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温泉の効能

 目を開けるとそこには崩れ落ちた天井の開口部から木々の枝葉が覗き、その隙間からは木漏れ日が差して横たわる自分の身体に降り注いでいた。


 何か嫌な夢を見たような気がするが、それが一体どんな内容だったのかあまりはっきりとは思い出せない。

 胸の奥に澱んだ不快感のようなものを吐き出すように、深く息を吸って吐く。そうして意識がはっきりしてくると、自分が温泉に浸かった直後に倒れた事に思い至った。


 僅かに重たく気怠い頭を持ち上げ、周囲の様子を観察する。


 自分が寝かされているのは石造りの台座の上ような場所だった。傍にはかつての(かまど)らしき物の名残があり、ここは元は厨房だったのだろう。

 恐らく寝かされている台座は調理台だと思われる。

 身体の上には以前野営の時に見た毛皮が布団のように掛けられていた。


 ここは岩山の山頂にあった(やしろ)跡の中のようだ。

 内装の殆どが朽ち果てており、石床の隙間からは下草が伸びて中と外の区別を曖昧にしているが、未だに健在な壁によってかろうじて部屋である事が分かる。

 唯一調理台の上が綺麗に片付けられており、それを寝台替わりに利用したのだろう。


 その調理台の上には自分と同じく、寝床にしていた草色の毛玉が丸くなって寝息を立てており、時折その綿毛の尻尾を微かに揺らしていた。

 そして此方が身動(みじろ)ぎした事に気付いたのか、眠たげな眼をしぱしぱさせて此方の姿を捉えると、嬉しそうに尻尾を振って鳴いた。


「きゅん! きゅ~ん♪」


 ポンタはそのまま此方の顔に飛びつき、その小さな舌で顔を舐め回してくる。


「こらっ! やめんか、くすぐったいぞ」


 何やら嬉しそうにはしゃぐポンタを引き剥がしつつ、自分の現状が目に入った。


「う~む、元に戻ったのか……」


 その自分の独り言が示す通り、龍冠樹(ロードクラウン)の傍の温泉の力で一旦は肉体を取り戻していたのが、今はすっかり元の骸骨の身体を晒していた。

 そしてその姿は温泉に入った時のままで、現状は所謂素っ裸の状態だ。


 別に全裸骸骨の姿を他人に見られても恥ずかしくも何ともないが、自分の一張羅である鎧の行方が気になって辺りに視線を彷徨わせる。

 すると、開け放たれた部屋の入り口からアリアンの顔が覗き、此方の顔を見てその金色の双眸を見開いて驚きを露わにした。


「アーク!? 気が付いたの!!?」


 アリアンは手に持っていた山菜の類のような物を取り落し、勢い込んでその身を乗り出し、此方の顔を覗き込みながら声を掛けてきた。

 その彼女の目の端には僅かに光る雫が浮かんでいるのを見て、何ともいたたまれない気持ちとなって頭蓋骨である頭を掻いた。


 ──どうやら随分と心配を掛けてしまったようだ。


「う、うむ。先程目が覚めたばかりだが……我はどれ程の間、気を失っていたのだ?」


 彼女のその勢いにやや戸惑いながらも、自分が気を失っていた時間を尋ねると彼女は指折りして何かを思い出すような仕草をとって一つ頷いた。


「アークがあの泉で倒れてから、今日で七日目よ。流石にチヨメちゃんとも里から救援を呼ぶか、龍王(ドラゴンロード)であるウィリアースフィム様に里まで運んで貰うかを決めようと言ってた所よ」


