土井利長
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永8年1月9日(1631年2月9日)[1] |
死没 | 元禄9年7月27日(1696年8月24日) |
改名 | 八助(幼名)→利長 |
戒名 | 泰凉院殿然誉英翁俊儀居士 |
墓所 | 東京都府中市紅葉丘の誓願寺 |
官位 | 従五位下、兵庫頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野足利藩主→三河西尾藩主 |
氏族 | 土井氏 |
父母 | 父:土井利勝 |
兄弟 | 利隆、勝政、利長、利房、利直 |
妻 | 竹千代子(毛利秀元の娘) |
子 |
利宇(斉藤利有正室)、長 養子:利意 |
土井 利長(どい としなが)は、江戸時代前期の大名。下野足利藩主、三河西尾藩初代藩主。刈谷藩土井家初代。大老・土井利勝の三男。
生涯
[編集]正保元年(1644年)に父の遺領から1万石を分与された。ついで万治元年(1658年)に兄利隆から1万石を再分与された。同3年(1660年)、奏者番を務め、寛文3年(1663年)に三河西尾へ移封された。
天和元年(1681年)に隠居し、家督を養子の利意に譲った。元禄9年(1696年)、66歳で死去した。
系譜
[編集]父母
正室
- 竹千代子 - 毛利秀元の娘
子女
- 利宇 - 斉藤利有正室
- 長
養子