3 思想神カレン
思想神カレンが居る野外ステージは他のステージとは違い、かなり大掛かりな物だった。
ドーム状で、観客は周囲の高い位置にある椅子に座るか、演目によっては同ステージ近くのグランドで立って間近で見る事も出来る。
遠くからになるが、貴族や王族、金持ちなどが主に使う個室も設備されていた。
歌や踊りなどの演者は、少し離れた場所にある楽屋から歩くか馬車でステージまで移動する仕組みであり、夜間でも行える様に大小様々なエルフウッドを使った照明器具が設置されている。
「こりゃ立派な場所だな。ここまでのはそうそうねぇだろ」
デセミアが音楽祭用に組み立てられたステージに上がると、周囲を見て感嘆の声を上げた。
収容最大人数は2万人ほどで、雨天の場合はエルフウッドによる魔法の傘で防がれるが、魔力の消耗激しいので、現在ドワーフが主軸になって可変式の物理的な天井を開発している。
また大きい理由は、非常時には避難場所にするためでもあった。
「数年前から建設が始まりようやく完成したんです。これはカレン様が細かく設計の変更やアイデアなどもだしたんですよ。それに、ここの特徴はこれです!」
エレナが自慢げに言うと、一つのマイクを取り出した。その周囲にはスピーカーもある。
ドワーフ族と人間族が知恵を振り絞って作った音を増長して流す機械だった。
動力はエルフウッドが使われ、高価なため普通の場所にはなく、ここのように大きな物は特別な場所にしか無い。
「このスイッチを入れて言葉や音を流すと、このステージ全体に広がって、遠くの人にも聞こえるんですよ。本当に凄いですよね!」
試しにエレナが適当に言葉を言うと、ステージ全体に広がった。
マイクに付けられているエルフウッドが声を増長させ、スピーカーのエルフウッドと共鳴し音を大きく広く流す仕組みになっていた。
「ただ、機械もこれに使うエルフウッドも結構費用が掛かるので、まだまだ一般的に普及するのは難しいんですけどね。いつかこれももっと広く普及されればいいんですが」
楽しそうに、そして少し残念そうにエレナが言うと、マイクの電源を切った。
「あんたこんなとこで何してんの?」
その時、凛とした綺麗で澄んだ女性の声が聞こえた。
声のした方には、目が大きく顔立ちも幼い事から可愛く見え、長い銀髪を左側にまめているサイドテールの女性の姿がある。
服は全体的に白く、赤色のスカートと胸に付けられているリボンが特徴的で、思想神のカレンが立っていた。
「あ、カレン様。今日もお可愛いです! もう、口元にお菓子の食べカスが付いてますよ。今取りますね!」
カレンの姿を見たエレナが飛びつくように素早く近寄ると、口元の汚れをハンカチで拭いていく。
それをカレンはされるがままにされていた。
「……今ようやく分かった。あいつは、女版のウィルだ。謎が解けた」
ミヨンがその様子を見て唐突に小声でアニスたちに言う。
アニスは「ああ」と納得いったように頷いた。
「微笑ましくていいじゃないですか。そうですよね、クリエ様」
「そうだね」
どこか強い圧で同調を求めて来るウィルの言葉に、クリエは笑顔で答える。
「その通りです! カレン様の傍に居るのは私の喜び、仕えるのは幸せ! 皆さんはクリエ様の使徒ですし、同じではないのですか? その、クリエ様への愛ゆえにお仕えしてるのでしょう?」
最後の方は顔を赤らめて、もじもじしながらエレナがウィルたちに聞いた。
それを聞いたウィルは胸を張る。
「勿論です。私の身も心もクリエ様の物。したがってこのような事をしても許されるのです」
と、ウィルはクリエをおもむろにお姫様だっこをした。
クリエは落ちないようにウィルの首に手を回す。
そんな二人をエレナは目を輝かせて見ている。
「素晴らしいです。そんな恥ずかしい事を人前で出来るなんて! 貴女はどうなんですか?」
エレナの視線がアニスに向く。
「え? そうねぇ……私はこうかしら」
アニスはしばし考えると、笑顔になりクリエを強引に奪うと思い切りクリエを抱き締めた。
クリエの顔がアニスの豊満な胸に埋まる。
