64.忍術
「グルルルル……」
ダーク・ウルフが呻り声をあげる。
それに呼応するように、奴の周囲に『闇』が展開してゆく。
黒い沼や泥の様な感じに見える。
「嫌な感じ」がビンビンするな。
アレに直接触れるのは避けた方が良さそうだ。
「グォアアッ!」
ダーク・ウルフの叫びと共に、奴の周囲に展開した『闇』が濁流の様に押し寄せてきた。
速い。だが、このスピードなら避けれる。
後ろに下がりつつ、奴の攻撃を『観察』する。
「なっ!?」
なんだあれ?ヤツの『闇』に触れた廃車が、次々に飲み込まれてゆく。
それだけじゃない。周辺にある物体全てが『闇』に沈んでゆく。
底なし沼みたいな光景だな。
……おっと、呑気に見てる場合じゃないな。
悪いけど、それは返してもらうぞ。
俺は飲み込まれる廃車を回収しようとする。
だが……。
「ッ……回収が出来ない!?」
アイテムボックスへ回収しようとしても出来なかった。
何度念じても結果は同じ。回収する事は出来なかった。
アレに取り込まれれば、終わりって事か。
どういう仕組みになってんだ?
「ちっ」
とにかく無駄撃ちは出来ないって事か。
だが半端な遠距離攻撃じゃ、奴に届く前に『闇』に取り込まれて防がれる。
かといって、接近戦に持ち込むにはヤツの周囲に展開する『闇』をどうにかしないといけない。
「モモ!」
俺はモモに合図を送る。
コンマ数秒。
再びモモが『叫ぶ』。
「ワォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!」
破壊の咆哮。
だがダーク・ウルフもそれを予想していたのだろう。
奴は即座に自分自身を『闇』で覆い隠した。
あの『闇』は衝撃も吸収するのだろう。
表面が振動している。
モモの『叫び』も奴には通用しないか。
だが、それでいい。
モモの叫びはヤツにダメージを与えることが目的じゃない。
ヤツの『視界』を奪い、時間を稼ぐことが目的だ。
この隙に俺は『スキル』を発動させた。
モモの叫びが終わる。
ダーク・ウルフは『闇』を解除する。
その瞬間、奴の表情が変わる。
そりゃそうだろう。
なんせ、ヤツの眼前に『俺』が居たのだから。
「ガウッ!?」
一体どうやってここまで来た?
そう思っているのだろう。
簡単だよ。
『足場』を作ってここまで来ただけだ。
お前の『闇』に、廃車が飲み込まれるまで何秒かの時間があったからな。
闇の沼に向かって廃車や岩を放ち、沈み切る前に移動して近づいただけの事。
『俺』は手に持ったオークの包丁を振りかざす。
今の足場が沈み切る前に、コイツを仕留めれば―――。
「ガウゥッ!」
だが、そう上手くはいかない。
刃が当たる寸前、奴は体を捻り攻撃を回避した。
凄まじい身のこなしだ。
「ガァッ!」
即座にダーク・ウルフは反撃に出る。
周囲に展開した『闇』が巨大な腕に変化し『俺』を掴んだ。
握りしめられ、メキメキと体が悲鳴を上げる。
そして肉体が限界を迎えた瞬間―――ボンッ!と白い煙を上げて『俺』は消滅した。
「ッ!?」
再びダーク・ウルフの表情が驚愕に染まる。
何が起こった?そう思っているのだろう。
「どうした?何をそんなに驚いているんだ?」
離れたところから、俺は奴に向けて声を放つ。
「ガ……ガァ?」
ダーク・ウルフはどういう事だ?と首を捻っている。
まあ、初見じゃ分からないだろうな。
種明かしをすれば、今のが俺の新しいスキル『忍術』。
そのうちの一つ、『分身の術』だ。
この術は、その名の通り自分の分身を作り出す能力だ。
生み出せる最大数は五体。
身体能力はほぼ俺と同程度。
分身一体に付き、十秒間でMPを3消費する。
本体と違い、スキルは使えないという欠点はあるがそれを補って余りある程に強力なスキルだ。
何せ今の様に、リスクなしで敵に突撃させることが出来るのだから。
「いいのか?ほら、後ろ」
「ッ!?」
俺に気を取られ過ぎたのだろう。
ダーク・ウルフは背後に迫るもう一人の『俺』に気付かなかった。
分身は、もう一体居たんだよ。
今度の攻撃をかわしきる事は出来なかった。
