89.エピローグ 四日目の終わり
生徒会長五十嵐十香は頭を抱えていた。
「くそ!くそ!くそっ!なんなのよ!あの化け物は!」
普段の威厳ある振る舞いも、何もかもかなぐり捨てて、彼女は苛立っていた。
知る人が見れば、本当に同一人物かと目を疑っただろう。
だが、それも仕方のない事だ。
何せ彼女がこの四日間で必死になって積み上げていたモノ。
その全てが、僅かな時間で崩壊してしまったのだから。
「あんなの完全に計算外よ!考えていた計画が全部台無しだわ!」
途中までは順調だったのだ。
内部に居た裏切り者―――葛木さやかの放ったモンスターの軍勢。
少なくない被害が彼女達にも出たが、それでもなんとか倒しきるところまでいったのだ。
それが、あの『黒い狼』の出現で全てが狂わされた。
あのモンスターの攻撃によって学校は半壊。更に遠吠えによって引き寄せられたモンスターの大軍によって、生徒と避難民に多数の死傷者が出た。
皆、散り散りとなって逃げた為、連絡は取れない。
そもそも携帯も何も使えない今、連絡を取る手段が無い。
「万が一の為に、緊急の集合場所は決めていたけど……」
果たして何人がそこに集まれるか。
そもそも今の状況下で、冷静に行動できる者がどれだけいるだろうか?
自分ですらこうなのだ。
あの眼鏡……いや、宮本副会長辺りならとっくに死んでいてもおかしくない。
有望株だと思っていた西野や相坂ともはぐれてしまった。
自分の足元がどんどん崩れていくような得体のしれない感覚に、十香は眩暈を覚える。
「ああもう……どうしてこんな事に……」
学園の支配者という仮面を取ってしまえば、彼女だって年相応の少女でしかない。
ここ数日の出来事は、確実に彼女の精神をすり減らしていた。
もしかしたらこの歳で白髪でも出来るんじゃないだろうか。嫌だ。
「スピーカーはモンスターを呼び寄せるし、一定間隔で電柱や壁にメッセージを書いた張り紙をしておくしかないでしょうね……」
災害時でも使われる方法だ。
こういう状況下では、レトロな手段に頼るしかない。
幸いにして、紙やガムテープはある。
それを張りつつ、集合場所を目指せばいい。
モンスターが文字を読めれば終わりだが、流石にそこまで気にしていたらきりがない。
「あーもうっ、イライラするー!」
≪熟練度が一定に達しました≫
≪ストレス耐性がLV2から3へ上がりました≫
「ああ、そうですか!ありがとうございます!ふんっ」
ポケットから貴重な食料である飴を取り出し口に放り込む。
レモンの爽やかな風味とさっぱりとした甘さが口の中に広がる。
大きく深呼吸をし、脳に酸素と糖分を送り込む。
ようやく少し落ち着いた。
「ふぅー……大丈夫、落ち着きなさい、五十嵐十香。まだ終わったわけじゃない……。私はまだ生きてる。士織も士道も無事……。大丈夫、まだ大丈夫よ……」
そう、自分に言い聞かせる。
情報を整理しよう。
現在、彼女はモンスターの追っ手を逃れ、空き家に身を潜めている。
同行者は彼女の弟妹と、生徒会のメンバー二人。書記と庶務担当で二人とも女性だ。
弟と妹は既に就寝、他の二人は交代で見張りを行っている。
故に先程の彼女の行為を見ている者は誰も居ない。
「先ずは他のメンバーとのコンタクトね。それと新たな拠点の確保……」
周辺の情報収集、モンスターの駆逐、他の避難所との連絡網の確立、安全圏の確保、それに物資。食料もそうだが、医療品や生理用品も重要だ。
頭の中を少しずつ整理してゆく。
「そう言えば、あの黒い狼と戦っていた人は誰だったのかしら……?」
フードを被り、首切り包丁を持った謎の人物。
十香は少し遅れて食堂に入った為、すれ違いになったが、聞くところによれば、食堂に突然現れ、葛木さやかと戦闘を繰り広げたという。
相当なレベル、そして強力なスキルを持っているのは間違いない。
ちなみに、弟妹が誤射をしたという報告も入ってる。聞いた時は、頭が痛くなった。
あれだけ魔物使いの特徴を伝えたのに、あの愚妹は本当にもう……。
「……なんとか上手くコンタクトを取れないかしら?」
もしあの人物が協力してくれるなら、相当な戦力になる。
それに生徒会のメンバーからの報告では、戦いが始まる直前、相坂六花がおかしな行動をとっていたという。
やはり最優先は彼らとの合流だ。
それに、それを急がねばならない『理由』もある。
こうして五十嵐十香は、眠りに就くまで今後の方針を練るのであった。
ちなみにそのおかげで、『疲労耐性』のレベルが上がったという。
西野は学校から少し離れた路地裏に身をひそめていた。
押し寄せたモンスターの大軍。
それを躱しながら、彼も何とか逃げ延びていた。
「はぁ……はぁ……なんとか撒いたか……」
壁を背に、ゴミバケツや粗大ごみで身を隠しつつ、息を整える。
「……六花、一体どうしたっていうんだ?」
脳裏をよぎるのは、独断専行で食堂を出て行った彼のパートナーだった少女。
一体何があったのか?自分を置いて、果たして彼女はどこへ行ったのか?