「なんという包容力でしょうか。自らの温もりで包み込む……素晴らしいです! あとは貴女ですね」
一体何を見せられているんだ、といった表情をしていたミヨンにエレナが視線を合わせた。
うっかり目が合い、アニスから解放されたクリエを見ると、どこか諦めた様な表情をしている。
「さぁ、ミヨンさんのクリエ様に対する愛をお見せ下さい」
ニッコリとエレナが笑い、ウィルとアニスが頷いてミヨンを見つめていた。
逃げ場が無い事を悟るが、二人きりの時以外、あまりクリエと積極的なスキンシップをしないミヨンは悩み、やがて頬を少し赤く染めると、おずおずとクリエと手を繋いだ。
「……」
ミヨンは何も話さず、ただクリエを手を繋ぐ。やがて、
「す、素晴らしい! そう、何も激しい愛情表現だけが全てではありません! お三方は皆、クリエ様を大切にしているのですね」
目を輝かせながら勝手にエレナ納得したようだった。
「……で、その人たちは?」
今までの茶番を根性強く黙って見ていたカレンが、呆れたように口を開きながらクリエたちを一瞥する。
我に返ったエレナは気分を変える様に咳払いを一つした。
「お話ししていたノルエステの方々です」
「いや、世界神が二人も居るじゃない?」
「私もびっくりしました。その辺のお話も中でしましょう。ささ、皆さん楽屋へ案内しますね」
クリエとデセミアをカレンは見るが、その視線はどこか鋭い。
「……」
そんな中、アニスだけは暫くカレンを見つめていた。
「どうかしたのか?」
「え? ああ……なんでもないわ」
動かずにいたアニスにミヨンが声を掛けると、どこか上の空で答え、クリエたちに続いて歩き出した。
******
ドームに設置されてある楽屋は二種類あった。
大勢が入れる大部屋と、演者が精神集中などしたい時に入る小さめの部屋がある。
今の演目が無いため誰もおらず、クリエたちは椅子やテーブルに鏡などが多くある大部屋に通され、適当な場所に座った。
それぞれが挨拶と自己紹介をし終えると、カレンが口を開く。
「それで話って言うのは?」
クリエたちが依頼された内容を話し、デセミアが最悪の場合する事も話した。
「あれねぇ。ホント何を考えてるんだが。ファン同士が喧嘩したって、こっちは全然嬉しくないのに」
「そうだね。ここへ来るまでに喧嘩をしてる場面に出くわしたけど困るね」
「……二人も世界神が居るなら、サクっと解決してくれるんでしょ?」
どこかカレンの口調にはクリエとデセミア、世界神に対しては棘があるように二人には感じられた。
世界神と思想神は生まれは違っても立場的には同等なのだが、創造主から造られていないと言うだけで、「劣等種」と思っている人たちがほんの一部いる。
世界神と思想神の仲が悪いわけではないが、たまにそれを気にして妙な対抗心を燃やす思想神もいた。
「それが中々難しくてね。その為の保険のデセミアだから」
「頼りないなぁ。世界神ってもっと何でも出来ると思ってたのに」
「ごめんね。何でも出来ても、してはいけない事があるから」
「勿体ぶっちゃって……これだから世界神は余裕ぶって嫌なのよ」
カレンの言葉にクリエが苦笑すると、エレナがカレンに近寄り軽く頭をペシっと軽く叩いた。
「カレン様、今の言葉はいけません。クリエ様たちは私たちだけではなく、この都市にいる全ての人の為に来てくれたのです。それに、カレン様も現状なにも出来ないじゃないですか」
エレナの言葉はまるで小さい子を諭す、母親のような言葉だった。
一瞬ムっとなったカレンだが、エレナに見つめられ、やがて軽く息を吐くとクリエを見る。
「……その、ごめん。ちょっと今の状況に苛立ってて、八つ当たりだったわ。私も今の状況が良いとは思っていないから、よろしくお願いします」
少しだけカレンは頭を下げる。そんな様子をエレナは満足そうな笑顔で眺めていた。
「あの……カレン様……で、よろしいですか?」
会話も一段落した時、アニスが遠慮がちに声を掛けた。
「そうだけど? あと、別に敬語は良いわよ。他の皆もね。それで、私がどうかした?」
