5. 仮面舞踏会:前編
「冷たい素振りも魅力的だ。無粋な仮面で、君の顔を見られないのが残念でたまらないよ……」
そう言って、男の指先がティアラローズの顎をすくう。
すぐに、ティアラローズは持っていた扇子を使い男の手を払いのける。既婚女性である自分に、そのようなことをしてくるなんて最低だ。
「わたくしは未婚の証である花を付けていませんから、そのようにされるのは適切ではありません。もちろん、未婚の女性にもですが……」
「んん、手厳しいね。でも、そんなところも素敵だと思ってしまうのは……俺が君に惹かれているからかな?」
「…………」
強気で注意したはずなのに、まったく堪えていない。
それどころか、ぞくぞくした様子でもっとティアラローズのことを熱い眼差しで見ているような気さえするのだからどうしようもない。
どうにかして、この男から離れた方がいいだろう。
ティアラローズがそう考えていると、男が「あっ」と声をあげる。
「君が気にしてた可愛い子、今度は別の男に声をかけられているよ?」
「え?」
そう言われて、ティアラローズもフィリーネを見る。
確かに、先ほど話していた穏やかそうな男性とは別人だ。
こげ茶色の髪に、柔らかな暖色系のスーツ。一見、温和そうな印象を受けるけれど――フィリーネの様子がなんだかおかしい。
ピリッとした雰囲気をかもし出していて、嫌そうにしている。少し遠ざかろうとしていることから、男性がフィリーネに何か失礼をしたのかもしれないが……ここからでは、話しの内容までは聞き取れない。
――わたくしの侍女に失礼をしないでほしいわ!
むむっと睨みつけていると、ティアラローズにちょっかいをかけていた褐色の男性がくすりと笑う。
「君は、あの子に随分執着しているんだね。お友達か何か?」
「……ええ。小さなころからずっと一緒だったから、変な男にちょっかいをかけられたくないの。もちろん、あなたにも」
「そう?」
ついでに褐色の男性を睨みつけてみるが、にこりと微笑まれただけだった。
「なら、もっと近くに行かないと! 二人の会話、ここじゃ聞こえないだろう?」
そう言って、褐色の男性はティアラローズの手をとってパーティーホールの中央へと歩んでいく。
「ちょっ! 離して!」
「まあまあ、いいじゃない」
ティアラローズはすぐに抗議の声をあげるが、褐色の男性は気にしていないようで自由奔放だ。
男女の二人組ということもあって、特に目立つことはなかった。もしティアラローズが一人だったら、ほかの男性から声をかけられていただろう。
ある意味、男よけでいいのかもしれないが……。
フィリーネの近くに行くと、二人の会話が聞こえてきた。
「フィリーネ、婚約了承の返事、ありがとう」
「え……? あなた、もしかしてルーカスなの?」
二人の会話を聞き、ティアラローズは目を見開く。褐色の男性は、「ひゅう」と思わず称賛に似た声をあげる。
――どういうことなの?
フィリーネは婚約するのを嫌がっていたので、了承の返事をするはずがない。可能性があるとすれば、実家の両親が勝手に返事をしてしまった……ということだろうか。
「というか、あの男性……ルーカス様だったの?」
そのことに驚きだ。
だって、ティアラローズたちはルーカス・ダンストンに招待状を送ってはいない。今ティアラローズの隣にいる褐色の男性といい、この仮面舞踏会は誰でも入り込めるのか……とうなだれる。
一応、知り合いであれば入場を許可しているので、何か伝手があったのだろう。
「婚約者って言ってるけど、君がご執心している女性には嫌われているみたいだね」
「……そうね」
「女性の扱いが下手なのかな?」
もっと上手くやらないとと、褐色の男性は笑う。
ティアラローズは視線をフィリーネに戻す。
「どうして……だって、ルーカスはラピスラズリにいるはずでしょう? 今日のために、わざわざマリンフォレストへ来たというの?」
「フィリーネに会うのだから、これくらいは訳ないさ。それに、帰るときはフィリーネが一緒だ。君のご両親にだって、許可はもらっている」
「――っ!!」
どうやら、ルーカスの中ではいろいろなことが決定しているらしい。
それを聞いて、ティアラローズは怒りが込み上げる。なんて勝手な男性なんだろう、と。フィリーネが嫌そうにするのも、当たり前だ。
ティアラローズが怒りに震えていると、フィリーネが動いた。
「あなたと話をしても仕方がないことがわかりましたので、わたくしは失礼します」
「待ってくれよ、フィリーネ。そんな勝手が許されると思っているのかい?」
フィリーネが歩き出すと、それを追うようにルーカスも歩く。
走ることはできないけれど、心なしか速足だ。それほどフィリーネが拒絶の色を示しているのに、ルーカスは何食わぬ顔で横を歩いている。
「ねぇ、フィリーネ。せっかくの夜会だから、一緒にダンスをしたいと思っていたんだ」
「…………」
――めげない人ね……。
ルーカスはフィリーネに声をかけているが、返事はない。
どうにかしてパーティーホールから抜け出して、辿り着いた先は解放されていた中庭だ。冬なので少し寒いけれど、ルーカスと一緒にパーティーホールにいるよりはいいと判断したのだろう。
フィリーネは周囲に誰もいないことを確認してから、立ち止まる。
「いい加減にして、ルーカス! わたくしは結婚しません!!」
「そんな我儘を言わないで、フィリーネ」
「我儘なんて……っ!」
貴族の政略結婚なのだから、こんなものだろう? とでもルーカスは言いたげだ。
フィリーネとて、いつかは結婚するものだろうとは思っていた。けれど、ルーカスと結婚するのだけは絶対に嫌だ。
