第84話:パートナーシップの再確認
永倉のあまりに壮大な計画に対し、土方は怒りではなく、相棒としての信頼を口にします。
孤独を抱えていた永倉は、唯一無二のパートナーの言葉に救われます。
「……なぜ、黙っていた」
静寂を切り裂くように響いた土方さんの声は、怒りや失望とは違う、もっと深く、重い響きを伴っていた。それは、共に死線を潜り抜けてきた相棒に対する、純粋で、切実な問いかけだった。
俺は、その問いにどう答えるべきか、一瞬迷った。言い訳がましい言葉を並べたくはなかった。だが、真実を伝えるしかなかった。
「……信じてもらえないと、思ったからです」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、弱々しかった。
「あまりにも、現実離れしている。俺の頭がおかしくなったか、あるいは何かに取り憑かれたか。そう思われても仕方がない話だ。土方さんに……あなたにだけは、そんな風に思われたくなかった」
それは、偽らざる本心だった。
この世界で、俺が唯一、対等なパートナーとして認めている男。その男に「狂人」の烙印を押されることだけは、耐えられなかった。未来知識という、誰にも理解されない秘密を抱える孤独。その重圧は、俺が思っている以上に、心を蝕んでいたのかもしれない。
俺の告白に、土方さんは何も言わなかった。ただ、じっと俺の目を見つめている。その瞳の奥で、激しい感情が渦巻いているのが分かった。やがて、彼は深く、これ以上ないほど深く、息を吐き出した。その息には、呆れと、安堵と、そして抑えきれない何かが混じっていた。
「……馬鹿野郎」
ぽつりと、そんな言葉が漏れた。
「俺を、誰だと思ってやがる」
その声は、怒声ではなかった。むしろ、呆れ果てて、力が抜けたような呟きに近い。土方さんは、ゆっくりと立ち上がると、俺の隣にどかりと腰を下ろした。背中合わせではなく、すぐ隣に。同じ方向を見据えるように。
「永倉。お前が壬生浪士組に来てから、どれだけのことがあった? 芹沢鴨の粛清、会津藩預かりへの昇格、池田屋での大立ち回り。その節目節目で、お前の献策がどれだけ俺たちの道を切り拓いてきたか、忘れたとは言わせねえぞ」
土方さんの横顔は、揺れる蝋燭の炎に照らされて、厳しくも、どこか温かみを帯びていた。
「お前が『ありえねえ』と言うような突拍子もない策を、俺がいつ、頭から否定した? お前が『やるべきだ』と進言したことを、俺がいつ、躊躇った? いつだって、お前の言葉を信じ、形にするのが俺の役目だったはずだ。違うか?」
違わない。
いつだってそうだった。俺が未来知識から導き出した最適解を提示し、土方さんがそれを組織の力として実行する。俺が「脳」なら、土方さんは「心臓」であり「手足」だった。その関係性は、新選組という組織が生まれてから、一度も揺らいだことはない。
「それなのに……帝の学問指南役だ? 国の魔改造だ?……面白いじゃねえか」
土方さんは、ふっと口の端を吊り上げた。それは、鬼の副長が見せる獰猛な笑みではなく、悪戯を企む悪童のような、無邪気な笑みだった。
「そんな途方もねえ大博打を、この俺に黙って、たった一人でやろうとしていたとはな。いい度胸だ。だが、水臭えにも程がある」
その言葉に、俺はハッとした。そうだ。俺は、この男の器の大きさを、見誤っていた。俺が抱える秘密の異常さに囚われ、土方歳三という男が持つ、常識の枠に収まらない本質を見失っていたのだ。
「……すみません」
「謝るな。だが、二度目はねえぞ」
土方さんは、俺の肩を乱暴に、しかし力強く叩いた。その掌から伝わる熱が、孤独で凍てついていた俺の心を、ゆっくりと溶かしていくのを感じた。
「いいか、永倉。お前がやろうとしていることは、俺の想像を遥かに超えている。だが、理屈は分かった。お前が『帝』という、この国の頂を動かすなら、俺は『幕府』を動かす」
土方さんの目が、再び鋭い光を宿した。鬼の副長の目だ。