「一之瀬が関係しているのか……?」
思い出すのは彼女がかつて虐めていた少女の名前。
思えば、校庭での戦闘以来、六花の様子はどこかおかしかった。
葛木さやかとの戦いの前には、明らかに不審な行動をとっていた。
(どうする?六花を探すか?いや、生徒会長の下へ向かうべきか?そうだ、俺が会長を守らないと……って、あれ?どうして、そう思ったんだっけ?)
ふと自分の思考に違和感を感じ、西野は首を傾げる。
一番重要なのは、柴田や大野をはじめとした、彼のグループとの合流だったはずだ。
なのに、どうして自分は五十嵐生徒会長の事を第一に考えているのだろう?
「……」
答えは出ない。
だが、なんとなく奇妙な感じがした。
まるで自分の思考が上書きされているような―――。
西野は気付いていなかったが、この違和感は十香の『魅了』の効果が薄れてきているサインでもあった。
彼女の『魅了』は永続的なものではなく、時間制限があり、刻限が近づくと共にその効果は薄れてゆくのだ。
それを防ぐために、彼女はスキルの『重ね掛け』を行っているのだが、彼女と逸れた今、彼の思考は普段の状態に戻りつつあった。
それは彼にとって『幸運』と言えるだろう。
「ギギィ……」
「ッ……!」
だが不意に、思考に耽る彼の耳に、低い呻り声が響く。
見れば、二体のゴブリンが、この路地裏へ入ってくるところだった。
(マズイな……いまモンスターの相手は……)
逃げる体力も残っていない。
万事休すか?
だが、彼の『幸運』は、まだ尽きていなかった。
ズンッ!と。
路地裏に入ろうとしていたゴブリン達が、巨大な何かに押しつぶされたのだ。
「……は?」
彼の目に飛び込んできた物。
それは、大きな丸太だった。
丸太が、ゴブリンを、押しつぶした。
その事実を理解するのに、ちょっと時間が掛かった。
「どうだい、柴田君!オジさんも中々やるもんだろう?はっはっは」
「いや、確かにすげーけどよ、オッサン。もっと扱いやすい武器はいくらでもあるだろうが……なんで、丸太なんだよ?」
「製材所に務めていた私に取っちゃ、これが一番手に馴染むんだよ」
「お、おう……そうか……」
次いで聞こえてきた声。
それを聞いて、西野は思わず立ち上がって叫んだ。
「柴田か……!?」
「……え、嘘……西野さん!?良かった、無事だったんっすね!」
西野の姿を見つけたヤンキーの様な学生―――柴田は満面の笑みを浮かべた。
更に彼の後ろには、ホームセンターではぐれた学生たちも数名居るではないか。
「ど、どうしてここに?」
「このオッサンたちと一緒に学校目指してたんっすけど、ちょっと予想以上に手間取っちゃいまして……。それで、どこか休める場所を探してたら、そこでゴブリンを見つけて……」
丸太で潰した先に、西野が居たという訳だ。
「そうか……良かった、無事でいてくれて」
「うっす……」
再会を喜び合っていると、後ろから鼻をすする音が聴こえた。
見ればオッサンが泣いてた。
名を五所川原 八郎(55歳)。花丸製材所の社長さんである。
「良かったなぁ、柴田君。友達とも無事再会できて……ずずっ」
「ああ、ありがとよ、オッサン。正直、アンタ達がいてくれて助かったぜ」
「何を水臭い事を言ってるんだよ。『困った時はお互い様』だろう?もっと大人を頼っても良いんだよ?」
「はっ、初めて会った時は、あんなに縮こまってぺこぺこしてたオッサンがえらそーに」
「おいおい、それは言わない約束だろう?君はホントに年上を敬う態度がなってないなぁ」
そう言って笑いあう柴田とオッサンたち。
きっとココへ来るまでに、数々の死線を潜り抜けてきたのだろう。
そこには年の差を超えた男の友情があった。
「ともかく、どこか休める場所を探そう。話したいことが色々あるんだ」
「そうっすね。まずは移動しましょう」
喜びもそこそこに、彼らは再び移動を開始する。
それにしても、と西野は思う。
視界の隅にチラチラ映る丸太。
所々に血がこびりついてるところを見ると、本当にアレでモンスターと戦ってきたのだろう。
