拝啓 天馬 またもや私に僥倖が訪れましたⅥ
「……確かに、話したことは一度だけある。だが、ソフィーの名は出さなかった。聞いて楽しい話でもないだろう」
「ちょっと、なぜ私の話が楽しい話ではないのよ! 貴方、クリスティーナお姉様に変なこと言ってないでしょうね!」
「お前はいつも変だっただろうが! 変ではない話をすることの方が難しいぞ!」
「まぁ! クリスティーナお姉様になんと言ったの!?」
なぜか強く詰問され、フェリオはまた本筋から離れていると思ったが、仕方なく目の前の少女の問いに答えた。
「アイツが……、あまりにも恋物語を聞きたいと言うから、お前の話をした」
「恋物語?」
「クリスティーナは俺の初恋の相手が聞きたいと、よく言っていたんだ。そんな話を婚約者にするバカはいない。何度もいないと言ったが。……ある日、すごく疲れていて…」
週に一度訪れる婚約者は、なぜかいつも恋物語を所望した。たとえ作り話でもよいので、わたくしにお聞かせくださいと請われ、週に一度の茶会すら時間が取れず何度も取りやめにさせてきた負い目から、つい話してしまった。過去の苦い初恋を。
「名は出していなかったのに、俺が一時期タリスの保養地にいたことは知っていたからか、すぐに目星はついたんだろうな。軽率だったよ。悪かった」
「……よく分からないわ」
「何がだ?」
「その話と、私がどう関係あるの? クリスティーナお姉様は、貴方の初恋の話を所望されたのでしょう? どうして私の話になるの?」
心底理解できないという顔でソフィーが言うと、フェリオが怪訝な顔をした。
「初恋の話が聞きたいと言われたから、ソフィーの話をしたのが、なぜ分からない?」
「あの時、誰か好きな人がいたということ?」
「お前に決まっているだろう!」
思わず叫べば、ソフィーが「はぁ?!」と淑女とは思えない声音を出した。
「なんだ、その反応は…」
「好きな人が私だというの?!」
「……おい、俺はお前に告白しただろうが」
「告白?」
「嫁にならないかと言っただろう!」
「…え、だってそれは私と離れがたいから言ったことでしょう?」
「離れがたいというのは、好きだということだろうが!」
ソフィーの視線が悩むように遠くを見る。その顔には『そういうものなの?』という疑問が張り付いているかのようだった。
コイツ、本当に分かっていなかったのだ…と気づき、フェリオは心底信じられないという顔で目の前の少女を見た。
「嘘だろう……。お前の中の乙女は死んでいるのか!?」
「失礼ね!」
あの時、断られることは理解していた。だが、まさか告白すら分かっていなかったとは、さすがのフェリオも想像していなかった。
乙女の心を失っている少女は、突然計算をし出した。手のひらに、指で何かを書くような仕草をし、それが終わると急に目じりを上げた。
「ちょっと、待って。あの時にはもうクリスティーナお姉様との婚約が決定していたはずよ。それはつまり、クリスティーナお姉様という立派な婚約者がありながら、貴方はどこの馬の骨とも分からぬ女に嫁になれと言ったの!?」
「どこの馬の骨って…」
自分を表現する言葉か? と、フェリオは眉間に皺を寄せた。相変わらず、変な女だとしみじみと思いながら。
「なんてことなの、万死に値するわ!」
ソフィーがテーブルを勢いよく両手で叩き、まるで犯罪者を糾弾するかのように声を荒らげた。
「ああ、そうだよ。どうせお前は断るだろうと思っていたから、ここぞとばかりに嫁にならないかと言ったさ!」
フェリオもやけになり、真実を口にした。
断られることを知っていたからこそ告白した無様な自分を伝えるのは、かなり心が痛かったが、酷い女はまったく気づかずに違う論点を心配していた。
「……私、もしかしてクリスティーナお姉様に、貴方との関係を疑われているの!?」
顔色を悪くして、ぶるぶると震えているソフィーに、フェリオはつくづく思う。
「お前は、なぜそんなにクリスティーナに心酔しているんだ?」
「クリスティーナお姉様を心酔しない人間など、この世に存在しないわ!」
力いっぱい断言された。
目の前の少女に、幼き日恋心を持った自分がとても可哀想だ。なぜコイツだったのだろうと、段々分からなくなってきた。
「安心しろ、クリスティーナは王妃となるべく教育された、お前とは淑女レベルが天と地ほど違う女だ。そんな狭量な考えは無い。…まぁ、別の方向では変わっている女ではあるが」
「なんてこと、貴方は女心がまったく分かってないわね! 女性は愛した人の過去が気になるものなのよ。その中でも、気になるを通り越して気にしてしまうほどになっていれば、それは相手に対して疑いを感じているということよ! クリスティーナお姉様が、何度も恋物語を貴方に所望したということは、貴方に疑いを持っていた証じゃない!」
(コイツ、自分へおくられる恋心にはまったく気づかなかったくせに、他人のこととなるとやけに知ったかのような口ぶりだな)
正直、早く本題に入りたいのだが、ソフィーのクリスティーナへの偏愛が酷すぎてまったく話にならない。
(クリスティーナを下がらせる前に、茶でも用意させればよかった。コイツの話長そうだな…)
ソフィーが聞いたら激怒しそうだが、基本が王族気質なのでフェリオにとっては普通の感覚だ。それどころか、フェリオは王族の中ではまだマシな方だと思っている。
異母弟に至っては、兄の婚約者と侍女の違いすら分かっていない。異母弟も頭はとても良いのだが、興味が無いものは記憶にとどめない節がある。
目の前で、女性に対する愛情はかくあるべきと拳を震わせて語っている初恋の君を前に、フェリオは頰杖をつきながら演説が終わるのを待った。
心の中で、コイツはバカなのか天才なのか本当に分からない…と、思いながら。