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伊藤紘平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 紘平
名前
カタカナ イトウ コウヘイ
ラテン文字 ITO Kohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-12-05) 1988年12月5日(35歳)
出身地 山形県酒田市
身長 178cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 香港の旗 南華
ポジション MF
背番号 19
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2009 日本の旗 埼玉SC
2010-2015 日本の旗 酒田琢友クラブ
2015-2016 香港の旗 黄大仙 9 (1)
2017 タイ王国の旗 ラムパーン
2017-2019 モルディブの旗 Buru Sports Club
2019- 香港の旗 南華
1. 国内リーグ戦に限る。2016年4月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

伊藤 紘平 (いとう こうへい、 1988年12月5日 - )は、山形県酒田市出身のプロサッカー選手ポジションMF

キャリア

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山形県立酒田西高等学校卒業後、大学へ進学するつもりであったがブラジルサンパウロへサッカー留学[1]。帰国後にプロチームの門を叩くが良い返事はもらえず、関東社会人リーグ埼玉SCに入団。毎年、各クラブ主催のセレクションを受けたが、声が掛からず23歳で酒田へ帰郷。足場工やスポーツクラブのコーチをし生計を立てながら、酒田琢友クラブでサッカーを続けた[2]

2013年、1992年に始まった山形県サッカー協会と香港サッカー審判協会との交流活動の一環として行われている協会同士の試合に初参加[2]。その際に香港側の関係者から「香港で挑戦してみては」との声もあり、2015年7月に香港プレミアリーグ黄大仙に練習生として参加し、9月に入団。

2016年2月18日黄大仙は外国人選手を補強、外国人登録枠数確保のため、登録取り消しを発表。その後はトレーニングのみの参加となりシーズンが終了した[3]

2015-16シーズン終了後、港菁でトレーニングをしていたが、本契約締結ができなかったため、港会へ練習参加していた[4]

脚注

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  1. ^ 伊藤君留学状況 ブラジルサッカー留学 サッカー留学ならポンチノーヴァ”. www.pontenova.jp. 2022年2月6日閲覧。
  2. ^ a b 伊藤紘平、プロの夢「香港でつかむ」 酒田出身、最高峰リーグ挑戦|山形新聞”. web.archive.org (2016年1月4日). 2021年8月31日閲覧。
  3. ^ 【港超聯】黃大仙簽入連拿度救亡 | 即時新聞 | 體育 | 20160218”. web.archive.org (2016年8月22日). 2022年2月6日閲覧。
  4. ^ 【港超聯】伊藤紘平願意免費踢港會 | 即時新聞 | 體育 | 20160724”. web.archive.org (2016年8月22日). 2022年2月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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