4. それはまるで魔法使いのようで
「フィリーネ、ちょっといいかしら」
「はい」
「今後の予定についてなのだけど……」
ティアラローズの自室、午後のゆったりした時間に仮面舞踏会に関する話を切り出した。
「まあ、仮面舞踏会ですか?」
「忙しい日が多くなると思うの」
舞踏会が開催されるのは、オリヴィアの屋敷。相手を個人としてとらえ、仲良くなろうという趣旨があることは参加者全員に招待状を送るときに連絡している。
当日、身分や名を明かすことはできないが、後日であれば会ってもいい。
既婚者・独身者のどちらかかわかるよう、独身者の仮面には男女ともにティアラローズの花がついている。
「オリヴィア様とのお茶会が多かったのは、打ち合わせだったんですね」
「そうなの。当日はフィリーネにもついてきてもらいたいのだけど……」
「もちろん、ご一緒します!」
「ありがとう」
ティアラローズ様の侍女ですからと、フィリーネは微笑む。
――侍女ではなく、参加者としてだけど……。
というのは、まだフィリーネには内緒だ。招待状を渡そうものなら、間違いなくフィリーネは拒否するだろう。そして、ティアラローズの侍女として付いてくるというのだ。
「でしたら、ドレスも選ばないといけませんね。……ですが、仮面舞踏会なら普段とは違うドレスにしてみてはいかがですか? そうすれば、ティアラローズ様だとわかりませんし」
「いいわね」
フィリーネの提案を聞き、ティアラローズは楽しそうだと思いすぐに賛成する。
普段は水色のドレスが多かったので、違うタイプにしてみるのもいいだろう。さっそくフィリーネがあれはどうだろう、これはいいんじゃないか? と、ドレスのタイプをあげていく。
楽しそうな様子に、ティアラローズは苦笑する。
――フィリーネにもとびきりのドレスをプレゼントしなきゃ。
そしてふと、疑問に思っていたことを口にする。
「フィリーネには、好きな方はいないの?」
「え? わたくしですか?」
ティアラローズが問いかけると、フィリーネはきょとんとする。どうやら、自分のことに関してはあまり考えていなかったようだ。悩むように首を傾げて、「特には……」と苦笑する。
「わたくしは仕事をしているのが好きなので、あまり結婚したいという意思は強くないんですよね……」
「確かにフィリーネは働き者だものね。休んでって言いたくなるくらいだもの」
むしろ、フィリーネはちゃんと休んでいるのか? と、ティアラローズが思っているほどだ。もちろん休みはとってもらっているけれど、勉強をしていることも多い。
――これを機会に、フィリーネも遊んだりしてくれたらいいなぁ。
そう思いながら、ティアラローズとフィリーネはドレスの相談をしながら午後を過ごした。
***
楽しい準備の期間はあっという間に終わり、仮面舞踏会の当日となった。
ティアラローズは、普段は着ないダークブルーのドレスに、白色の裾の長いレースボレロを身にまとう。髪はアップすると、普段よりぐっと色気が出た。
「可愛らしいのも素敵ですけど、大人の雰囲気も素敵です! これで仮面を付けたら、誰もティアラローズ様だとはわかりません」
「ありがとう、フィリーネ」
ティアラローズとフィリーネがほんわり微笑んでいると、準備を見ていたアクアスティードがくすりと笑う。
「確かにいつもとは別人みたいだ」
「それを言うなら、アクア様も別人みたいですよ?」
「そう?」
アクアスティードは、シルバーとホワイトのスーツだ。普段は濃い色合いのものが多いので、なんだか新鮮に映る。さらに髪は少し後ろに流しているので、仮面を付けて顔が見えなくなったら緊張してしまいそうだ……とティアラローズは思う。
――どきどきしすぎて、心臓が持たなさそう。
「……とても格好いいです」
ティアラローズはアクアスティードが座っているソファの前に行き、立ったままぎゅっと抱き着く。その顔は赤くて、照れているということがわかる。
アクアスティードは口元に弧を描いて、「ティアラ」と少し低めの声で名前を呼ぶ。そのまま手を取って指を絡めて、どこか色っぽいティアラローズをこのまま閉じ込めてしまいたいと思うほどだ。
「変な男にひっかかったら駄目だよ?」
「ひっかかりませんよ、もう」
――アクア様がいるのに。
「それに、既婚者は花を付けませんから。わざわざ既婚女性を口説く男性はいないと思いますよ?」
「……それほど、ティアラが魅力的だっていうことだよ」
「なら、アクア様だってそうです。わたくし以外の人を、見たりしないでくださいね?」
「もちろん」
甘い雰囲気を漂わせた二人を見て、フィリーネはそっと部屋を後にした。
「ティアラローズ様が幸せで、わたくしも嬉しくなりますね」
るんるん気分で廊下を歩くフィリーネは、今のうちに馬車の確認をしてしまおうと思ったのだ。手配はしているので、そろそろ準備が終わっていることだろう。
「仮面舞踏会に遅れたらいけませんから、急がないと……」