「お前が進講とやらで帝の信頼を勝ち取り、上からの変革を進める。その間に、俺はこの新選組を、幕府の中枢に食い込ませる。ただの剣客集団じゃねえ。幕府を、この国を内側から支え、動かすための実力組織として、だ。会津の松平容保公だけじゃねえ。老中、若年寄、幕閣の連中を一人残らず手懐け、俺たちの掌の上で踊らせてやる」
壮大な役割分担。
新八が帝という「権威」を、土方が幕府という「権力」を。
天と地、双方からこの国を挟み込み、根幹から作り変える。まさに「魔改造」の名にふさわしい、途方もない計画だった。
「俺たちは、二人で一つだ。お前が描く未来図を、俺が現実のものにする。違うか?」
「……その通りです」
俺は、力強く頷いた。視界が、滲んで歪む。転生してから、初めて流す涙かもしれなかった。孤独ではなかった。この世界に、たった一人、俺の全てを理解し、共有してくれるパートナーがいたのだ。
「それでこそ、俺の相棒だ」
土方さんは満足そうに頷くと、改めて俺に向き直った。
「で、だ。具体的に、次は何をする? 帝への進講とやらは、どこまで進んでいる? 俺が幕府で動くために、必要なことはあるか?」
もう、そこには迷いや疑念はなかった。最強のパートナーが、具体的な作戦計画を求めている。俺は涙をぐいと拭うと、思考を切り替えた。
「帝への進講は、まず『国のかたち』を理解していただくところからです。議会、憲法、立憲君主制。その概念を、今、お伝えしている段階です」
「なるほど。時間がかかりそうだな」
「ええ。ですが、帝は驚くほど聡明なお方です。こちらの意図を正確に汲み取ってくださっている。次の段階として、俺の専門分野でもある『経済』の話に移ろうと思っています」
「経済……カネか」
「はい。富国強兵の『富国』がなければ、『強兵』は成り立たない。強い軍隊を維持するには、莫大なカネがかかる。そのカネを安定して生み出す仕組み、近代的な経済システムこそが、国家の土台になる。その重要性を、まず帝にご理解いただく必要があります」
土方さんは腕を組み、難しい顔で頷いている。
「分かった。お前は帝に『富国』の重要性を説け。俺は、その間に『強兵』の準備を進める。具体的には、フランス式の軍事教練の導入を、幕府に本格的に働きかけよう。それと……」
土方さんの目が、すっと細められた。
「岩倉具視。あの狐をどうする? 山崎の報告では、相変わらず不穏な動きを続けているようだが」
見えざる敵の存在。それも、俺たちの計画における最大の障害の一つだ。
「物理的な脅威……つまり、帝の暗殺計画のような動きに対しては、土方さんと山崎さんで徹底的に叩き潰してください。俺は、政治の舞台で奴を追い詰めます」
「政治の舞台?」
「ええ。帝の信頼を得るということは、公家への発言力を得ることにも繋がります。帝という最強の後ろ盾を得て、岩倉の政治生命を断ち切る。奴が画策する倒幕の芽を、根元から断ち切ってみせます」
物理的な防衛と、政治的な攻撃。ここでも、俺と土方さんの役割は明確だった。互いの得意分野で、それぞれの敵と戦う。そして、その先にある勝利を、共に掴むのだ。
話をしているうちに、窓の外が白み始めていることに気づいた。長い夜が、明けようとしている。
「……夜が明けるな」
土方さんが、ぽつりと呟いた。
「ええ。新しい一日が、始まります」
俺たちは、どちらからともなく立ち上がった。部屋に差し込む朝の光が、揺らめいていた蝋燭の炎を、その役目を終えたかのようにかき消していく。
俺と土方さんは、言葉を交わすことなく、ただ並んで、その光が満ちていく様を眺めていた。
鬼の副長と、未来を知る転生者。
歪で、ありえない組み合わせ。
だが、これ以上なく頼もしい、最強のタッグ。
日本の未来を左右する本当の戦いは、今、この瞬間から始まる。俺は、隣に立つ男の存在を心強く感じながら、昇り始めた朝日を、決意と共にまっすぐに見据えた。
夜が明けるまで語り合った二人は、帝と幕府、それぞれを動かすという壮大な役割分担を確認し、日本の「魔改造」に向けて新たな一歩を踏み出すことを決意しました
帝への進講、幕府内での暗躍、そして岩倉具視との対決。
それぞれの戦場で、二人の戦いが始まります。