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王女の帰還1

 ローデン王国ホーバン領。

 西にテルナッソス山脈、東にアネット山脈に挟まれたこの地は、ローデン王国の南東に位置するリンブルト大公国との交易路に位置しており、領内は比較的豊かであった。


 しかしここを治めていたフーリシュ・ドゥ・ホーバン伯爵の度重なる重税と横暴によって民衆は蜂起し、ついには伯爵は民衆の手によって討ち取られてしまう。

 それが原因で一時期は領内が無秩序となってしまったものの、その後王都から派遣された第一王子率いる王軍の鎮圧により、民衆蜂起に因って起こった暴動と混乱は意外と早くに収束へと向かった。


 その後、第一王子はホーバン領内の治安回復と行政の統治再建などを図る為に、領内にあるかつての領主の城の一画に詰めて事務処理と現場の指揮にあたっていた。


 民衆蜂起の際に襲撃にあった領主屋敷本館は略奪や破壊行為によっていまだ荒れ果てたままで、第一王子はそこから少し離れた別館の方を拠点としていた。

 王宮の居室に比べれば窮屈で格式も貧相なその一室。

 机の上に積まれた報告書の束に目を通していたのは背の高い若い青年で、目に掛かった明るい茶色の前髪を少し払いのけ、整った顔立ちの眉間に僅かに皺を寄せている。

 豪奢な軍装に身を包んだ彼こそが、ローデン王国第一王子のセクト・ロンダル・カルロン・ローデン・サディエ──その人だ。


 ホーバン平定後の事後処理に追われ、多忙を極めるセクト王子だったが、彼の心の中にはかねてよりの懸案事項がずっと燻っており、それが起因してか彼の表情には精彩というものが欠けていた。

 そんな彼の耳に、来訪者を告げる扉のノックの音が響いた。


「入れ」


 セクト王子は書類の束から目を上げる事無く、扉の向こうにいる人物に対してぞんざいに入室の許可を与える。


「失礼します」


 ややあって扉が開かれると、一人の壮年の男が頭を下げて部屋へと入ってきた。

 茶色の髪と髭、大柄な身体つきに軍装姿は如何にも軍人といった風情で、あまり多くを語る事のない寡黙そうな姿も相俟って厳格な雰囲気を装っている。

 彼の名はセトリオン・ドゥ・オルステリオ。

 このホーバンを平定する為に派兵された王軍の一軍を率いる将軍の一人で、セクト王子を次期王位に据える事を望む第一王子派の一人でもあった。


「先程ティオセラ領主から知らせが入りました。セクト殿下が死亡したと宣言されたユリアーナ王女ですが、その王女率いる一行がティオセラに入ったとの報告がありました」


 セトリオン将軍は淡々とした口調で報告を上げたが、その報を聞いたセクト王子は持っていた報告書の束を机に叩きつけて目を剥いた。


「……やはり生きていたのか、ユリアーナ」


 セクト王子は絞り出すような声で一層眉間に皺を寄せる。

 その報は、彼がここ最近で一番の懸念事項としていた事でもあった。


 ユリアーナ第二王女は、元王妃の息女でありローデン王国の王位継承者の一人で、彼が謀って第二王子であったダカレスと共に暗殺を仕掛けて葬り去った筈の人物だった。

 しかし暗殺後の不意の魔獣襲撃で暗殺部隊が一旦後退した後、ユリアーナの遺体を搬送する為に派遣された者達は、その遺体は疎か一行の馬車や複数の護衛兵達の遺体まで姿を消しており、その行方はようとして知れなかったのだ。


 暗殺を実行した七公爵家の一つ、ブルティオス公爵家の嫡男であるカエクス・コライオ・ドゥ・ブルティオスに確認した際に王女は確実に殺したという報告は受けていたものの、目の前のセトリオン将軍はその報告が誤りだった事を告げていた。


