17.街の風呂は高級宿
魔術触媒屋を出たら日が暮れていた。
「アスルは街にきても『浄化』を使う気か?」
「ん」
昨日もお湯はくれて体は拭いたんだけど、お風呂じゃなかったからやはりスッキリしなかったんだよな。今日は訓練所で砂を被ってしまったし、やはり頭を洗いたい。でも洗えないから、『浄化』したい。
「風呂へいこう」
「えっ!」
風呂あるの!?
「そう安くはないが、毎日『浄化』を使うのはさすがに不経済だ」
「ん、んん」
そうなんだよな。自作できなくなると、魔術がすべて金に変わるのだ。ということをさっき店で痛感しました。
今日買った魔術触媒で『浄化』はたぶん十回分くらい。金貨四枚がどのくらいの価値かはわからないけども、金貨というくらいだから高いはずだ。ニールも金持ちだと言った。
毎日は無理でも、三日に一回なら耐えられる……かなあ?
転移者の風呂問題は根強くて、中には風呂屋を開業した猛者もいたんだよな。
近くだったら毎日通うが、残念ながらロータスの街ではない。ロータスは北の方にあるから、そもそも風呂文化があまり根づいてないらしいのだ。もう少し北になると、サウナがあるらしいんだけども。
そんなわけで、エリークに連れていってもらったお風呂。
風呂屋なわけじゃなくて、風呂つきの高級宿だった。
ホテルみたいな大きな宿で、『蓮の夢』という。
個室のなかに湯の張られた大きなバスタブ(猫足!)があって、魔道具で沸かされた湯が傍に備え付けてある。これを足して、お湯の温度を保つ方式らしい。
一応個人風呂だけど浴衣があって、着ながら浸かる。素っ裸にはならないスタイル。
まあ浴衣に着替える前に素っ裸にはなるわけだけど。
「アスル、それは」
「ん?」
浴衣の着方を教わるために上を脱ぐと、エリークが目を見開いた。
それ? ああ、これか。
俺の脇腹から背中にかけては、引きつれた大きな傷跡が残されている。俺のへまの名残だ。前の方は自分で傷薬を塗れたけど、背中は塗れなかったので傷が残ってるんだろう。
「ワイバーン」
「そうか……」
『治癒』もしたし薬草も塗って養生もしたし、たぶん例の携帯食糧のおかげもあって、もうなんともない。幸いにして後遺症もない。最初は内臓出ちゃうかと思ったけど出なかったしな。見た目の割に、あまり深くなかったらしく。
それでもワイバーンは怖くてたまらないし、蛇は怖いし、鳥の鉤爪だって怖い。でもそのくらいは、受け入れる。命あっての物種だ。
そういうエリークは足の怪我もすっかりきれいに治ったみたいで、ホッとした。俺の治療が遅れたせいで傷が残ったんじゃ申し訳ないもんな。
エリークからお風呂の入りかたを教わって、ゆっくり浸かった。
三年ぶりのお風呂はとんでもなく気持ちよかった!
鼻歌混じりに頭を洗ったら、石鹸では髪がギシギシのボサボサになり、涙目になった。なんとか泡だけは落としたけど、絡まり具合がすごい。
俺の髪は転移してから櫛ですくのなんて一度もやってなかったんだけど、『浄化』すると髪の絡まったのもほどけたので便利だったのだ。
しかしお湯で、石鹸で洗ってしまうとそうもいかないらしい。とてもスッキリするし、いい匂いで、気持ちよくはあるんだけども。
風呂から上がるとエリークに笑われた。
「石鹸で洗うとどうしてもそうなるんだよ。おいで、香油をつけて梳かせば少しは良くなる」
「んん」
エリークが俺の髪にいい香りのする油を馴染ませて少しずつ髪をといてくれる。
幸いにしてドライヤーは魔道具があって、梳かしながら乾かしてもらった。元の世界のドライヤーより静かで快適。
ドライヤー中に、魔術の解除が出来なかったことについて苦言を呈された。お説教である。
「呪文を使うなら必ず静止句を覚えておくこと。そうでなければ、自身の魔術に巻き込まれてしまうこともある」
「ん」
そういえばワイバーンの時にも『氷結』のあとすごい寒かった。あれも、解除してれば寒くなかったのだろう。なるほど。
「魔術を習うときに教わらなかった?」
「俺、独学」
「そうか……俺でよければすこし教えよう」
「うれしい!」
「発動体の魔術と呪文の魔術はかなり異なるから、本当に基礎の基礎しか教えられないけどね」
それでもいいし、俺は発動体の魔術も覚えたい。
「いっぱいおぼえる」
「すぐに追いつかれそうだな」
またまた、そんなこといって。規格外の言葉は信じんぞ。
時間を掛けて乾かしたり梳かしてもらったりして、ようやく髪がなんとかなった。エリークさまさまである。ひとりじゃ無理だったなこれ。
お風呂って、頭洗うのって、この世界じゃ大変だ!
転移者が誰か知識チートしてないか、今夜掲示板を調べておこう。こんなんじゃ気軽に風呂、入れない。
その日は高級宿の広いベッドでぐっすり寝た。街を巡ったり、お風呂に浸かったりした疲れもあったのか、爆睡だった。
翌朝目覚めると、エリークの髪が短く整えられていた。
「髪、切った?」
「ああ。いつもここで整えてるんだ」
「似合う」
清潔感って大事。
「俺も髪、切りたい!」
そうだ、髪を切ってしまえば洗うのも楽じゃないか!?
「伸ばしてるわけじゃないのか」
「髪、切れなかった。不器用」
「なら少し整えようか」
高級宿だけあって、いろいろなサービスがあるらしい。衣服の洗濯やお風呂ももちろんだけど、髪も切ってもらえるという。
エリークくらい短くしてもらいたかったが、髪結いの人からも、エリークからも反対された。なぜ!?
髪を洗うのが大変だったことを言えば、最近髪用の石鹸が出来たことを教えてもらった。指通りがよくなる濯ぎ液もあるのだという。どうも転移者が作り出したらしい。人気なんだって。
う、うーん、シャンプーとリンスがあるなら長くてもいけるか?
結局、腰まであった髪を肩甲骨を覆う程度に整えてもらった。俺としてはあんまり変わった気がしないが、全体的に手を入れてもらったのでスッキリはした。
それから髪紐と結び方も教えてもらったので、後ろでひとつに括れるようになった。革命!
「切ってもらった髪も持っていくといい」
「なぜ?」
「自分の髪は魔術触媒になるんだ」
そうなんだ!?
早速敷き布の上に散らばった髪を集めてもらい、袋に詰めてもらった。袋は買った。
これを粉にするのは大変だと思うけど、どうやって使うんだろ?
高級宿でゆっくりしたので、出たのはもう昼に回りそうな時分だった。
今日もギルドへ行く予定。俺のマーモットや、エリークの解体の分、それから宝物の鑑定が済んでいるはずだ。
それにしても、昨日からエリークにはめちゃくちゃお世話になっている。街まで連れていってもらった上、案内までしてもらって、こんなに時間をかけてもらっていいのだろうか。
久しぶりの街でゆっくりしたかっただろうに、なんだか申し訳ない。
恩返しだというが、俺の方がたくさん恩があるんだけどなあ……。