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リチャード&リンダ・トンプソン

ロンドン生まれのフォーク・ロッカー、リチャード・トンプソンOBE(1949年4月3日生まれ)とリンダ・ペティファー(1947年8月23日生まれ)は、元フェアポート・コンヴェンションのフロントマンがバンドと決別した直後、トンプソンのデビュー・アルバム『ヘンリー・ザ・ヒューマン・フライ』の2曲で初めてコンビを組んだ。これが2人の10年にわたる恋愛・音楽関係の始まりとなり、2人は1972年に結婚、1974年にデビュー・コラボレーション・アルバム『I Want to See the Bright Lights Tonight』をリリースした。アイランド・レコードの支援を受けていたにもかかわらず、この地味なLPはチャートインに失敗し、当初は批評家に見過ごされていた。2人のシンガー・ソングライターは、1975年にもアイランドから2枚のアルバム『Hokey Pokey』と『Pour Down Like Silver』をリリースしたが、同様の運命をたどった。その後、リチャードは音楽活動を休止し、イスラム教徒に改宗したばかりのふたりは、スーフィー・コミュニティに参加するためにイースト・アングリアに移住した。2年後、彼らはロンドンに戻り、リチャードは信仰を続けながら音楽活動を再開した。ふたりはクリサリスと契約し、1978年の『First Light 』と1979年の『Sunnyvista』の2枚のアルバムをリリースしたが、売上不振のためレーベルから外された。どちらのLPもスピリチュアルなモチーフに根ざしており、前者では歌詞にコーランからの直訳を織り込んだほどだった。リチャード&リンダ・トンプソンの6枚目にして最後のアルバム『シュート・アウト・ザ・ライツ』は1982年にリリースされ、当時妊娠中だった妻の呼吸困難のため、リチャードの声が主役となった。このアルバムはビルボードのアルバム・チャートに初登場し、203位を記録した。しかし、このアルバムのプロモーションのためにふたりでアメリカ・ツアーを行ったときには、リチャードはツアー・マネージャーと不倫関係にあり、ふたりはすでに静かに別れていた。その後、ふたりは長いソロ・キャリアを歩み、リチャードは2011年にOBEを受賞、2015年にはイギリスでトップ10入りを果たした。2020年には、『ハード・ラック・ストーリーズ(1972-1982)』と題された、2人のコラボレーション作品を網羅した93曲入りのコンピレーションがリリースされた。


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