フィリーネが少しだけ歩きを早め、とある扉の前を通ると――突然、ぐっと腕を掴まれて扉の中に引きずりこまれてしまった。
「きゃあぁっ!? な、なにっ!?」
慌てて体制を立て直そうとするけれど、相手の腕が強くてびくともしない。か弱いフィリーネでは、振りほどくことも出来ないだろう。
背中に嫌な汗が伝って、どうにかして助けを呼びたいと考える。けれど魔法を使うことは苦手だし、フィリーネを祝福してくれている海の妖精もこの場にはいない。
まさに絶体絶命――そう思ったフィリーネだが、聞こえた声に目を見開く。
「別に取って食ったりはしません」
「え……っ!? あ、あなた!」
「あまり時間はありませんから、お静かに」
泣きそうになるほど怖かったのにと、フィリーネは震える体を押さえるようにして声をあげる。
「こんなことをしていいと思っているのですか、レヴィ!!」
「……もちろん、許可は得ています」
「っ!?」
叱咤するフィリーネの言葉に、連れ込んだ張本人――レヴィは涼しい声で答える。逆に、フィリーネはいったいどういうことなのだと頭の中がパニックだ。
誰の許可を得たというのだろうか? レヴィの主人はオリヴィアだけれど、フィリーネの主人はティアラローズだ。
でも、ティアラローズがこんな許可を出すとは思えない。
「ふざけないでください。わたくしは、ティアラローズ様の下へ戻ります」
「それはいけません。これはオリヴィアとティアラローズ様からのご命令ですから」
「っ!? そのような嘘、わたくしが信じるとお思いですか!?」
いい加減にしなさいと、フィリーネは怒りをあらわにする。
自分の主人が、こんな誘拐まがいのことを許可するわけがないのだ。
「まあ、方法は私に一任されていたので……多少は強引になってしまいましたが」
「…………」
それは間違いなくレヴィが悪いと、フィリーネは頬を引きつらせる。
「……? なんですか、その服装は。いつもの執事服は、どうしたんですか」
「ノンノン! 今の私はオリヴィアの執事ではなく、オリヴィアの魔法使いです」
「まほうつかい……?」
レヴィは魔法使いのローブ姿だった。
何を言っているんだこの執事はと、フィリーネは冷めた目を向けて心底関わりたくないと思った。しかし、この魔法使いの部分にティアラローズとオリヴィアの命令が関わっているのだろうということもわかる。
フィリーネはため息をつき、いったいどうするのかとレヴィへ問う。
「もちろん私は魔法使いですから、こうするのです」
「?」
いったいどうするのだとフィリーネがうんざりしていると、レヴィが突然ばさっとローブをひるがえす。いったいどんな演出だ……そう思ったのは一瞬で、気付いたらフィリーネはドレスを着ていた。
「……?」
思わず自分の全身を確認する。
「え? うそ、どうして……」
クリームとライトグリーンのドレスに、シャンパンゴールドのレース。髪型はハーフアップになって、緩やかなウェーブまでかかっている。
普段は髪を上げて侍女服に身を包んでいるため、自分の見慣れない姿に顔をしかめてしまう。
ドレスを最後に着たのなんて、何年も昔だ。
「……どういうつもりですか、レヴィ。というか、どうやって着替えさせて……?」
「私は魔法使いですから、それくらいは簡単です」
「…………」
魔法使いじゃないだろう。
そう言いたくなったフィリーネだったけれど、それよりも先にレヴィが「行きますよ」と告げる。そしてローブの中から取り出したものを、フィリーネに渡す。
「ああ、これを」
「え? 仮面に、ティアラローズの花?」
「そうです。早く着けてください、会場に向かいますよ」
「ええぇっ!?」
そう告げて、レヴィはフィリーネを横抱きにして足早に歩きだす。いや、競歩と言ってもいいだろう。それくらい早い。
「レヴィ、やめてくださいっ」
「私は早くオリヴィアの下へ戻りたいのですから、大人しくしていてください」
「っ!」
なんて自分勝手な――そう告げようとするが、そういえばこの男は、これをオリヴィアとティアラローズの命令だと言っていたことを思い出す。
つまり、やり方の指示こそ出してはいなかったけれど、ドレスを着飾って仮面舞踏会に出席してほしい――というのが、ティアラローズの意思なのだろう。
確かに、フィリーネは夜会などに誘われても令嬢として出席することはなかった。ティアラローズがフィリーネに内緒にして、強硬手段を取ったのもある意味頷ける。
「わたくしが悩んでいたから、ティアラローズ様はこのような場を設けてくれたんですね……」
「貴族というのは、面倒なものですね」
「……そうね。わたくしも、誰かいい人を見つけないといけないかしら」
フィリーネがぽつり呟くと、意外にもレヴィから返事があった。
それに苦笑しながら、そろそろ身を固めないといけないなと改めて思う。もし今後も似たようなことがあったら、ティアラローズに迷惑をかけてしまうかもしれない。
それならば、マリンフォレストの貴族子息と結婚する未来がいいのだろう。