(スーツを着た小太りのオッサンが持つとミスマッチ感が半端ないな……)
そしてやっぱり丸太は凄いと思わざるを得ない西野であった。
再会を果たした後、イチノセさんと六花ちゃんは倒れるように眠りに就いた。
六花ちゃんもそうだが、イチノセさんも相当疲労が溜まっていたのだろう。
特に俺が目覚めるまでの間は、かなり神経をすり減らして見張ってくれていたはずだ。
「それじゃあモモ、頼むな」
「わんっ」
モモに見張りを頼んで、俺は校舎の中を探索していた。
周囲の安全を確認するのもそうだが、少し気分転換がしたかったからだ。
『索敵』で分かっていたが、校舎に残っていたモンスターは、殆どがゴブリンやゾンビといった弱い部類だ。一人で歩いても、大丈夫だろう。
実際、片づけるのにそう時間はかからなかった。
「結局、六花ちゃん以外の生存者は無しか……」
モンスターを掃討するついでに、ほかにも生き残りがいるんじゃないかと探してみたが、結局生存者を見つける事は出来なかった。
残っていたのは死体だけだ。匂いはきついが、そのまま放置するしかない。
「はぁー……」
空を見上げると、月が見えた。
電気が使えなくなって、明かりが無くなった影響か、以前よりもはっきりと夜空が見える。
「これからどうするかなぁ……」
ぽつりと独り言が漏れる。
イチノセさんは六花ちゃんと再会を果たした。
だが、その後どうするかまではまだ決めていない。
パーティーに加えるのか、それともこのまま別れるのか。
「……多分、イチノセさんは俺に委ねるだろうなぁ……」
本心では六花ちゃんをパーティーに加えたいと思っているだろうが、それでも最後の決定権は俺に委ねるような気がする。
「六花ちゃんをパーティーメンバーにか……」
美少女JK二人と、男一人のパーティー。
字面だけならハーレムだよな。六花ちゃん、おっぱい大きいし。
フラグ一切立ってないけど。
「……」
自分で言ってて、微妙な気分になってくる。
何というか、そういうのってやっぱ画面越しで見るから良いんだろうなぁーって思う。
実際には頭を抱えて悩むことの方が多い。
そもそもイチノセさんとの距離感すら、まともに掴めていないのだし。
「そういう意味では、一人の方が気楽っちゃ気楽だったな……」
余計な気を回さず、自分の事だけを考えていればよかったのだから。
会社に居た時もそうだった。
淡々と自分の仕事だけこなして、同僚とは上辺だけの付き合いで済ませて。
やたら話しかけてくる後輩も居たけど、それも適当にあしらってた。
面倒だったから。
それで良いと思ってたから。
「誰かと一緒に居るのって大変なんだな……」
ガジガジと頭を掻く。
ああ、めんどくさい。
思い通りに行かない。ストレスが溜まる。
数日前なら、こんな事で悩むなんて思いもしなかっただろう。
でも、イチノセさんがいたおかげで、命が助かったのもまた事実だ。
そして、モモやアカ、イチノセさんの為なら、頑張りたいと思ってる自分も居る。
独りの気楽さ、仲間の大切さ。
その二律背反が、俺の中でぐるぐる渦巻いている。
―――アンタは好きに生きたいとは思わねーのか?
不意に、あの魔物使いの少女の言葉が脳裏をよぎる。
彼女はこの世界に満足していた。
自分が自分らしく好きに生きれる世界だから、と。
「……好きに生きる、か……」
それは簡単そうに見えて、実は凄く難しいことで、
「俺もそんな風に割り切れたらいいのにな……」
その呟きは誰の耳にも届かず、夜の闇に溶けていった。
迷い、間違え、敗北し、
波瀾にまみれた四日目は、こうして終わりを告げた。
読んで頂きありがとうございます!
これにて第二章終了となります。
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書き下ろし満載でございます。
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