……彼女を掴むその手を退けなさい。羅羅、ありがとう。大丈夫だから」