「私はオリヴィアのものですから、惚れないでくださいね」
「惚れませんよ、何言っているんですか」
「それはなによりです」
真面目な顔をしてレヴィが告げるので、フィリーネは思わず笑ってしまった。
***
流されるままに、フィリーネは仮面舞踏会が開催されているアリアーデル邸へとやってきた。仮面をつけて、耳元に未婚であることを表すティアラローズの花をつける。
「わぁ……すごい」
中に入ると、仮面をつけた大勢の令嬢や令息が雑談していた。中央にはダンススペースがあり、踊っている人たちもいる。
料理スペースは、ティアラローズが熱く語っていたスイーツコーナーが話題になっているようだ。大きな噴水からはチョコレートが流れていて、見ているだけでも楽しい。その隣ではシェフがクレープを焼いているので、メイン料理より気合いが入っているようにも見える。
思わずくすりと笑って、あとで食べないととフィリーネは思う。
「ティアラローズ様とアクアスティード殿下は……まだ来ていないみたい」
あの二人はいるだけで目立つので、きっときたらすぐにわかるだろう。
仕方がない。ティアラローズがくるまでは、舞踏会を楽しもう。フィリーネがそう決意すると、背後から声がかけられた。
「こんばんは、お嬢さん」
「! ……こんばんは」
振り向くと、蜂蜜色の髪をした男性がいた。
フィリーネと交流を持とうとして、声をかけてくれたようだ。淑女の礼をすると、男性は優しく微笑んだ。
「とても素敵なドレスですね。……お名前を伺えないのがとても残念です」
「ありがとうございます」
「普段はよく夜会に参加されるのですか?」
フレンドリーに接してくるのは、仮面を付けている効果だろうか。普段は身分があるからと礼儀に厳しいけれど、今は相手がわからないためゆるやかだ。
フィリーネとしては、気楽なので嬉しいけれど。
「いいえ。夜会に来たのは久しぶりなんです」
「そうでしたか……もしわからないことがあれば、なんでも聞いてください」
「まあ、ありがとうございます。少し緊張していたので、そう言っていただけると安心します」
普通に会話をすることができて、フィリーネはひとまずほっとする。
それをこっそり物陰から見ているのは、ティアラローズだ。それは覗きでは? と突っ込みたいところだが、誰もその様子に気付いていない。
「フィリーネ、男性と話してる!」
しかも雰囲気がよさそうだと、ティアラローズは思う。残念ながら仮面を付けているので相手は誰かわからないけれど、真面目なフィリーネが変な男の相手をすることはないだろう。
彼女はティアラローズの侍女というだけあって、とても礼儀に厳しい。毎回夜会に参加している令嬢や子息よりも、マナーは理解しているはずだ。
なので、フィリーネの前で不作法をすると相手にしてもらえないだろう。
「あとは……わたくしはアクア様と合流するだけね」
アカリとオリヴィアは支度が終わり次第、会場にやってくるだろう。
アクアスティードは、エリオットが参加するのでその支度についているはずだ。誰かが見張っていないと、エリオットは「自分にこんなの似合いませんから!!」と、とんでもなく地味な服でやってきてしまいそうだからだ。
つまり、アクアスティードは監修兼見張りだ。
「にしても、クリーム色のドレスがとっても可愛い。頑張って仕立てた甲斐があったわ!」
「うん、とっても可愛いねぇ」
「え……っ?」
フィリーネのドレスを満足気に見ていると、ふいに背後から知らない男性の声がした。
慌てて振り向くと、仮面をつけた褐色肌の男性が一人立っていた。
――誰?
突然現れた男性に、ティアラローズは仮面の下で表情をしかめる。だって、マリンフォレストの貴族に褐色肌の男性はいないし、招待した記憶もない。
日焼け――という可能性もあるけれど、少し考えにくい。
ティアラローズがじっと男性を見ていると、ふわりと微笑まれる。
「もしかして、俺にときめいちゃった? 可愛い子猫ちゃん」
「え……っ」
――チャラっ!!
絶対仮面の下でウインクをしただろうと思い、ティアラローズは男の行動に引いた。同時に、仮面舞踏会とかが大好きな人種だろう……とも思った。
金色の髪に、褐色の肌。残念ながら顔は見えないけれど、その雰囲気からはチャラさしか感じられない。
ティアラローズは盛大にため息をつきたいのをぐっと堪えて、「おやめになって」と告げる。
「ここは交流して親交を深めるための場所であって、ナンパをするわけではないの。ふざけるのなら、お帰りになって」
「わぉ、女性にそんなことを言われたのは初めてだ! いいな、君!」
「……あなた、わたくしの言葉を聞いていましたか?」
まったく堪えていない様子の男に、ティアラローズは厄介ごとに捕まってしまったと心の中で深くため息をつくのだった――。
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