土岐嘉平
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土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日[1] - 1946年(明治21年)3月22日[1])は、日本の内務官僚・政治家。府県知事、北海道庁長官、京都市長。
経歴
[編集]和歌山県出身。土岐綱右衛門の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1901年、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。
1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り土木局に配属された[2][3]。以後、山梨県参事官、内務省書記官、同参事官、大阪府内務部長[4]などを歴任。
1914年6月、高知県知事に就任。その後、石川県知事、関東庁事務総長[5]、大阪府知事を経て、1923年9月、北海道庁長官に就任[6][7]。1925年9月まで在任し退官した。
1927年12月13日、京都市長に就任し[8]、1931年12月12日まで務めた。この間、京都市中央卸商市場の開設や、市バスの運行開始、京都大博覧会の開催などを推進した[9]。1946年3月22日死去。享年71。
栄典
[編集]親族
[編集]- 養子 土岐銀次郎(内務官僚)
著作
[編集]- 土岐嘉平 (述)『財政学』東京法学院大学〈36年度3年級講義録〉、1902年 (明治35年)。 NCID BA30687676 。
- 「欧米道路行政について」『国家学会雑誌 = The journal of the Association of Political and Social Sciences』第22巻8 (258)、東京大学大学院法学政治学研究科、1908年8月1日、1001-1022頁、2018年10月27日閲覧。[注釈 1]
- 『地方改良講演集』、博文館。
- 「土木行政の要綱」、博文館、1911年 (明治44年3月)、doi:10.11501/900466、NCID BB25603652。[注釈 1] - 土岐内務書記官講演
- 「産業組合の活動」、1911年 (復刻版・第2回・第3回上、415頁)[11]
- 「土木事務に関する注意事項」、1913年 (復刻版・第6回大正2年版)[11]
- 「貿易品と陳列館」、1913年 (復刻版・第6回大正2年版)[11]
- 「12 無題 関東庁事務総長 土岐嘉平君」『開業二十年記念論文集』天野弘一 (編)、天野弘一、東京、1923年 (大正12年、65頁。
- 『京都維新史蹟』土岐嘉平、京都、1928年。
- 『京都維新史蹟』京都市教育会(3版)、土岐嘉平、1929年。 NCID BA76067181。
- 『京都市有財産表』土岐嘉平、1928年。 NCID BB19647405。
- 「拓殖事業の功労者・前北海道庁長官」『栗林五朔翁追憶録』、蕙堂会、室蘭、1940年 (昭和15)、49-51頁、doi:10.11501/1056874。[注釈 1]
校閲
[編集]- 『国民必携法規類集 前編』小林幸吉 (編)、土岐嘉平、木下佐太郎 (校閲)、普及堂、1901年 (明治34年)。doi:10.11501/1087374。
- 『法規類集 : 国民必携』松本卯一郎 (編)、土岐嘉平、木下佐太郎 (校閲)、普及堂、東京、1903年。 NCID BA42804551。
参考文献
[編集]- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内閣) 八級俸下賜、土木局勤務を命ず (内務書記官)」『官報』1904年12月13日、362頁。 コマ番号 2/26
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 土木局庶務課長を命ず、大臣官房地理課兼務 (内務書記官)」『官報』1908年4月14日、281頁。 コマ番号 6/26
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平(文部省) 大阪府内務部長」『官報』1913年7月4日、119頁。 コマ番号 5/17
- 「北海道長官土岐嘉平君」『実業の世界』第21巻8 八月大活動號、実業之世界社, 三田商業研究会、1924年8月1日、146頁、161頁、164頁、2018年10月27日閲覧。
- 村田生「北海道長官土岐嘉平氏と語る」『実業の世界』第21巻9 ;九月號、実業之世界社, 三田商業研究会、1924年9月1日、154-156頁。
- 「年少既に秀才を以て聞えた 土岐嘉平氏」『紀伊偉材第一線に立てる人々』、青年日本社、共同刊行: 宮井平安堂 (和歌山)、東京、1926年 (大正15年)、340頁、doi:10.11501/1020308。[注釈 1]
- 楚水明生「六大市長月旦/京都市長土岐嘉平」『雄弁』第19巻4; 4月號、大日本雄弁会講談社、1928年4月1日、197-198頁、2018年10月27日閲覧。
- 「広告 / 京都市第3回公債償還 (京都市長土岐嘉平) 昭和3年10月15日」『官報』1928年11月13日 (昭和3年)、279頁。 コマ番号 14/27[注釈 2]
- 『関東州施政三十年回顧座談会』関東州庁長官官房庶務課、旅順、1937年 (昭和12年)。doi:10.11501/1267904 。2018年10月27日閲覧。[注釈 1]
- 歴代知事編纂会 (1980). 日本の歴代知事. 1. 歴代知事編纂会. NCID BN01988830
- 竹内理三 [ほか] 編『京都市姓氏歴史人物大辞典』 26巻、京都市姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 (編著)、角川書店〈角川日本姓氏歴史人物大辞典〉、1997年。ISBN 4040022602。 NCID BA31226624。
- 上田正昭、西澤潤一、平山郁夫、三浦朱門『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。 NCID BA54622879。
- 秦郁彦『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 4130301217。 NCID BA54424693。
関連資料
[編集]- 山崎 順平『和歌山縣紳士名鑑』那賀郡紳士名鑑編纂所、1924年。 NCID BA65186418。
- 「濟生会紀事/ 山崎喜一郎 ; 徳川家達 ; 土岐嘉平 ; 佐柳藤太 ; 山本厚三 ; 森正則」『済生 : The newsletter of Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc』、恩賜財団済生会、1924年8月、53-64頁、ISSN 1343-571X。