政略結婚だから幸せになれない可能性があるのはわかっているけれど、ルーカスとの結婚では一ミリも幸せになれない。それだけは、嫌だ。
別に、ティアラローズとアクアスティードほど幸せになれなくてもいい。だけど最低限、自分を大切にしてくれる人がいい……とは思っていた。
ティアラローズは唇をかみしめるようにしながら、二人を見る。間に入って仲裁をした方がいいのじゃないか、そう思い近づこうとするけれど――付いてきていた褐色の男性に止められる。
「! な、何をするの」
「あの二人は貴族だろう? だったら、君が間に入るべきじゃない。それとも、君には何か力があるとでもいうの? 当人に任せないと、意味はないさ」
「そ、それは……」
確かに正論だと、ティアラローズは思う。
そして、マリンフォレストの王妃である自分には力がある。ルーカスに出ていけと命じれば、マリンフォレストから追い出すことだって出来るだろう。
でも、それでは根本的な解決にはならないし、フィリーネも実家との関係に亀裂が入ってしまうだろう。
仕方なく、もう少しだけ様子を見ることにした。
ルーカスもパーティーホールを出て人目がなくなったからか、深くため息をつく。
「フィリーネ」
「!」
「私の方へくるんだ」
「嫌です!」
いい子だからと、ルーカスがフィリーネの手をとる。フィリーネはそれを振りほどこうとしたようだが、思いのほかルーカスの力が強かったらしい。
振りほどくことが出来ず、顔をしかめる。
「絶対に結婚なんてしないから! 早く手を離してよ!」
「私はこんなにフィリーネが好きなのに。それに、実家へはもうお金を送ってあるから、私の手を振りほどくことは出来ないはずだ」
「そんな……っ!」
どうやら、裏では予想していた通りのことが起こっていたらしい。
婚約を了承していただけではなく、すでに金銭の援助を受けていたなんて。もうルーカスから逃げることは出来ないのだろうかと、フィリーネは惨めな気持ちになる。
無言で俯いてしまったフィリーネを見て、ルーカスは自分との婚約を了承してくれたと、そう思ったのだろう。フィリーネの頭を撫でて、「わかればいいんだ」と上から目線で告げる。
「ほら、中へ戻ってダンスをして帰ろう。今日は、私が泊まっている屋敷へ来るといい」
「…………嫌です」
「! いい加減にしないか、フィリーネ。それとも、口で言うだけじゃわからないのかい?」
「……っ!?」
ルーカスが口角を上げて、嫌らしい笑みを浮かべる。ぐいっとフィリーネを自分の方へ引き寄せ、抱きしめて唇を奪おうとしたところで――ティアラローズは我慢出来ず二人の間へ飛び出した。
「いい加減にしなさい!」
――無理やりなんて、許せない!
「……っ!」
突然ティアラローズが登場したことに驚いたフィリーネとルーカスだったけれど、フィリーネはティアラローズのドレスを把握していたのでほっと息をつく。
力任せにルーカスの腕を振りほどき、ティアラローズの下へきた。
「大丈夫? ごめんなさい、わたくしがもっとしっかり入場でお客様の確認をすればよかったんだわ……」
「いいえ、お気になさらないでください。勝手に来たルーカスが悪いのですから」
決してティアラローズのせいではないと、フィリーネは首を振る。
「せっかく私がフィリーネと話していたというのに……邪魔をしないでくれないか?」
「……話し、ですか。見ていましたけれど、フィリーネは嫌そうですわよ?」
「それはあなたの勘違いだろう。私とフィリーネは、婚約しているからね。彼女は少し、照れていただけなんだ」
仮面をつけているので、ルーカスは相手がティアラローズだと気付かない。そのため、ルーカスは強気の口調を崩さない。
所詮どこかの令嬢……とでも下に見下しているのだろう。
もし相手がこの国の王妃だと知れば、すぐさま青ざめるだろうけれど――ティアラローズが権力をかざして助けたとしても、きっとフィリーネは喜ばないだろう。迷惑をかけてしまったと、己を責めてしまうだろう。
ティアラローズとルーカスは睨み合いをしていると、「駄目だなぁ」と陽気な声が間に入る。
もちろん、その声の主は褐色の男性だ。
「こんな可愛い子たちに、その態度はないんじゃないか?」
「……誰だ。これは私たちの問題だから、部外者はしゃしゃり出てこないでほしいね」
「女の子を助けるのに、理由なんていらないさ」
褐色の男性はティアラローズとフィリーネを背に庇い、ルーカスと対峙する。
それを見て、フィリーネは青ざめた。
他人を巻き込んで事態を大きくするつもりはなかったのにと、フィリーネはか細い声で告げる。
「ど、どうしたら……」
「大丈夫よ、フィリーネ。それより、あなたは大丈夫? 怪我はない?」
「はい、わたくしは大丈夫ですが……お二人にご迷惑を」
「迷惑ではないから、気にしないでちょうだい」
むしろ、褐色の男性には迷惑をかけられたのでこのくらいでチャラだとすら思う。
それにもう少しすれば、きっとアクアスティードが捜しにきてくれるはずだ。なので、ティアラローズはフィリーネを保護してしまえば問題ないと思っていた。
幸い、褐色の男性はこちらに味方してくれているし……。
そう思っていたら、ルーカスが声を荒らげた。
「出てこい、お前たち! 私はこのままフィリーネを連れて帰るぞ!!」
「――っ!?」
ルーカスの声に反応して、数人の男性が出てきた。どうやら、ルーカスが雇った護衛か何かなのだろうけれど……その目は、話し合いが通じなさそうだ――。
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