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嘉興府

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嘉興府(かこうふ)は、中国にかつて存在した南宋から民国初年にかけて、現在の浙江省嘉興市一帯に設置された。

概要

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938年天福3年)、呉越により杭州嘉興県に秀州が置かれた。

1195年慶元元年)、南宋により先々帝の孝宗の生まれた地である秀州が嘉興府に昇格した。嘉興府は両浙路に属し、嘉興・華亭海塩崇徳の4県を管轄した[1]

1276年至元13年)、により嘉興府は嘉興路と改められた。嘉興路は江浙等処行中書省に属し、録事司と嘉興県と海塩州崇徳州の1司1県2州を管轄した[2]1366年朱元璋により嘉興路は嘉興府と改められた。

のとき、嘉興府は浙江省に属し、嘉興・秀水嘉善・崇徳・桐郷平湖・海塩の7県を管轄した[3]

のとき、嘉興府は浙江省に属し、嘉興・秀水・嘉善・石門・桐郷・平湖・海塩の7県を管轄した[4]

1913年中華民国により嘉興府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志五
  4. ^ 清史稿』地理志十二