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ワリー・バダロウ

キーボーディスト、作曲家、プロデューサーのウォーリー・バダルーは、ナッソー(バハマ)のコンパス・ポイント・スタジオを中心に数多くのレコーディングに参加している。 また、グループ「レベル42」のメンバーでもあり、単独でもレコーディングを行っている。1955年3月22日にパリで生まれた彼は、ミリアム・マケバ、ギブソン・ブラザーズ、ロビン・スコット、通称Mなどのアーティストとコラボレートしたシンセティック・ヒット「Pop Muzik」(1979年)を皮切りに、ファースト・アルバム「Back to Scales To-Night」(1980年)をレコーディングし、アイランド・レコードの創始者クリス・ブラックウェルが経営するナッソーのコンパス・ポイント・スタジオのチームに加わった。リズム・コンビのスライ&ロビーらジャマイカ人ミュージシャンとともに、ウォーリー・バダルーはグレース・ジョーンズ、シャルレリー・クチュール、リジー・メルシエ・デスクルー、グレゴリー・アイザックス、ジョー・コッカー、ブラック・ユフル、グウェン・ガスリー、マリアンヌ・フェイスフル、トム・トム・クラブ、ロバート・パーマーらとのセッションに参加し、1981年のファースト・アルバムから1994年のフォーエヴァー・ナウまでに12枚のアルバムをレコーディングしたイギリスのジャズ・ファンク・グループ、レベル42との仕事も並行して行った。ピアノからコンピューターまで幅広いキーボードを操り、マヌ・ディバンゴ、ミック・ジャガー、フリオ・イグレシアス、トーキング・ヘッズ、メリッサ・エセリッジ、アラン・シャンフォール、サリフ・ケイタらとコラボレートした1983年のアルバム『エコーズ』を録音。1989年、ジャン=ポール・グードの芸術監督のもと、フランス革命200周年を記念して『La Marche des Mille』を制作。同年、アルバム『山の言葉』を発表。その後、ワリー・バダルーは演劇や映画にも活動の幅を広げ、映画『カントリーマン』(1982年)や 蜘蛛女のキス』(1985年)のサウンドトラックに参加した。2009年、アルバム『Fisherman』で音楽活動を再開。2012年、サセムの取締役に就任。


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