「我は七日も気を失っておったのか!?」


 その彼女の返答に流石に驚きを隠せなかった。

 自分ではほんの小一時間程度の感覚でしかなかったのだが、まさかそれ程の日数が過ぎているとは夢にも思わなかった為だ。


 ──ちょっとした浦島太郎気分だな。


 そんな感想を抱いていると、また一人部屋に顔を出して声を掛けてくる人物がいた。


「アーク殿! 気が付かれたのですね」


 いつもながらの忍者装備のチヨメが、簡易的な籠にアリアンと同じく山菜やら木の実を持って、頭の上の猫耳を忙しなく動かしながら現れた。


「おぉ、チヨメ殿か。すまぬな、心配を掛けたようで」


 その自分の返答に横から口を挟んだのは腕組みして眉根を寄せたアリアンだった。


「本当にね。アークって全身骨しかないから心臓が動いてるかどうかも分からないし、その場に寝かせても見た目は完全に遺骨にしか見えないし」


 それは確かにと返す言葉もない。もしかしたら死んだと思って埋葬する為に土に埋められてしまう可能性もあったのだ。


「すまぬな、アリアン殿。我が生きていると信じ、七日もの間待たせてしまい……。それにしてもよく七日も我を生きていると信じて待つ事が出来たな?」


 自分で言うのも何だが、骨のままで七日も意識も反応も無ければ死んでしまったと思っても何ら不思議ではない。むしろ自分なら二日目で諦めてしまう自信がある。

 その自分の疑問をアリアンに尋ねると、彼女の金色の瞳が僅かに揺れて明後日の方向へと向けられた。


「べ、別に大した事じゃないわよ……」


 そのアリアンの反応に首を傾げながらも、もしかして気絶していた間に寝言か、もしくは寝返りでもして生きていると判断したのだろうかと思考していると、アリアンが「そんな事より──」と前置きをして、別の話題を此方に振ってきた。


「アーク、以前に自分は人族だって言ってたわよね? あなたが泉の力で呪いを解いた姿は、あれはどう見てもエルフ族だったわよ!?」


 そのアリアンの尋ねに、自分が気を失う前に龍冠樹(ロードクラウン)の温泉の力で戻った姿をはっきりと思い出した。

 あの時の姿は、勿論元の世界での姿ではない。しかし、自分にはあのエルフ族の姿に見覚えがあった──。


 あれはこの骸骨姿のアバターに変更する前に使っていたキャラクターの姿だ。

 ゲーム世界でのダークエルフ族に似せて作ったそれは、長く尖った耳に褐色の肌、紅い瞳と黒髪の姿はこの世界のダークエルフ族とは随分と様相が違う。


 アリアンがどういう事か説明を求める視線が、その金色の双眸に籠められて此方へと真っ直ぐに向けられている。

 その彼女の瞳からやや視線を外し、言葉に詰まって意味も無く顎を撫でた。


「……いや、我も自分は人族だと思っていたのだが──」


 そう言葉を濁しながら、溜め息を吐く。


「我の中に残っている記憶もあまり当てには出来んようだな」


 本当の所は理由を知ってはいるが、それをそのまま彼女達に話しても理解して貰える筈もない事も分かっている。

 だから今はこう言っておくしか他ないだろう。

 アリアンとチヨメは此方の言い分を聞いて互いに視線を合わせると、一息吐くように溜め息を溢してそれ以上は追及する様子を見せてこなかった。


 今はありがたい──そう思う一方で自身の身体に目を落として息を吐く。


「耳の形状から見れば間違いなくエルフ族だと思うけど、今までに見た事のない特徴もあるから判断が難しいわね。当の本人はあてに出来ないし……」


 アリアンは此方に視線を向けながら、隣に居るチヨメにそんな愚痴を漏らす。


 鎧騎士の中身が骸骨で、その骸骨の呪いを解いた姿がダークエルフ──その中に人としての自分の意識がある様は、まるで百貨店の過剰包装のような身体だと──内心で独りごちて(かぶり)を振った。


 それに何より──、


「何故我はあの温泉で気を失ったのだ?」


 気を失う寸前、まるで今迄感じた事のないような感情の濁流が自身の意識を飲み込み、その脳内で起こる嵐のような激流に発狂するような思いだった。

 そのことに疑念を抱き、発した自分の独り言に答えを返してくる者があった。


「小僧のそれは大方、貴様に掛けられた呪いとやらの作用に因るものだろう」


 その何処かで聞き覚えのある声は、不意に屋根のない頭上から降ってきた。

 それに反応して自分やアリアン、チヨメが一斉にその声を発した主のいる方向──天井の開口部へと視線を移す。


 そこには見た事もない姿の者が、此方を見下ろすようにして覗き込んでいた。


「きゅん!」


 しかし傍に居たポンタはその者に警戒した様子を見せず、むしろ親し気な声で鳴いてその綿毛のような尻尾を揺らしていた。

 その者は天井の開口部から、軽い身のこなしで(やしろ)内に降り立って軽い地響きを起こして眼前に仁王立ちになる。


 相手の正体が分からず、かと言ってポンタが警戒していない様子から、どういった判断をすればいいか分からずその者を仰ぎ見ていると、隣に居たアリアンが先に口を開いてその疑問に答えた。


