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三雲賢持

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三雲 賢持
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄9年(1566年
別名 通称:新左衛門尉
主君 六角義賢
氏族 有道氏流三雲氏
父母 父:三雲定持
兄弟 賢持成持三郎左衛門
賢春
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三雲 賢持(みくも かたもち)は、戦国時代武将六角氏の家臣。

略歴

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六角氏の宿老・三雲定持の嫡男として誕生。

永禄9年(1566年)、観音寺騒動の影響で六角義治に不信を抱き浅井長政に通じて、謀反を起こした布施公雄が籠城する布施山城を攻める。同年、佐和山城周辺における浅井氏との戦で討ち死を遂げた。家督は、弟・成持が継いだ。

子・賢春は、真田十勇士猿飛佐助だとする俗説がある。

参考文献

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  • 森井春太郎 編『甲賀郡誌』伏木文三郎、1899年4月。 NCID BB14315860