アニスは暫くカレンをジッと見つめる。やがていつもの調子で口を開いた。
「すみません、知ってる人に似ていたもので。勘違いだったみたい」
「そう? まぁ、あんたたちはいろんなとこ行ってるみたいだしね。似てる人もいるでしょ。それでこれからどうすの?」
カレンの問いにクリエが答えた。
「一旦怪しいと言われてる人物を探そうかと思ってる。もういない可能性が方が高いけどね。何か突破口になるかなって」
「そう……急かすようで悪いけど、早めにどうにかして欲しいの。今のままだとここのステージも開けられない。ファン同士に喧嘩なんてされちゃ、折角の音楽祭が台無しよ」
「そうだね。出来るだけ早くがんばるよ」
「ありがとう」
そう言うとクリエたちは頷き、エレナと一緒に楽屋の外へ出る。
楽屋から出ると、エレナは別件の仕事があり、別の場所へと忙しそうに走って行った。
「あ、ごめん。楽屋に落とし物したみたい。ちょっと取って来るわ」
エレナが居なくなった後、アニスが思い出しように言い、クリエたちに手を合わせて謝ると再び楽屋へと向かう。
そして残されたクリエたちに、今まで黙っていたデセミアがクリエを見た。
「クリエ、あのカレンって言う思想神だが……」
「そこまで」
クリエがデセミアの言葉を遮る。
「分かってる。必要になったら僕から言うから。それまでは今のままで」
「そうか、お前がそう言うなら良い。さてと……じゃあ、俺は音楽祭を楽しみに行ってくる。仕事がんばってな」
「一緒に来ないの?」
「俺は仕事じゃないからな。ま、本当に必要になった時には働くさ。じゃあな!」
デセミアはクリエたちに笑顔を見せるとステージを後にし、クリエたちはアニスを待つ事になった。
******
楽屋にアニスが付くと、カレンは一人で演奏の練習をしていた。
髪を椅子とハープに変え、静かな曲を奏でていた。
そして、アニスが楽屋に入って来たのを知ると、手を止める。
「貴女さっきの?」
「アニス・ノウェムです。あの……今少しよろしいですか?」
「別に良いわよ。あとさっきも言ったけど、私に敬語はいらないわ」
「……カレン様にはそうですね。ですが、今私は違う方にお話をしています」
その言葉に一瞬カレンの身体が強張った。
やがてアニスが意を決した様に言う。
「その髪に楽器……間違いありません。貴女はモフト様ですね?」
「!! ……知らないわね。神違いじゃない?」
アニスから見てもカレンの動揺は明らかで、落ち着かないようにカレンは自分の髪を指で弄っていた。
モフトは髪を自由自に在伸ばしたり動かしたりでき、楽器や椅子などに簡単な物に変化させる事が出来る。
その気になれば、手を使わずに楽器から音を出す事も可能だった。
「私はレスワースの出身です。それでも同じ事が言えますか?」
「……」
無言のカレンは髪を通常の状態に戻すと、近くの椅子に座る。
暫く髪を弄り続けると、やがて諦めたように溜息を吐き、重い口を開いた。
「まさか、あそこ出身者が居るなんて……ホント今回の音楽祭は面倒事ばかりね」
「モフト様。なぜ名前を偽っているんですか? 私たちにとって貴女様は……」
「止めて!」
「!」
「ここにモフトは居ない。もうどこに居ないの……お願い、私をその名前で呼ばないで」
今までの強気なカレンと違い、今にも泣きそうで、すがる様な表情で言う。
「……そうですか。分かりました。ただ、最後に言わせて下さい」
「何?」
「貴女の曲を聞いていた時間は、私たち戦っていた者たちにとって心の安らぐ、大切な時間でした」
「……」
「もう、カレン様のお許しが無い限り、前のお名前で呼ぶ事はありません……本当にありがとうございました」
最後にアニスは深く頭を下げると楽屋を出て行く。
一人残されたカレンは力なく机に突っ伏した。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。私は……怖いの、消えるのが」
誰にも聞かれる事のない呟きだけが、静かな楽屋に響いた。