「彼は龍王(ドラゴンロード)のウィリアースフィム様よ。長生となった龍王(ドラゴンロード)種族は人の姿に変わる事が出来るようになるのよ」


「なんと……」


 そう表では驚きの声を上げるが、内心でやはり首を捻る。


 確かに目の前にいるのは両の腕を持ち、両足で地面に立つ人の型をした者だ。

 以前に一戦交えた三十メートルもの巨体を持つ龍王(ドラゴンロード)そのものでない事は分かる。


 しかしこれを人型と言っていいものなのだろうか?


 目の前に威風堂々としたその龍王(ドラゴンロード)の肌は青灰色の鱗に覆われており、頭は人のそれではなく龍そのもので、生え揃った牙を並べた口元を歪めて笑みを溢し、額からは左右に二本ずつ大きな角が張り出している。

 全身を鱗と同系色の鎧に身を固め、背中には小さいとはいえ折り畳まれた翼があり、腰からは長い尻尾が垂れ下がって床に伸びていた。


 そしてその人型の龍王(ドラゴンロード)であるウィリアースフィムの身長は、優に四メートルを超える巨人のような姿だった。


 はたしてこれを人型と言えるのか、むしろ巨大なリザードマンと言った方がいいのではないか──そんな思いを飲み込みながら龍王(ドラゴンロード)のウィリアースフィムに目を向けた。

 まずは彼の姿格好に対しての疑問より、己の身体についての事の方が先決だ。


「ウィリアースフィム殿、その作用というのは?」


 その質問にウィリアースフィムは鷹揚に頷いて見せて、その爬虫類のような瞳孔を絞って此方に視線を合わせた。


「儂の視た所によると、小僧の本来の身体はこことは別の世界に置かれている。それが泉の力で一時的に戻り、本来の身体に置き換わるのだが、その時に反動が出るのだろう。何故そのような中途半端な状態で身体が機能しているか、儂にも分からぬがな……」


「別の世界……」


 そのウィリアースフィムの説明の中に気になる単語を聞きつけて反芻する。


「ふむ。他者に説明するにはちと難しいが、この世界には重なるようにして他の世界が存在するのだが、小僧の本来の肉体はそこにあるのだろう」


 重なる別の世界──つまりは別の次元や、位相の異なる世界という事を言っているのだろうかと当たりをつけ、アリアンとチヨメの方に視線を向ける。

 しかし彼女達にはその説明が要領を得ない様子で、しきりに首を捻っていた。

 その二人の様子に、ウィリアースフィムも顎に手をやって言葉を探す仕草をする。


「何と言えばいいものか……。そう、その世界は本来精霊など、肉体を持たない者達の世界で、精霊達はその世界からこちらの世界に姿を現す。そういった目に見えぬ別の世界がこの世界と重なるようにして幾つも存在するのだ」


