43.おそろしいもの
いや本当に一瞬なんだな。
人ひとり拐うのがそんな簡単なはずないじゃんとか思ってたけど簡単でした。ひょいってしてポイだよ。
エリークと話していて、馬車とすれ違いそうだなとちょっと離れたところを、道行く通行人に抱えられてそのまま御者にパスの、馬車インだ。エキストラはずるいだろ!
エリークが俺を呼ぶ声が聞こえたけど、そのときには猿ぐつわを噛まされ、指輪と手甲飾とダガーをまるっと奪われ、手足を拘束されていた。手際がよい。魔法鞄のベルトポーチとブローチすら取り上げられる。
抵抗しようとすれば顔面を強かに殴られ、馬車の床に転がされた。背を踏みつけられる。鼻血が流れて、息が苦しい。くそ、俺は無力。
尾けられているとは感じていたんだ。依頼を受けてから、急に知らない気配がついてくるようになった。だから警戒はしていたつもりだったのに、いやもうあっさり。
俺って自分が思う以上に軽いし、非力なんだな。思い知ったところで遅いのが人生というものである。常に後悔。ちくしょうめ。
馬車は揺れるけど、思ったよりは振動はこない。舌を噛みそうなほど、とかよく言われるけどそこまでじゃない。サスペンションが効いている。これも転移者がもたらしたものだ。
この世界にスプリングをもたらした転移者は、不慮の事故で命を落としたと聞く。舞い込んできた膨大な金とその利権を巡って、貴族に人生を狂わされてしまった人。
掲示板には彼の書き込みが今もまだ残っている。それを戒めにしている人も多い。
出る杭は打たれる。俺たちは無力で、助けは都合よくやってこないし、人は簡単に死ぬ。それを痛感させられた事件だった。
俺が拐われたのはやっぱり、ルナリス関係か。
タイミングからすれば、疑いようがない。俺が依頼を受けてから動いたってことは、おそらくルナリスに魔力が満ちては困る人の仕業。
睡蓮迷宮公。目を閉じて掲示板を検索すると、お誂え向きに情報があった。こんなんまで調べて書き込んでいる人がいるとは驚きだが、今は感謝しかない。
妻は三人。息子も三人。娘がふたり。子どもは全員成人済みで、孫がひとりいる。
詳細は不明ながら長男が病に伏せているという噂もあり、ここ数年は姿を見せていないらしい。代わりに次男のルナリスがよく表に現れるようになった。
長男と次男は母違いの二歳違い。三男は今年成人。
きな臭すぎて吐きそう。
なんなの長男の病って。一夫多妻制、どう考えても揉める制度じゃん。絶対あるだろ男子の母たちの水面下の戦い。
怖いな貴族。やだな貴族。
幸いにして睡蓮迷宮公は転移者には興味が薄いらしい。彼の興味は宝迷宮に向いていて、それを生み出す冒険者を庇護している。
ギルマスによると、迷宮都市の領主にしてはかなり寛大な方であるらしい。特に最近はいろいろ規制がゆるんで、そのお陰で冒険者も増えたとか。あと税金とか税金とか。
あったのか、税金。いや、そりゃあるよな、莫大な金が動いてるんだもん。
冒険者ギルドで換金した際に徴収されているので、後払いはしなくていい方式らしい。よかった。領収書なんて覚えてない。
いや、税金の話はいいんだ、忘れよう。
義母か、長男か、三男が怪しいですね!という俺の雑すぎる推理。全員怪しい。
そんなことを考えている間に、馬車は何処かへ辿り着いた。
エリークの迷子石からすると、ぐるりと街を巡るようにして、北の方へ移動してきたようだ。巡回馬車に乗せられていたのだろう。
ケープを捕まれて無理やり体を起こされると、馬車の扉が開く。扉から伸びてきた腕に、フードを取られた。
知らない顔だ、といいたいところだが知ってるな。ルナリスのお付きにいた気がする。
「色持ちか。下賤の輩が生意気な」
男は俺を蔑んだ目で見下ろすと、乱暴に髪を掴んできた。痛い。目の前にナイフをつきだされ、思わず頭を引けば、掴まれた髪が切られる。バラバラと髪が散った。
男の手に残った水色の髪が、彼の背後に控えたものに渡される。
「これを金の色持ちに届けて、改めて伝えろ」
「はっ」
金の色持ち、おそらくエリークだろう。
「こいつは潰れた女の代わりに使え」
「しかし、危なくはありませんか」
「魔物漁りなど発動体さえ取り上げれば木偶に過ぎん。地下へ運べ。決して表へ出すなよ」
「はっ」
「暴れるようなら、指の数本落としても構わん。導きの目らしいが、足と目さえ無事なら使えるからな」
男が後ろを向く。無理やり立たされそうになる瞬間に、俺は縛られた手で馬車の床にばらまかれた髪に触れた。
地下なんかに連れてかれたら、いつ出られるかわからない。
せっかく作ってもらった発動体の手甲飾も、ノアからもらった魔導具の指輪も、自力で手に入れた魔法鞄のブローチも取り上げられた。
丸腰で、手足も拘束されてる。
だがそれがなんだ。
発動体を取り上げた?
