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最近、考えることに疲れてきた。
最初は「哲学で国を治めよう」と思っていたのに、
気づけば「国が勝手に哲学している」。
民は勝手に働き、勝手に休み、勝手に幸せそうだ。
私は王なのに、誰も私を必要としていない。
「陛下、政策をどうなさいますか?」
「決めない。」
「では……何を?」
「観察する。」
観察とは、王に残された最後の娯楽である。
人々が笑う。時に怒る。誰かが恋をし、誰かが失敗する。
その全部が、思想書より深い。
この国では、もう誰も「正しい生き方」を探してもそれに縛られてもいない。
皆が「自分の間違い方」に慣れ、各々が気づき始めている。
そして、それを責める者がいない。
……この緩さ、けっこう気に入っている。
ある日、少年が私に聞いた。
「陛下、国はどこへ向かうんですか?」
「わからん。が、風上ではないな。」
「それ、どういう意味ですか?」
「風下のほうが、涼しい。」
少年はきょとんとして笑った。
ああ、こうやって“王の言葉”が残っていくのか。
適当に言ったことほど、後世で重くなる。怖い話だ。
夜、城の高台で星を見た。
昔は、星を見て未来を占った。
今は、ただ眺める。
それだけで十分だと思えるのは、
多分、国が生きている証拠だろう。
「思想とは、国を動かすための燃料じゃない。
国が止まったときの、暇つぶしにすぎない。」
私は笑って筆を置いた。
明日もきっと誰かが何かを始め、
誰かが何かをやめる。
たぶんそれが、この国の平和の秘訣だ。