「まさか懸念していた中でも一番可能性が薄く、最悪の結果になるとはな……」


 セクト王子は自嘲気味に笑うと、やがて深い溜め息を吐いた。

 王子自身の言う通り、彼の元には彼女の暗殺が成功した証として、妹がいつも肌身離さず付けていた元王妃の形見の品である首飾りが届けられていた。

 それが手元に届いたという事は、少なくとも目の前でユリアーナは倒れ、首飾りを奪われた事を意味している。

 さらには、その後に襲い掛かって来たというホーンテッドウルフという魔獣の獰猛性は、例え瀕死で命を繋いでいたとしても逃れる事の出来ない死を齎すには十分な要因だ。

 よしんば魔獣をやり過ごす事が出来たとしても、襲撃で負った手傷があればこれ程早くに人前に姿を現す事など出来よう筈もない。


 それに反して今告げられた報告は、ユリアーナが然程の傷を負う事無く健在で、再びローデン王国のティオセラ領内に姿を現したという事実だった。


「如何なさいますか、セクト殿下?」


 セトリオン将軍が、声を失っていたセクト王子に呼び掛けるように問う。

 その言葉にセクト王子の思考が現実へと戻って来ると、深く呼吸をして息を整えて椅子に座り直すように姿勢を正した。


 ユリアーナを襲撃するように依頼したカエクスは暗殺部隊の指揮を執ってはいたが、後方にいて直接ユリアーナを害した訳ではないとも聞き及んでいた。

 とすれば、ユリアーナには襲ったこちらの素性が露見している可能性は低い。

 しかし万が一の事を想定すれば、危険ではあるが二度目の暗殺を試みる事もせねばなるまいと、目の前で姿勢を正したまま見つめるセトリオン将軍に目を向けた。


「ユリアーナにこちらの素性が露見している可能性が低いと言っても用心するに越した事はない……。ティオセラにいる間に何とか処理する事は可能か?」


 セクト王子は僅かに声を潜めて将軍に問うと、セトリオン将軍はそれに首を横に振って否定の仕草をとった。


「残念ながら、ユリアーナ王女一行は元の護衛兵三十名程に加えて、リンブルト大公国の旗を掲げる護衛隊二百名が同道しております」


 その答えにセクト王子は唇の端を噛んで、眉を吊り上げる。


「くそっ、ユリアーナの姉の差し金か……」


 ユリアーナの姉は、リンブルト大公国の大公であるティシエント家に正妃として嫁いでおり、王国内にいた時より姉妹の仲も良かった。

 襲撃後に密かにリンブルトへと逃れたユリアーナが姉を頼り、姉が妹の為に護衛の為の兵を出す事は容易に想像がついた。


「それと、ユリアーナ王女の一行の中にはエルフ族の戦士と思しき者も三十名程いるという話でして、これらを打ち破って事を為す事は事実上不可能と言っていいでしょう」


「な!? エルフ族の戦士だと!?」


 セトリオン将軍のその返しに、セクト王子は驚愕の表情を露わにして声を荒げた。

 エルフ族はローデン王国の東に広がるカナダ大森林を住処にする少数民族で、その戦士と言えば一人一人が長寿によって培われた魔法と剣技を得意とする戦闘の達人達だ。

 それが三十名もユリアーナの護衛を務めるとなれば、並の雑兵程度では数で押すにはかなりの人数を用意する必要があり、そうなれば必然として目立つ事になってしまう。


 安易に暗殺を仕掛ける事など到底無理な話だった。

 しかし──と、セクト王子は眉根を寄せて腕を組む。


「何故、ユリアーナの護衛にエルフ族が出て来たのだ?」


 その疑問は当然の事だった。

 ローデン王国はかつてエルフ族と事を構えた事もあって、あまり関係は良好だったとは言い難かった。

 それだけではなく人族からの迫害から逃れてカナダ大森林へと籠ったエルフ族は、交易なども隣国のリンブルト大公国が唯一の相手で、今や人族の国でその姿を見る事など滅多になくなっていたからだ。


 エルフ族が何故わざわざユリアーナを護衛する為に人族の国へと足を踏み入れたのか──その理由は判然としないが、セクト王子の心中に言い知れぬ不安を宿らせた。

 しかしそれも束の間、やがて顔を上げたセクト王子は口の端を上げて目の前に控えるセトリオン将軍へと視線を向けた。


「ふん、ここまで来れば今更足掻いたところでどうなる物でもない、か」


「では?」


「弟ダカレスの陰謀から無事生還した妹だ、笑って迎えてやろうではないか」


 やや芝居がかった物言いでセクト王子は自らの膝を手で打つと、窓の外の景色に目を向けて薄く笑うのだった。


誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。

次話は12月2日を予定しております。

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