Stephen Malkmus
アメリカの作曲家、ギタリスト、シンガーであるスティーヴン・マルクマス(1966年5月30日、サンタモニカ出身)は、ペイヴメントから少し離れて、アルバムを出すたびに、「あること」と「あったこと」を試みている。1990年代のローファイ・ムーブメントのリーダーであった彼は、2001年のデビュー・アルバムでザ・ジックスを従え、自身の名前で生まれ変わった。その後、ペイヴメントが一時的に再結成されるまでの10年間に3枚の作品集がリリースされた。2011年、ベックがプロデュースした『Mirror Traffic』がリリースされ、3年後にはレムコ・シュウテンがプロデュースした『Wig Out at Jagbags』が続く。2018年には、キム・ゴードン(元ソニック・ユース)を1曲(「Refute」)にフィーチャーした7thアルバム『Sparkle Hard』がリリースされた。
スティーヴン・マルクマスのキャリアは、ペイヴメントが終わった1999年11月の夜、ロンドンのブリクストン・アカデミーで、マイクに手錠をかけて敵対行為の終結を宣言したことから始まった。
1966年5月30日、カリフォルニア州サンタモニカに生まれたスティーヴン・ジョセフ・マルクマスは、1989年にストックトンでペイヴメントを結成するために歴史の勉強から離れた。3人のバンドメイト、スコット・カンバーグ、マーク・アイボルド、ゲイリー・ヤング(後にスティーヴ・ウェスト)とともに、マルクマスはこの10年間で最も重要なアメリカン・ロック・バンドのひとつ、ペイヴメントの前座を務めた。この4人組は1992年にアルバム『Slanted & Enchanted』でその名を知られるようになり、続く『Crooked Rain, Crooked Rain』(1994年)は、長年のグランジ・ムーヴメントの後、ローファイ・ムーヴメントとその自家製スタイルの旗手となった。
このムーブメントを先導したペイヴメントは、インディーズからメインストリームの地位へと上り詰め、MTV(「Cut Your Hair」)で拷問を受けたようなポップ・ソングが何度も何度も流された。その後、3枚のアルバム(1995年『Wowee Zowee』、1997年『Brighten the Corners』、1999年『Terror Twilight』)が立て続けにリリースされたが、必然的な終焉を迎えた。ラスト・アルバムの全曲を作曲したマルクマスは、バンドを支配下に置いたと非難され、その後のツアー中に解散した。同時に、ドラマーのボブ・ナスタノヴィッチとデヴィッド・バーマンと共に、ザ・シルヴァー・ジューズ(1994年以降6枚のアルバム)という名で原点回帰を果たした。
2001年初頭、スティーヴン・マルクマスが自身の名義で再登場した時も、ペイヴメントの解散に対する疑念は残った。ザ・ジックスというバンドを従え、彼は好評を博したが、過去のパフォーマンスとはかけ離れたアルバムを発表した。その後のアルバム『Pig Lib』(2003年)、『Face the Truth』(2005年)、『Real Emotional Trash』(2008年)は、ソングライターとしての紛れもない才能を示したが、彼の忠実なファン以外の聴衆を見つけるのに苦労した。
新作をリリースするたびにペイヴメントが再結成するという噂が絶えない中、マルクマスはボブ・ディランの人生を基にしたフィクションであるトッド・ヘインズ監督の映画『I'm Not There 』(2007年)のサウンドトラック用に3曲のカヴァーをレコーディングするなど、多忙な日々を送っていた。ペイヴメントは2010年春、2011年夏にリリースされた新作『Mirror Traffic』のプロデューサー、ベックとのスタジオ・セッションの合間を縫って、ついにツアーで再結成を果たした。その2年後、彼は元ペイヴメントのツアー・サウンド・エンジニア、レムコ・シュウテンを招き、『Wig Out at Jagbags』(2014)をプロデュースした。トラック「Refute」にキム・ゴードンが参加した7枚目のアルバム『Sparkle Hard』(2018年)に彼のサインが再び登場するまでには、さらに4年かかった。
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