くそが、呪文使いの魔術師をなめるなよ。
手に握る髪に魔力を込める。散らばる髪へ広まるように。男の部下に渡った髪すら、俺の魔術触媒にしてやる。
「おい、何をして」
「――影よ」
俺の魔力と呪文に応え、髪が溶け消えて暗い影へと変化していく。
『闇形』。
なにも考えずに使えばヒトガタになるというそれは、イメージ次第で形を変えられる影だという。
ならば望むのはひとつ。
――おそろしいものになれ。
俺のもっとも恐れるものになれ。
大きな翼、凶悪な鉤爪、しなやかな胴体と、長い尾。
俺を殺そうとした漆黒、今でも見る悪夢。
暗黒が咆哮を上げる。
「なっ、ワイバーン!?」
「どうしてこんなところに!」
「散れ、騎士を連れてこい!」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく男たちに隠れて、どうにかこうにか拘束を解く。縄でよかった、ナイフを落としていってくれて助かった。手足の縄を切って、猿ぐつわも解く。
影の神聖語がウンヴルでよかった、猿ぐつわしてても発音できた。命拾いした。
俺はワイバーンの影を置いて、人気のない道へ走った。
やだもー、どこだここ、ちくしょうめ。
オーケイ、把握。
ここは迷宮都市の貴族街とか呼ばれる辺り。
迷宮都市では建前上、貴族は迷宮から市民を守るべし、という理念があり、貴族街は宝迷宮を囲むように建てられている。
だがこのほとんどがハリボテの空き家で、実際に住んでいるのは金持ちの商人だったり、代理で住むことを任された市民だったりする。そして実際は迷宮都市のもっとも宝迷宮から離れた場所に、本当の貴族街がある。貴族街に北と南があるのは、そういうことだ。
俺が運び込まれたのは北の貴族街の方。
闇骨を撒き、『隠蔽』を使って移動する。
俺の服やブーツにはあちこちに魔術触媒が仕込んであるので、全部取られたわけじゃない。服を脱がされずに済んだのは幸いだった。ケープもな。取られなくてよかった。
改めて考えると腹が立ってくる。
エイミが作ってくれた手甲飾、ノアからもらった魔導具、着替えから魔術触媒から食糧から、いろいろつまった魔法鞄。空っぽにしておいた俺の部屋型の魔法鞄、せっかく手に入れたのに!
俺の装備をまるっと取り上げたやつはそのまま逃げちゃったから、取り返せなかった。くそ、泥棒め。
手持ちにある分で、なんとかするしかないのだ。
残り少ない魔術触媒では、『隠蔽』は長く使えない。花の春風亭まで戻るのは現実的じゃない。
今はワイバーンに騙されていても、すぐに逃げた俺を探しに来るだろう。二度同じ手は使えない。
逃げるなら、あそこしかない。
道を急いだ。
※ ※ ※
【魔術覚え書き】
370 1
おれは役に立たない
371 名無しの転移者さん
魔術師もやはり迷宮氾濫巻き込まれたか。
気にするなー。最初は誰でもビビるって。
安全第一で逃げるのがコツだぞ
375 1
魔術触媒はあるのに魔力がない
こんなことなら魔力を望んでおけばよかった
どうして俺は色持ちじゃないんだろう
師匠ともはぐれてしまった
もう血を見たくない
人が死ぬのはもうたくさんだ
きもちわるい
376 名無しの転移者さん
きっついとこ巻き込まれてるっぽいな
街壁の方にいなかったのか?
380 名無しの転移者さん
どうもダメな騎士に連れてかれてるっぽい?
冒険者を消耗品みたいに使うやついるだろ
どさくさに紛れて抜け出した方がいいよ
怪我人は気にするな
自分のことだけ考えろ
そのままそこにいると死ぬぞ