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- 1995 · アンネ=ゾフィー・ムター
 
ジャン・シベリウス
プレイリスト
バイオグラフィー
フィンランドのジャン・シベリウスは、壮大なロマン派の世界における最後の偉大な民族主義の作曲家だった。1865年にハメーンリンナで生まれたシベリウスは絵画のように美しい北欧の風景を音で描いたことで知られる一方、音楽の力で1917年のフィンランド独立に大きく寄与した人物としても歴史にその名を刻んでいる。シベリウスは民謡の旋律をそのまま引用することはなかったが、フィンランドの民族叙事詩『Kalevala(カレワラ)』を題材にした作品を多く遺した。その中には管弦楽曲の『Kullervo(クレルボ)』(1892年作曲)、交響詩『The Swan of Tuonela(トゥオネラの白鳥)』 (1895年作曲/連作交響詩『Lemminkäinen Suite(レンミンカイネン組曲)』の第2曲)、そして『Karelia Suite(カレリア組曲)』(1893年作曲)などの名曲がある。シベリウスは1900年に完成させた『Finlandia(フィンランディア)』で国際的な知名度を得た。ロシア帝国はこの交響詩が持つ民衆を奮い立たせる勇壮な曲調を警戒し、演奏会の検閲を行った。シベリウスは、みずみずしく表情豊かな『Violin Concerto(バイオリン協奏曲)』(1905年完成)や、それぞれが全く新しい様式をとった七つの交響曲をはじめ、とりわけ大規模なアンサンブルの楽曲で独創性を発揮した。交響曲では人気の高い第2番(1902年初演)、第5番(1915年初演)が民謡風のメロディや自然のささやきを感じさせるのに対し、単一楽章の第7番(1924年初演)は厳粛さと、どこか不穏な雰囲気を漂わせる作品となっている。フィンランドの森のざわめきを描いた交響詩『Tapiola(タピオラ)』(1926年初演)の後、突然作曲の手を止めたシベリウスは、それ以降、亡くなるまでのおよそ30年間をほとんど沈黙のうちに過ごした。アイデアが枯渇したのか、はたまた個人的な問題があったのかは知る由もないが、音楽の力でフィンランドの自然や文化の息吹を世界に伝えた彼の功績は、永遠に忘れられないだろう。