三井精機工業
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種類 | 株式会社 |
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略称 | 三精(さんせい)、三井精機 |
本社所在地 |
日本 〒350-0193 埼玉県比企郡川島町八幡六丁目13番地 |
本店所在地 |
〒171-0022 東京都豊島区南池袋二丁目49番4号 |
設立 | 1950年4月1日 |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 9010501031559 |
事業内容 | 工作機械の製造・販売 |
代表者 | 岩倉 幸一(代表取締役社長) |
資本金 | 9億4,800万円 |
売上高 |
212億3,000万円 (2024年3月期)[1] |
営業利益 |
17億4,700万円 (2024年3月期)[1] |
経常利益 |
18億9,300万円 (2024年3月期)[1] |
純利益 |
12億3,200万円 (2024年3月期)[1] |
純資産 |
126億3,100万円 (2024年3月期)[1] |
総資産 |
266億7,400万円 (2024年3月期)[1] |
従業員数 | 566名(2022年3月現在) |
主要株主 |
ジェイテクト(トヨタグループ) 日野自動車(トヨタグループ) 三井不動産・三井住友銀行(三井グループ) |
外部リンク |
www |
三井精機工業株式会社(みついせいきこうぎょう)は、埼玉県比企郡川島町に本社を置く、三井グループの工作機械メーカー。三井直系10社の1社。
1928年(昭和8年)創立[2]。国産初のブロックゲージを製作し、老舗企業として戦前から日本国内の精密機械産業を支えてきた。
2019年現在、ジェイテクト(旧:豊田工機)が筆頭株主で、主要株主に日野自動車も名を連ねている[3]。トヨタ自動車・日野自動車は主要取引先でもある[3]。今もなおトヨタグループと古いつながりを持っており、同社の関連会社に該当する。
かつてはオート三輪を製造しており[2]、日野自動車の販売網で「日野・ハスラー」として売ったこともあり、保存車両が日野オートプラザで展示されている[4]。また、日野・ブリスカ、日野・レンジャーの受託生産もしていた[2]。
概要
[編集]この節は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2019年10月) |
本社所在地
[編集]主な製品
[編集]沿革
[編集]出典:公式サイト「会社概要 - 沿革」
- 1928年(昭和3年)12月 - 津上退助が東京府荏原郡六郷町(現:東京都大田区)に株式会社津上製作所を設立する。
- 1930年(昭和5年)1月 - 国産初のブロックゲージを製作する。
- 1934年(昭和9年)11月 - 本社・工場を東京府蒲田区下丸子町に新設し、移転する。
- 1936年(昭和11年)11月 - 出資した三井財閥との方向性の違いから、創業者の津上退助が退社する。
- 1937年(昭和12年)2月 - 商号を東洋精機株式会社と改める。
- 1942年(昭和17年)5月 - 三井工作機械株式会社と合併し、三井精機工業株式会社となる。
- 1943年(昭和18年)6月 - 本社を東京都中央区日本橋室町に移転する。
- 1947年(昭和22年)4月 - オート三輪「オリエント号」生産開始。柳宗理がデザインを手がけた[5]。
- 1961年(昭和36年)1月 - 日野自動車のトラック、日野・ブリスカの受託生産を開始。
- 1966年(昭和41年)10月 - 日野・レンジャーの受託生産を開始。
- 1981年(昭和56年)3月 - 桶川工場を埼玉県桶川市から比企郡川島町に移転し、川島工場として開設する。
- 1994年(平成6年)1月 - 本社を大田区下丸子に移転する。
- 2001年(平成13年)10月 - 川島工場に本社を移転し、本社および本社工場とする。同時に東京本社を品川区の天王洲アイルに開設する。
- 2010年(平成22年)8月 - 東京本社を埼玉県比企郡川島町の本社へ集約する。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 三井精機工業株式会社 第100期決算公告
- ^ a b c 沿革 三井精機工業公式サイト、2019年10月29日閲覧。
- ^ a b c 会社概要 三井精機工業公式サイト、2019年10月29日閲覧。
- ^ 日野オートプラザのオート三輪 ネコ・パブリッシング『モデル・カーズ』編集長ブログ、2008年11月21日、2019年10月29日閲覧。
- ^ “「ミゼット」や「ホープスター」など3輪車を集めてみた!【お台場旧車天国2018(2)】 | KURU KURA(くるくら) - クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく”. KURU KURA(くるくら) | クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく (2018年12月1日). 2024年5月8日閲覧。