コンテンツにスキップ

北村文男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 北村文男 七段 (将棋)
名前 北村文男
生年月日 (1920-10-04) 1920年10月4日
没年月日 (1993-01-14) 1993年1月14日(72歳没)
プロ入り年月日 1958年4月1日(37歳)
引退年月日 1987年3月31日(66歳)
棋士番号 76
出身地 三重県鈴鹿市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 板谷四郎九段
弟子 山本真也
段位 七段 (将棋)
棋士DB 北村文男
順位戦最高クラス C級2組(25期)
2017年8月24日現在
テンプレートを表示
 北村文男 三段 (囲碁)
名前 北村文男
プロ入り年 1960年
所属 関西棋院 中部総本部
師匠 伊神肇六段
段位 三段 (囲碁)
概要
テンプレートを表示

北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 1993年1月14日)は、将棋棋士囲碁棋士三重県鈴鹿市出身。将棋では板谷四郎九段門下。日本将棋連盟棋士番号76。囲碁では関西棋院中部総本部[1]所属のプロ三段、伊神肇六段門下。

現代の棋士制度上での、唯一の、囲碁・将棋双方のプロ棋士であった[2][3]

経歴

[編集]

早稲田大学卒業後、教員の傍ら1948年に将棋のアマチュア名人戦で三重県代表として出場し優勝。1950年、西名人(全国準優勝)を果たす。

その後、1956年奨励会初段試験に合格し同年奨励会「予備クラス」に入り、当時順位戦から陥落して「予備クラス」入りしていた浅沼一、後に棋士となる木村嘉孝内藤國雄佐伯昌優伊達康夫らを相手に、内藤に1敗のみの11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、翌1957年に四段昇段。38歳での順位戦初参加は、「予備クラス」(1956年-1973年)での四段昇段者の中で最年長記録となる。ただし最初に参加した第13期順位戦C級2組では6勝8敗で同星多数ながら序列最下位のため降級し、1959年に奨励会「予備クラス」に戻る。

1961年は「予備クラス」後期西軍優勝も、人員調整で東軍に編入されていた東軍優勝高島弘光に敗れる。この年から行われるようになった敗者戦を前期東西決戦敗者の板谷進と指して勝利し、順位戦に復帰する。「予備クラス」から順位戦への復帰は星田啓三に次ぐ2例目で、後に達成した橋本三治と合わせ3人しか達成していない。また「予備クラス」の後継となる「奨励会A組」を含めた「敗者戦」での勝ち上がりによる順位戦参加者は、他に山口英夫森雞二野本虎次しかおらず、「予備クラス」からの「敗者戦」勝ち上がり復帰者としては北村が唯一である。なお、北村と同時に「予備クラス」へと降級した西本馨は復帰できず、同じく同時降級の橋爪敏太郎は「予備クラス」では指さずに引退している。

1962年に復帰後は、1964年第19期順位戦に9勝3敗で次点となった(この時の昇級者は10勝2敗の米長邦雄関屋喜代作)のが最高成績であった。1971年第26期順位戦C級2組では0勝8敗で全敗を喫するも、この第26期のC級2組では契約問題のため降級点がつかなかった。1975年第30期順位戦は2勝8敗で降級点を与えられ、1980年第39期順位戦では3勝7敗で2つ目の降級点を喫した。その後、第40期から第45期順位戦までC級2組の降級点制廃止により、2つの降級点はリセットされた一方、1982年第41期順位戦昇降級リーグ戦4組では0勝10敗と2度目の全敗を喫している(前述の理由により降級点の付与無し)。

1958年1963年古豪新鋭戦で準優勝。

1986年六段。

1987年引退。1993年死去。没後の1999年に追贈七段。

弟子

[編集]

棋士となった弟子

[編集]
名前 四段昇段日 段位、主な活躍
山本真也 1998年10月1日 六段

(2016年4月1日現在)

昇段履歴

[編集]
将棋
  • 1958年04月01日:四段
  • 1973年11月03日:五段
  • 1986年00月00日:六段
  • 1987年04月02日:引退
  • 1993年01月14日:死去
  • 1999年01月14日:七段(追贈)
囲碁
  • 1960年 初段
  • 1965年 三段

主な成績

[編集]

在籍クラス

[編集]
順位戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[4]
名人 A級 B級 C級 0
1組 2組 1組 2組
1958 13 C215
1959 順位戦陥落 / 予備クラス(旧三段リーグ)
1960 順位戦陥落 / 予備クラス(旧三段リーグ)
1961 順位戦陥落 / 予備クラス(旧三段リーグ)
1962 17 C214
1963 18 C207
1964 19 C204
1965 20 C202
1966 21 C208
1967 22 C205
1968 23 C208
1969 24 C204
1970 25 C205
1971 26 C205
1972 27 C215
1973 28 C209
1974 29 C210
1975 30 C212x
(順位戦の第31-35期は回次省略)
1976 36 C225*
1978 37 C214*
1979 38 C219*
1980 39 C214*x
C2(当時昇降級リーグ4組)の降級点制を廃止
1981 40 C232
1982 41 C220
1983 42 C237
1984 43 C223
1985 44 C228
1986 45 C241
順位戦の 枠表記 は挑戦者。
右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位
( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 2010年3月まで存在した組織。詳細は関西棋院を参照。
  2. ^ 1987年4月12日 読売新聞 東京朝刊[盤側]より。「(編注:1987年)4月1日付で小堀清一・九段と北村文男六段が引退した。(略)北村六段は大正9年生まれ、66歳。早大卒。昭和23年アマ名人、32年プロ四段に。囲碁も関西棋院所属のプロ三段という異色の棋士。」
  3. ^ 囲碁データベース(www.igodb.jp )「日刊囲碁」掲載
  4. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。

外部リンク

[編集]