 そのウィリアースフィムの補足にようやく彼女達も理解が及んだのか、ある程度納得したような表情で幾度か頷きを加えていた。


「成程。それで、泉の力で肉体が戻った際に起こる、まるで感情を叩きつけられるような衝撃──それが我の気を失わせたのだが……それは?」


 骸骨の身体ともう一つのダークエルフの肉体が入れ替わる仕組みは、何となくだが理解する事が出来た。

 一番気になったのは、その際に生じる言いようのない感情の爆発の様な現象だ。

 その事を目の前の龍王(ドラゴンロード)に尋ねると、ウィリアースフィムは此方の全身骸骨の身体に視線を這わせてから徐に口を開いた。


「それはまさに呪いと言うべき代物だな……。その骨の身でいる時、小僧には大きな感情が伴わないのではないか?」


 その問い掛けに、こちらの世界へ来てからの自分の行動を振り返る。


 確かに、こちらの世界で過ごす日々は色々驚きなどの連続だったが、それ程動揺する事も、ましてや悲嘆に暮れる事も無かった。

 エルフ族や山野の民の境遇に心を痛め、力を貸す事に躊躇いなどは特に無かったが、義憤などに駆られて立ち上がった訳ではない。

 そういった自分の淡々とした所は、まだこの世界での事がゲームか夢のように感じているからで、ここに暮らす彼女達に積極的に拘わっていく事によってそれも徐々に改善されていくものだと思っていた。


「だが本来の肉体に戻る際、骨の身で体験した今迄の感情の起伏が全てその時に注ぎ込まれ、結果──その負担に耐え切れずに意識を失うのだろう」


 そのウィリアースフィムの説明に、アリアンもチヨメも此方を呆然と見つめ、自身も己の骨の身体に視線を落とした。

 辻褄は通っている──しかし、何故、


「ウィリアースフィム殿は何故そのような特殊な事情に詳しいのだ?」


 龍王(ドラゴンロード)という超常の生命体ともなれば長命を生きる分、人より叡智に優れ、世界の理に明るいのだろうかと、そんな素朴な疑問が口を突いて出た。

 すると龍王(ドラゴンロード)はその人ならざる口元に笑みを浮かべて答えた。


「我ら龍王(ドラゴンロード)は周りの山々に住むドラゴン達とは違う。儂らは言うなれば肉体を持った精霊と言った方が近い」


 その返しに、傍で話に飽きて大欠伸をしているポンタに視線を移す。


「きゅん?」


 しかしその意味を察したウィリアースフィムからは、先手で否定の言葉が語られた。


「そこな精霊獣とも違う。精霊獣は精霊と動物が同化した存在だが、我らはこの世界にある自らの肉体を作り変える事が出来る。この人の形に肉体を変える(すべ)もその力を利用したものだ。儂ら龍王(ドラゴンロード)の魂を入れる肉体でここまで小さくするのにはちと骨が折れるがな」


 そう言ってウィリアースフィムが胸を反らした。

 龍王(ドラゴンロード)とは、元の姿の圧倒的な存在感とは裏腹に、かなりスピリチュアルな存在らしい。


「成程……。それにしても、こういった反動があるのでは気軽に温泉に浸かる事も出来ん上に、戻るのも一時的とあっては……」


 そう言って頭を振って項垂れると、アリアンがまた風呂の事を言ってるというような視線を向けてくる。

 個人的にはかなりの重要事項なのだが──。

 しかしその呟きに反論したのは、泉の作用を説いたウィリアースフィム本人だった。


「それは違うぞ、小僧。貴様はこの泉に定期的に入り、感情の負荷を常に最小限度に戻しておかねば、今後二度と元の姿には戻れなくなるぞ。今回、貴様が呪いの反動を受けて助かったのは奇跡だったと言える」


 彼が語るその意味に気付き、ハッとなって顔を上げる。


 この世界へ来てから骸骨の姿で過ごした期間は一ケ月もない。その間に経験した時の負の感情の蓄積だけであれ程の衝撃があったのだ。

 これが二ケ月分、あるいは一年分の蓄積した感情が解呪による反動で押し寄せれば、今度は七日間寝込むだけでは済まない。

 むしろ命の危険性がある。


 過酷なこの世界で生活していく上で、骸骨姿の時に作用する感情面での負荷の抑制はある意味便利な効果とも言えるが、それが後のツケとして一気に支払わされるその反動は、まさに“呪い”の名に相応しいとも言える。


 ゲーム時代の自分内設定だった呪いが、まさかこのような形で結実するとは思っていなかったが、それを今更あれこれと悲嘆した所で現状が変わる訳でもない。

 今は骸骨の姿の為か割と切り替えも早く、これからの事に思考を傾けた。


「もう少し温泉の効能を試す必要性がありそうだな……」


誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。

次話は14日を予定しております。

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