93.イベントムービーはスキップせずにちゃんと見よう
神聖パルムール王国。
建国から数百年を誇るこの国は、かつて滅びたある王国を母体に新たに作られた国家であり、この大陸でも有数の強国である。
国教に純血教を掲げ、王都に建てられた総本山である巨大な宮殿は、純血教のこの国における絶対的権力を示していた。
美しい白亜の柱が並ぶ廊下を一人の女騎士が歩く。
豪華絢爛な装飾が施された床や天井。
薄く青みがかった銀髪を揺らし、それらが霞むほどの美貌を持ちながら、その表情には薄く影が差している。
カツ、カツと、足早に歩くその足音が、彼女の不機嫌さを物語っていた。
「……馬鹿げている」
誰も居ない廊下で彼女は、誰にも聞こえないよう静かに呟く。
吐く息が白く、僅かに周囲を凍結させた。
足元に降りた霜を見て、これはいかんと心を落ち着かせる。
「……」
これ以上先には行きたくない。だが、命令である以上進むしかなかった。
たどり着いた先にある扉を開けると、中には二人の男が居た。
一人は純白の法衣に身を包んだ、痩せこけた老人。
もう一人は、黒いマントに身を包んだ少し――いや、かなり太った中年男だ。
髪はぼさぼさで、無精ひげを蓄え、いっそ場違いなほどに不潔感にまみれているが、それを咎める者はここにはいない。無論、女騎士は心の中では心底、侮蔑の顔を浮かべてはいたが。
法衣の老人が笑みを浮かべる。
「シュリア、よく来てくれました」
「アルゴス司教、お久しぶりです。先日は東部戦線に慰問して頂き、誠にありがとうございます。皆も大変喜んでおりました。騎士団を代表しお礼申し上げます」
「私はただ共に戦う者を少しでも労わりたいだけ。礼など不要です」
「はっ」
シュリアと呼ばれた女騎士は慇懃に頭を下げる。
挨拶も程々に、彼女は本題に移る。
「それで、今日、私が呼ばれたのはやはり……」
「……はい。アポリスの町の信徒から正式に報告がありました。パルゴス院長が亡くなった――いえ、殺されたと……」
「……そうですか。下手人は?」
「不明ですが、保護していた亜人が全て連れ去られていたとのことです。おそらくは亜人解放戦線の仕業で間違いないでしょう」
「……」
アルゴスと呼ばれた老いた司教は胸からぶら下げられた十字架を握りしめる。
癒えることのない悲しみが、涙となって頬を伝う。
「彼は……パルゴスはよく出来た弟でした。きっと無念だったでしょう。亜人の子供たちの罪を濯ぐことに彼は誰よりも熱心でしたから」
「……そうですね」
シュリアも同意するように頷く。
……少なくとも表面上は。
「ああ、哀れなパルゴス。貴方の無念は、私がきっと晴らして見せます」
「ええ、その通りですよ。アルゴス司教」
横に控えていた中年男が追従する。
「これ以上、亜人解放戦線――いや、亜人の国を野放しにしておくわけにはいきません。純血教の教えこそ、彼らにとっての救いだということを教えてやらねば」
「ええ、その通りです。流石、デニッシュ殿は分かっていらっしゃる」
芝居がかったやり取りをする二人を、シュリアはどこか冷めた目で見つめる。
(ノンノンデニッシュとか言ったか……本当に癪に障る男だ)
奇妙な名前をしたこの汚らしい中年男は、ある時からこの宮殿に入り浸るようになった。
いったいどうやって司教や宮殿の者たちに取り入ったのか。
シュリアとしては甚だ不本意だが、それでも一つだけ認めざるを得ないことがあった。
この男は――強い。
自分たちにはない知識と不思議な力を持ち、何匹ものモンスターも従え、それを何もない虚空から召喚することが出来る。
ついたあだ名が『個人騎士団』。
この男のおかげで、勝利できた戦も多い。
とはいえ、手放しに喜べないのも、また事実だった。
「私にお任せください。必ずやパルゴス院長の敵を見つけ出し、天誅を下してご覧に入れましょう」
「本当にデニッシュ殿は素晴らしい。他の『ぷれいやー』も皆、デニッシュ殿のようであればどれだけいいか」
「それは仕方ありません。我々プレイヤーは組織ではなく、個で動く存在ですから」
――『ぷれいやー』。
この大陸のあちこちで名を上げている者たち。
彼もその一人らしい。
とはいえ、シュリアは彼以外の『ぷれいやー』には会ったことがないが。
「シュリアよ。貴方は彼と共にパルゴスを殺した者たちを追いなさい。必ずや仕留めるのです」
「……はっ」
「ふひひ……」
デニッシュの下卑た視線が自分に向けられる。
「ッ……」
思わず表情が歪みそうになるのを必死にこらえる。
シュリアがこの男を好きになれない理由がこれだ。
この男は無類の女好き――いや、手当たり次第に手を出しては飽きたら捨てる女の敵だ。
これまでの報酬に何度も女を要求しては抱き捨てている。
(純血教の教義はどこに行ったのだ……!)