分身の持った包丁がヤツの体を浅く斬り裂く。
「ガァウッ!」
だが次の瞬間、分身はヤツの『闇』に握りつぶされて消えた。
手は緩めない。
俺は『投擲』を使い、包丁やナイフを奴に投げつける。
奴は『闇』を使い防御しようとする。
だが、その瞬間、
「ワォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!」
再び、モモの咆哮が炸裂する。
『投擲』は直接攻撃を当てるためのものじゃない。
こうやって、奴の意識を俺に集中させるのが狙いだ。
再び『闇』でガードしようとするも、間に合わない。
「ッ!」
たまらずダーク・ウルフは吹き飛ばされる。
更に、地面を転がる奴の体を、銃弾が貫いた。
イチノセさんによる援護射撃だ。
その容赦のなさ、素晴らしいです、イチノセさん。
「ガァ……」
よろよろとダーク・ウルフは立ち上がる。
今ので大分ダメージを与える事が出来たみたいだ。
やはり、コイツはシャドウ・ウルフの上位種だけあって、弱点も似通っている。
物理的な防御力が低いのだ。
『闇』の能力は脅威だが、攻撃を当てさえすればきちんとダメージは通る。
強いが、ハイ・オークと違いそこまで理不尽な相手ではない。
だが、油断はしない。
今まで嫌と言うほど学んできたんだ。
優位に立つ、止めを刺そうとする、その瞬間が一番危ういのだから。
「ガウガウ!」
「ガオーン!」
仲間のシャドウ・ウルフたちが、奴の周囲に集まっていく。
俺たちは一定の距離を保ちながら、ダーク・ウルフたちを見つめる。
次で仕留める。
そう思った瞬間だった。
「―――ゥゥウウウウオオオオオオオオオオオンッ!!」
突如、ダーク・ウルフは吠えた。
それに合わせて、ヤツの身体から『闇』が噴き出し、四方八方へと広がってゆく。
破れかぶれの攻撃か?
いや、違う。
広がった『闇』から感じる『嫌な気配』。
これは―――ッ!?
「モモッ!避けろッッ!」
俺が叫ぶのと同時に、奴の『闇』から、様々な物が勢いよく溢れ出した。
それは先ほど飲み込まれた廃車や岩、更に建物や木、死体まで様々だ。
全方位に向けて様々な質量の弾丸が放たれる。
あの『闇』は取り込んだ物を自在に取り出す事も出来るのか!
「ちっ!アカ!」
「……(ふるふる)!」
モモは『影』に潜んでいるから問題ない。
アカは即座に体を膨らませて、質量の弾丸から俺を守ってくれる。
イチノセさんもアカの分身が付いているから大丈夫だろう。
アカに守られながら、嵐の中をバウンドする。
ぐるんぐるん体が回転する。
洗濯機の洗い物になった気分だ。
二度目とはいえ、やっぱりキツイ。
この嵐の中、攻撃を仕掛けてくる気か?
だが、追撃は無かった。
攻撃が止む。
視界が晴れる。
そこに、ダーク・ウルフの姿は無かった。
「えっ」
隠れたのか?
最初の時の様に、あの『闇』に身を隠した?
だが、他のシャドウ・ウルフの姿も無い。
一体どこへ?
無駄とは思いつつも、『索敵』を発動する。
すると、ダーク・ウルフたちの気配がどんどん遠くなるのを感じた。
『嫌な気配』もどんどん遠くなってゆく。
「まさか……『逃げた』のか?」
訪れた突然の静寂。
何かの罠かと思い警戒するが、何もなかった。
「わん!」
モモが影から出てこちらへ来る。
余りにも唐突な幕切れだった。
『逃げる』という選択肢を取ったモンスター。
それは俺にとって初めての経験だった。
「……」
やはりあのダークウルフも他のモンスターとは違う。
こちらの手の内を観察し、状況が悪くなれば逃げる。
そんなモンスターが居るなんて……。
「逃げられたのは痛いな……」
逃げたってことは、逆を言えば、今の時点でなら倒せる可能性があったって事だ。
追撃を仕掛けようにも、離れたところであの闇に入りこまれれば、探しようがない。
「厄介だな……」
あのダーク・ウルフは、きっとまた俺たちの前に現れるだろう。
より強くなり、自分達に有利な状況を選んで。
戦いには勝ったが、とても手放しで喜べるような気分にはなれなかった。