- 小畑芳太郎「トの部」『土岐嘉平氏/12盾の半面』小畑芳太郎、1928年 (昭和3年)。doi:10.11501/1029667。[注釈 1]
- 「本会京都府病院開院式 / 徳川家達 ; 望月圭介 ; 土岐嘉平 ; 並川榮慶 ; 大澤德太郞」『済生 : The newsletter of Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc』、恩賜財団済生会、1929年8月、45-47頁、2018年10月27日閲覧。[注釈 1]
- 『明惠上人奉讃会趣意書及会則』明恵上人奉讃会、京都、1930年。 - 明恵上人奉讃会会長: 侯爵 大久保利武、副会長: 土岐嘉平 (注記 : 七百回忌法会)
- 「二 京都市長土岐嘉平氏」『川島家と其事業』川島甚兵衛 (編)、川島甚兵衛、1931 (昭和6年)、81頁。doi:10.11501/1187274。[注釈 1]
- 「巻頭 山陽先生絶筆日本政記論文草稿 (影版) 祝辞」『斯文 = The shibun』第13巻第7号、斯文会、東京、1931年7月、8頁、ISSN 0286-8628、NCID AN0037399X。[注釈 1]
- 「元北海道庁長官元京都市長 土岐嘉平閣下御題字」『南葵謡曲沿革史』上巻、林紅渓 (編)、林善一、1933年 (昭和8年)。doi:10.11501/1213015。[注釈 1]
- 「第26回評議員会」『済生 : The newsletter of Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc』、恩賜財団済生会、1933年7月。
- 「土岐嘉平氏」『先輩言行録』、紀州公論社、東京、1935年 (昭和10年)、204-206頁、doi:10.11501/1026571、NCID BN08639942。 - 『紀州人大観』第1輯に再録。
官報
[編集]- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 内務大臣官房地理課兼務を命ず (内務書記官)」『官報』1904年12月28日、855頁。 コマ番号 12/34
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 東京市区改正委員会幹事仰せつかる (内務書記官)」『官報』1908年3月25日、615頁。 コマ番号 4/23
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内閣) 港湾調査会幹事仰せつかる」『官報』1908年4月10日、199頁。 コマ番号 10/26
- –「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内閣) 港湾調査会幹事被免」『官報』1911年5月31日、724頁。 コマ番号 3/18
- –「敍任及辞令 / 土岐嘉平等(内務省) 港湾調査会幹事仰せつかる (内務書記官)」『官報』1912年4月25日、768頁。 コマ番号 5/22
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 四級俸下賜 (内務書記官)」『官報』1908年10月5日、96頁。 コマ番号 3/15
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 大臣官房会計課兼務を命ず (1月13日) (内務書記官)」『官報』1909年1月15日、240頁。 コマ番号 3/18
- 「授爵・敍任及辞令 / 土岐嘉平等(内閣) 明治42年11月22日—陞叙高等官四等 内務書記官従六位勲六等」『官報』1909年11月24日、540頁。 コマ番号 7/17上段
- 「授爵・敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内閣) 三級俸下賜 (内務書記官)」『官報』1909年11月24日、540頁。 コマ番号 7/17下段
- 「敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 二級俸下賜 (3月6日) (内務書記官)」『官報』1911年3月7日、149頁。 コマ番号 4/22
- 「授爵・敍任及辞令 / 土岐嘉平等 (内務省) 一級俸下賜 (内務書記官)」『官報』1912年3月9日、195頁。 コマ番号
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、3頁。
- ^ 官報 1904.
- ^ 官報 1908.
- ^ a b 官報 1913.
- ^ 関東州庁長官 1937.
- ^ 実業 1924a.
- ^ 実業 1924b.
- ^ 雄弁 1928.
- ^ 官報 1928.
- ^ a b 官報 1909.
- ^ a b c 1910年 (明治43年) 9月–1923年 (大正12年) 4月に発行したものの複製。『地方改良講演集』、芳文閣、1984年–、NCID BN01147837。
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1928年11月15日 (昭和3年10月15日) 311頁 コマ番号 14/27
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1929年11月8日 (昭和4年10月29日) 216頁 コマ番号 15/17
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1929年11月9日 (昭和4年10月29日) 248頁 コマ番号 15/17
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1930年11月4日 (昭和5年10月18日) 56頁 コマ番号 13/26
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1930年11月5日 (昭和5年10月18日) 81頁 コマ番号 11/26
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1931年11月6日 (昭和6年10月19日) 137頁 コマ番号 15/26
- ^ 京都市第3回公債償還の公告『官報』1931年11月7日 (昭和6年10月19日) 168頁 コマ番号 15/17
公職 | ||
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先代 杉山四五郎 |
関東庁事務総長 第2代:1921年 - 1923年 |
次代 川口彦治 |