純血教は人間至上主義の教えだが、その中には品行方正や純潔、禁欲といった人として正しいあり方も含まれている。
高潔と純潔を重んじるシュリアにとって、それを平気で犯すこの男は文字通り唾棄すべき存在そのものだった。
(……馬鹿げている)
それを見て見ぬ振りをしているアルゴス司教もだ。
この男が強いから、利用価値があるから許される?
(ふざけるな……!)
教義とは、決して自分たちの都合で勝手に捻じ曲げていいものではない。
シュリアはそう思っているが、純血教の上の者にはこうやって禁を犯す輩も少なくない。権力者の腐敗はどこにでも付き物だ。
だからここへ来たくなかったのだ。
ここに居ると、自分まで穢れてしまいそうな気がして。
司教の部屋を出ると、早速デニッシュが話しかけてくる。
「シュリア殿、力を合わせてパルゴス院長の敵を取りましょうね。ふひひ」
「……ああ、そうだな」
適当に頷くと、その態度が癪に触ったのかデニッシュの表情が変わる。
ちっと舌打ちをすると、シュリアを下から睨みつける。デニッシュの方が身長が低いからだ。
「立場が分かってねーなNPC。立場は俺が上なんだぞ? 理解してんのか? ああ?」
「……失礼した。気に障ったのならば謝罪しよう」
「ったく。なんでネームドは手が出せねぇかなぁ……クソ仕様が」
たまにこの男は訳の分からない言葉を口にする。
おそらくは『ぷれいやー』にしか分からないのだろう。
「まあいい。久々のEXステージだ。ぜってークリアしてやる。場所は……グランバルの森か。おら、早く行くぞ!」
「……ああ」
パルゴスを殺した下手人の情報はまだ殆どない。
にもかかわらず、この男は既に何か情報を掴んでいるようだ。
おそらくは、それも『ぷれいやー』の力の一端なのだろう。
(今に見ていろ……いつか必ず始末してやる)
目の前を歩くこの男も、アルゴス司教も。
いずれ純血教にとっての膿を全て吐き出してやる。
シュリアはそう誓いながら、デニッシュの後をついてゆくのだった――……。
――そこで映像は終わった。
『サブクエスト イベントムービーを鑑賞する をクリアしました』
『成功報酬 虹の石、2,500イェンを獲得しました』
頭の中にアナウンスが流れる。
そう、今しがたのやり取りは、俺たちが待機室で見ていた映像である。
メインストーリー6のサブクエストにあった、『イベントムービーを鑑賞する』を選択したら、先ほどの映像が大画面で再生されたのである。
「これ、あれか? いわゆるゲームでよくある敵勢力の会話シーンってやつか?」
「ウガーゥ?」
「ウッキキー?」
雷蔵や夜空なんかは、「もう終わりー?」と、俺の隣でポップコーン(俺が購入したやつ)を食べながら映画鑑賞でもするように画面を眺めている。
「いや、確かにストーリーが進むと、主人公とかプレイヤー以外の会話シーンとかも増えるけどさ……」
でも見ていいの、こういうのって?
地の文とか、シュリアって奴の内心まで全部、字幕に出てたぞ?
ネタバレどころの話じゃねーよ。
「しかも他のプレイヤーまでいるんだけど……」
確か『ノンノンデニッシュ』さんってアルダンにも居た人だよな?
フレンド登録はしてたけど、名前だけしか知らないプレイヤーだった人だ。
あんな感じの人だったんだ……。すっごい下種かったけど、流石にアレ素じゃないよな? 俺が村長たちにやったみたいな、ロールプレイの一環だよな?
素でやってんなら流石に引く。
(ていうか、これひょっとしてメインストーリー6は他のプレイヤーと戦う可能性もあるってことか?)
じゃないとこんな映像流れないだろう。
ノンノンデニッシュさんは、目的地がグランバルの森って言ってた。
俺の次のサブクエストも『グランバルの森で隠しダンジョンを発見する』だ。
何より、パルゴスを殺した犯人は俺たちである。僕たちがやりましたー。
かち合う可能性は非常に高い。
(……これって向こうにも似たようなイベントムービーが流れてるのか?)
いや、会話からして、犯人が誰かは分かってないはず。
プレイヤーのストーリー展開はそれぞれ違うって、掲示板で書かれてたが、違うだけじゃなく、こうして交わることもあるって事か。
トラさんやエイトさんとも出会ったし、こういうケースもあるのだろう。
これは波乱の予感がするな……。
「まあでも……とりあえず、今日はもう遅いから寝るか」
流石に疲れた。もうやりたくない。
異世界ポイントと現実の時間の流れって異なってるし、特定のプレイヤー同士のログインが重なるのって難しいと思うけど、まあその辺は運営が上手いこと調節してるんだろう。
俺は雷蔵たちに別れを告げて、ログアウトするのだった。