コンテンツにスキップ

黒川弥太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。松永和樹 (会話 | 投稿記録) による 2020年5月10日 (日) 13:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

くろかわ やたろう
黒川 弥太郎
本名 黒川 清隆
生年月日 (1910-11-15) 1910年11月15日
没年月日 (1984-06-23) 1984年6月23日(73歳没)
出生地 神奈川県横浜市
民族 日本の旗日本人
職業 俳優
ジャンル テレビ・映画
テンプレートを表示

黒川 弥太郎(くろかわ やたろう、1910年明治43年)11月15日 - 1984年昭和59年)6月23日)は、神奈川県横浜市出身の俳優。本名は黒川 清隆(くろかわ きよたか)。

来歴・人物

身長167センチメートル。1933年(昭和8年)、新国劇に入る。芸名は子母沢寛原作の『弥太郎笠』より長谷川伸が名付けた。

1935年(昭和10年)、片岡千恵蔵に代わる主演スターを探していた文藝春秋鈴木氏亨によりスカウトされ日活京都撮影所に入る。以後時代劇スターとして活躍。1937年(昭和12年)には東宝に移籍しここでも主演。

その後召集され、陸軍軍曹となる。

戦後は新東宝設立の中心人物のひとりとなる。1952年(昭和27年)に大映へ、1959年(昭和34年)には東映へ移籍し、時代劇の主演・準主演で活躍。1960年代半ば(昭和40年代)からはテレビ時代劇への出演が多くなる。

妻は元タカラジェンヌ宝塚歌劇団22期生玉藻刈子

1984年(昭和59年)6月23日、死去。73歳没。

主な出演作品

映画

忠臣蔵』で上使多門伝八郎を演じた黒川(右、左は浅野内匠頭の市川雷蔵

テレビドラマ

関連書籍

  • 『日本映画興亡史II 日活時代劇』(石割平 編著、円尾敏郎/横山幸則 編、ワイズ出版

外部リンク